小線源治療の入院生活 | 心房細動プラス前立腺がんの闘病記

心房細動プラス前立腺がんの闘病記

57歳。10年以上の心房細動持ちが、前立腺がんになりました。
これからどーなるのやら。

PSA16.4。GS8。
T2aN0M0

小線源治療は無事に終了。

予定通りに退院できたので、

今回の治療の経過を

書いていこうと思う。

 

あくまで、自分の経験なので、

病院によって

多少の違いがあるはず。

 

まず、自分の場合は

プレプランはなし。

 

5月1日にやった

術前検査のMRIが

プレプランの代わりに

なったようだ。

 

そして入院。

DAY 1

13時頃に病院に到着。

放射線の関係で個室に入る。

 

薬剤師がやってきて、

入院中に飲む薬の確認。

 

昼メシを食べたことを

伝えると下剤を渡された。

すぐに飲めという。

 

売店にいき、飲み物と

Tパンツと

ストーンスクリーン

(尿を網で濾す容器)

を購入する。

 

16時頃に

麻酔科医がやってきて、

少し話をする。

アレルギーの確認と

マウスピースの確認だった。

今まで会った麻酔科医が

みんな女王様風なのは

何故なんだろう……。

 

歯科の受診があると思ったが、

今回はなかった。

 

18時に夕食。

残念な低残渣食。

食後に下剤服用。

 

21時には浣腸と

ガンガン押してくる。

 

止めに就寝前にも下剤服用。

 

下剤連打と浣腸の

効果はてきめんで、

夜中にトイレに7回いった。

 

尿はコップにして

専用の容器に溜めるよう

言われていたが、

お腹がピーピーな時に

そんな余裕なし。

 

DAY 2

この日は飲食なし。

変わりに点滴で栄養補給。

 

Tパンツと弾性ストッキングを着用、

15時頃に手術室へ歩いて向かう。

 

手術室ではベッドに横になった後、

麻酔を入れられ、すぐに意識が

なくなった。

 

名前を呼ばれ目が覚める。

気分は悪くない。

そのまま病室に運ばれる。

 

病室に入るとすぐに

放射線科の人間がやって来て、

部屋の放射線量を測った後、

放射線管理区域に指定された。

 

ここからが地獄の始まりだった。

腹圧をかけてはいけない。

ということで

ベッドから起き上がるのは

明日の朝まで禁止!

 

横を向くのはいいらしいが…。

今の時刻は16時過ぎ。

朝って何時までよ~。

 

一時間おきくらいに

看護婦が様子を見に来てくれる。

(カラダヲオコシテナイカノカクニンダヨネ)

尿カテの不快感も相まって

腰の痛みに耐える時間が

異常に長く感じた。

もう、1時間経っただろ

と思いスマホを見たら

10分しか経ってなかった時の

絶望感よ。

 

DAY 3

6時30分頃に看護婦が

やって来て

 

起きて歩いてみましょう。

 

と言ってくれた。

 

ホルモン療法で筋力低下

しているので、ちゃんと歩けるか

心配だったが、無事に歩けて

ホッとする。

 

朝食

 

 

久しぶりの食事だ。

完食。

 

その後は検査三昧。

 

レントゲン

CT

MRI

 

尿袋と一緒の検査は

人生初だった。

 

検査が終わると放射線科医の診察。

自分が入れたシードの数は

49本とのこと。

スクナクナイカ

小線源療法治療者カードを貰い

次の受診日を決め、病室に戻る。

 

病室に戻ると放射線科の人間が

来て、部屋の放射線量を測った後に

管理区域から外された。 

 

尿と一緒にシードが出てくる

ことがたまにあるらしく、

もし、シードが出た時に

放射線を出すシードを

保管する鋼鉄のズッシリとした

容器を渡される。

 

そして、尿カテの抜去。

引き抜かれる時の

あの背筋がゾクゾクする

不快感は嫌なものだ。

 

昼食

 

 

夕食

 

 

最後の点滴が22時に終了。

点滴の針も抜き、

シャワーを浴びて就寝。 

 

DAY 4

朝食

 

 

抗生剤を5日分渡され、

朝食後に飲むよう言われる。

 

泌尿器科医師に退院後の

注意事項を聞いた後、

今でも尿の出始めに血が

混じっていることを伝えるが、

それは問題ないので様子見と

なった。

 

そして、会計を終えて、

10時過ぎには無事に病院を出た。

 

こうして、3泊4日の

決戦!小線源は終了したが、

トリモダリティはまだまだ続く。

 

気を引き締めよう!

 

次回の通院は6月19日だ。