2020年8月ヒマワリ



BT7


初めての胚盤胞移植から一週間

ついにやってきてしまいました。 


So


判 定 日 



長いようで、後半はあっという間💦


陽性なら良いけど、陰性だった場合の

廃人具合を想像すると恐ろしかったので、

少しでも期待して過ごせるよう

フライングは一切せずに

この日を迎えました。



判定日の流れは至ってシンプル。


4階受付→10階採血💉

そして9階で呼び出し待機滝汗


しかし、判定日というやつは

このシンプルな流れの中で

始終バクバクさせてくれるドンッ

いくらノーテンキで

すっとこどっこいな私でも緊張ゲロー



まず採血後の待機中、

4階に呼ばれるか5階に呼ばれるか

その時点で気が気ではないドンッ


なぜならKLCには

"4階なら陽性、5階なら陰性"

いやいや、

"5階が陽性、4階が陰性"


という噂があるからですあせる


血眼になってネットで情報を探していると

あっという間に30分程経過していて、

モニターに番号が呼び出されました。



音符ポンピーン(KLCの呼び出し音w)



4階?5階?どっちだ!?



"4階問診室前"



うわぁあぁぁ4階ポーン



・・・って、果たしてどっちなのw

調べまくりましたが、結局どちらがどうかは

ハッキリ分かりませんでしたタラー

(今この瞬間も『KLC 判定日4階 5階』

と検索されてこちらにたどり着いた方が

いらっしゃるかもしれませんが、

おそらく、階によって

結果を分けてるという事はないと思いますひらめき電球)



もう数分後か数十分後には分かる事だよなと

腹を括り、4階に移動してからは

おとなしく待ちましたチーン



そして2-30分経った頃でしょうか。

ついに問診室へ呼ばれました。



さて、呼ばれてしまっては行くしかない。



問診室に入ると、そこには豆電球みたいな

おじいちゃん医師がいましたひらめき電球


"あ、死神と呼ばれてる先生かな?" 

などと失礼な事を思いつつ、席につく。



Dr.ドクロ「サクラさんですね。

今日は判定日という事で、β-HCGの値を

測りました」




そして差し出された紙を見る。







HCG0.6

れ、れいてんろく....チーンチーンチーン
れいてんろく....
れいてんろ..く...



Dr.ドクロ「今回、着床しかかったけれど

その後伸びなかったようです。

ただ、一応着床はしかけたという数値なので

このままルテウムは続けますか?」


「こ、ここから

継続できる可能性はあるんですかチーン



Dr.ドクロ「ここから継続できる可能性は

1%ないですね」


「1ぱ...チーン

ではルテウムはやめます。。。

今周期はもう治療は何も出来ないですか?」


Dr.ドクロ「一応着床した数値(KLCは0.3<)

だから、今周期は何もできないんですよね。

ただ、このまま数値は0になって行くと

思いますが、稀に子宮外妊娠の可能性も

あるので、1週間後に再測定に来て下さい」



さようですか。。。チーン


先生に挨拶し、問診室を出ました。



涙は出ない。

ただ、お会計待ちの間

何がいけなかったのか、頭を巡らせ考える。



"正常卵じゃなかったから?"

"ポリープ手術の翌月だから?"

"しなくて良かったルテウムしたから?"

"移植後、電チャリで爆走したから?"



分からない。。。



KLCを出て、抜け殻のように駅へ向かい

電車に乗りました。



帰り路、オットから連絡があり報告すると


「そっか。。。残念」

の返事。


それから母にも報告しました。


「ダメだった!

応援してくれたのにごめんね」


すると


「お疲れ様!

頑張ったのにね、残念だったね」



母には、ポリープ手術前に

不妊治療を始めている事を告げていました。


「別に子供がいなくても良いじゃない」


と言いつつも、妊娠に良いとされる

食べ物の差し入れをしてくれたり

体調を気遣ってくれたりして、

応援してくれていました。



無性に母の顔が見たくなり、

家に帰る前に、母の家に寄りました。



玄関を開けると、


「サクラ!

無事帰ってきてくれて良かったえーん


と、目に涙を溜めて肩を抱いてくれました。

母は、私が思いつめて身投げでも

するんじゃないかと、心配だったそうです


その瞬間、私の感情の堤防が決壊。


私は母の優しさ、母の涙には

弱いのです。


母を心配させている事、ダメだった悔しさ、

この移植が、亡くした家族の生まれ変わり

であって欲しいと思い入れていた事、

色々な感情がこみ上げてきて

わんわん泣きました。



そして散々泣き、慰めてもらったあと

オットの待つ家へ帰宅。


さっき泣いたし、オットには

おちゃらけて話せるかな?と思いましたが

やはり、ダメだったという事実は、

私の心をしっかり傷つけていました。



オットの顔を見たら

また涙がこみ上げてきて

よしよしされながら泣きました。


たった一回の体外受精がダメだったくらいで

こんなに泣いてしまうなんて。

世の中、自分より頑張ってる人なんて

ごまんといるのに。。。



オットの「またがんばろう」という言葉が

私を絶望させずにそこに留めてくれました。




はぁ...

ルテウムもやめるし、

これで私の初めての移植周期は終わった

今周期はなにもできないし、

ゆっくり過ごす事になるのかな。。。



この時はそう思っていました。