夏の代名詞とも言える花火。本日は花火の歴史をご案内致します。
日本において花火の初使用が、いつ、どこで、どんな機会に行われたのかは残念ながら定かではございません。
古い記録としては、室町時代の公家万里小路時房 の日記『建内記 (建聖院内府記)』の1447年 (文安 2年)3月21日条に、浄華院 における法事の後に境内にて「唐人」が花火と考えられる「風流事」を行ったという記事が見えています。時房は「希代之火術也」と賞賛し、褒美を与えております。
この時代は足利義満 の死後途絶えていた日明貿易 が足利義教 によって再開されており、花火も大陸から持ち込まれていたことがわかります。
16世紀の鉄砲伝来 以降は日本でも花火が製造されるようになったとされているが、1582年 4月14日にポルトガル 人のイエズス会 宣教師 が現在の大分県 臼杵市 にあった聖堂 で花火を使用したという記録(『イエズス会日本年報』『フロイス日本史 』)や、伊達政宗 が居城の米沢城 で、1589年 (天正17年)7月7日夜、「大唐人」による花火を見物したというもの(『貞山公治家記録』、『伊達天正日記』など)、1613年 (慶長 18年)に徳川家康 が駿府城 内で外国人の行った花火を見物したという記事(『駿府政事録 』)などがある(但し政宗の記事は元禄頃の編纂資料によるものであり、家康の記事と酷似するなど問題が指摘されているようです)。
こうした外国人による花火の技術を学び日本でも独自に花火が作られたと考えられるが、戦国時代の最中に当時貴重だった火薬をそのようなことに使うはずがないという主張もされています。
ただし、この頃には鉄砲に使用する需要から火薬の大量生産がおこなわれるようになっており、日本独自の花火の製作も行われていたことでありましょう。
江戸時代 になり、戦がなくなると、花火を専門に扱う火薬屋が登場した。1648年 (慶安 元年)には幕府 が隅田川 以外での花火の禁止の触れを出しており、花火は当時から人気があったとされる。当時のものは、おもちゃ花火であったと考えられる。1712年 (正徳 2年)頃出版された『和漢三才図会 』(寺島良安 著、江戸時代の図入り百科事典 )には、鼠花火、狼煙花火 などが紹介されています。
以上少し長くなりましたが、先人たちの歴史に想いを馳せながら花火を観るといつも以上に輝いて
観えるかもしれません。
明日8/4(土)、熱海近郊では伊豆の国市にて伊豆長岡温泉花火大会が開催されます。
明日は空室が若干御座います。
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