「似非歯医者の待合室」のコミュニティで話題になった曲の紹介をば。

紹介するのは、ドイツの作曲家、マックス・ブルッフ(Max Bruch, 1838-1920)の書いた《スコットランド幻想曲》(1880年作)です。
正式名称は「管弦楽とハープを伴ったヴァイオリンのための、スコットランド民謡を自由に用いた幻想曲」といいますが、非常に長ったらしいので、「スコットランド幻想曲」と呼ばれています。

ブルッフとスコットランドの出会いは、1863年頃のことと推測されます。
この頃のブルッフは《12のスコットランド民謡》という民謡編曲集を作っています。この民謡編曲の元ネタにしたのが、ロバート・バーンズ&ジェームス・ジョンソンの編纂した『スコットランド博物誌』というスコットランド民謡の研究書でした。
浩瀚なスコットランド民謡の世界に触れたブルッフは、ヘブライ民謡やスウェーデン民謡にも手を広げ、自らの作風の血肉としました。

ブルッフは、自分の作品を主にジムロック社から刊行していましたが、ジムロック社と契約していたライバルに、ヨハネス・ブラームスとアントニーン・ドヴォルジャークがいました。
ブラームスは1867年ごろからハンガリー舞曲集、1878年にはドヴォルジャークがスラヴ舞曲集の第一集を発表し、それぞれが大ヒットを飛ばしていました。
フランスではエドゥアール・ラロのスペイン交響曲が評判になり、その初演者だったパブロ・デ・サラサーテもロマ民族の俗謡を組み合わせた《ツィゴイネルワイゼン》を作曲していました。
こうした異国趣味は、19世紀ヨーロッパの一大ムーヴメントになっており、ブルッフの《スコットランド幻想曲》も、こうした異国趣味の動静の中に位置づけることができます。

ブルッフが《スコットランド幻想曲》を作り上げたきっかけは、ウォルター・スコットの小説を読んで感銘を受けたことだといわれています。
かねてより民謡からイギリスに興味を持っていたブルッフは、色々と付き合いのあるサラサーテにヴァイオリン曲を献呈するという名目で、1879年から作曲の筆をとりはじめました。
当初、サラサーテに独奏パートの助言を求めていましたが、自分が目立つことを最優先にするサラサーテと、スコット文学の世界観を音楽化したいブルッフの間では意見がかみ合わず、ブルッフは途中からヨーゼフ・ヨアヒムに相談者を代えています。

作品が出来上がった1880年には、ブルッフはタイミング良くリヴァプールの音楽協会の首席指揮者のポストに就き、1881年2月22日の音楽協会のコンサートで、ヨアヒムを独奏に立てて、自分の指揮で作品を初演しました。
しかし、初演してみると、ヨアヒムの演奏はブルッフの好みに合わず、1883年に再演した時には、サラサーテと和解して「スコットランド協奏曲」という題名で演奏しています。
作品の楽譜もヨアヒムにではなく、約束通りサラサーテに献呈されました。
サラサーテはこの曲を大層気に入り、得意のレパートリーとしていたるところで演奏しましたが、1888年に演奏した時には、ブルッフに許可を取って、暫定的に「ヴァイオリン協奏曲第3番」として演奏プログラムに載せています。(その後、ブルッフは1891年に「第3番」の協奏曲を発表しました。)

なお、ブルッフは、1880年以前にもイギリスを訪問していましたが、スコットランド地方に初めて足を踏み入れたのは1882年のことだそうです。
つまり、《スコットランド幻想曲》の「スコットランド」は、ブルッフが民謡研究と読みあさった小説で膨らませた妄想の産物だったわけですネ。

曲は「序奏」と4つの楽章からなります。

★序奏

これは《スコットランド幻想曲》の前に作曲してサラサーテに献呈したヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章に雰囲気が似ています。
その第1楽章も、彼のヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章の序奏に似ています。
というわけで参考までに…
○ヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章

○ヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章


★第1楽章

引用されたスコットランド民謡は「森を抜けよ、若者よ」(Thro' The Wood, Laddie)です。

クリストファー・フィフィールドの『マックス・ブルッフ:人生と作品』では、譜例つきで「年老いたロブ・モリス」(Auld Rob Morris)が使われているということになっています。
ただ、今日伝わっている「年老いたロブ・モリス」のメロディは全くの別物になっています。
ブルッフが参照した資料の中で本来の「森を抜けよ、若者よ」が「年老いたロブ・モリス」として紹介されていたのか、はたまたブルッフもしくは後世の人が単に取り違えたのかはっきりしませんが…。
なにはともあれ、このメロディはブルッフも大層気に入っていたようで、全曲のそこかしこに登場します。

★第2楽章

使われているスコットランド民謡は「粉まみれの粉屋」(The Dusty Miller)です。

冒頭の管楽合奏の和音はバグパイプの音を模しているのだとか…。

★第3楽章

使われてる民謡は「ジョニーがいなくてがっかり」(I'm a Doun for Lack O'Johnnie)です。

この民謡は、ヴァネッサ=メイが独自に編曲して、そっちのほうが大ヒットしましたネ。

★第4楽章

使われてる民謡は「スコットランドの民よ」という戦の歌です。


サラサーテの没後、しばらくこの作品は演奏されなくなりましたが、ロシア出身のヤッシャ・ハイフェッツがこの曲をレパートリーに加えてから、再び人気を取り戻しました。



CDも沢山出ていますが、目下安価に入手できるのは、ウルフ・ヘルシャーの独奏、クルト・ヴァイルの指揮するハンブルク交響楽団の演奏です。

Scottische Fantasie/EMI International

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