雨の日の楽器の過ごし方を教えて!

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楽器の過ごし方は、所有者の都合によります。ハイ。
 
楽器の話として思い出す印象的なものは、兵庫の加古川市のJRの駅に設置されていたストリート・ピアノの撤去の話。もう2年ほど前の話になりますか…。
利用時間や音量など、使用上のルールを守らず、ピアノを雑に扱ったり、通行人に迷惑を書けたりする人が後を絶たないので撤去して、外野からは「音楽を愛せない、民度が低いところなんだね…」と言われてましたっけ。
ただ、私としては、「ピアノっていいモンだという夢を見すぎなんじゃねーの?」と思いましたっけ。
音楽愛を軽々しく口にする人にも、釘を刺しましょう。
「音楽って、そんなにいいモンじゃないですよ。」
 
音楽ってのは、平たく言えば、音を加工する技術です。野良の音は、人間の都合などお構いなしに、あちらの都合で勝手に音が鳴ります。しかも、それは、目で見てすぐにそれと分かる形もなければ、匂いもなく、味もありません。その不如意で聴きたいと思わない音に、我々はびっくりしたり、不気味に思ったり、うるさいなーと思ったり、何か起きるんじゃないかと警戒したり、あるいは気にならなかったりするわけですが、我々の体は、そうした不如意な音に対する防御が十分に出来ません。防御が出来ないんだったら、手名付けてしまおうってので、コントローラブルに音を扱うための「楽器」が生まれたというわけですネ。尤も、聴覚でしか把握できず、その襲来を簡単に遮断できない「音」ってのは、大昔の人には相当な脅威だったとみえて、度量衡の計測に音の響きを使って、そこから「音律」を作り、その音の基準の一つ一つに名前と意味を与えて、人間文化の枠内で利用できるようにしようとしています。
司馬遷の『史記』の「楽書」の一節にこういうのがあります。

「夫上古明王舉樂者非以娛心自樂快意恣欲將欲為治也。正教者皆始於音音正而行正。」
(夫れ上古の明王楽を挙ぐるは、娯の心で以て自ら楽しみ意を快にし欲を恣にするに非ず、まさに治を為さんと欲するなり。正しき教えは皆音に始まり、音正しければ行い正し。)

自分の好みや都合で変な音を鳴らしたら、人の行動も変になり、国も傾くんだぞと、放縦な音の使い方に釘を刺しています。まぁ、「楽書」では、「音は正しく使えば、健康にもいいんだぞ!」と言う話が後に続くわけですが、裏を返せば、正しく使われなければ、健康に悪影響が出るということ。数千年前の中国の人の言うことが科学的か否かは脇に置いたとしても、治世に影響が出ることを危惧するほどに、音の扱いにデリケートだったというのがわかります。
 
音を加工する技術の進化によって、今日、音を様々に加工して表現を作り上げることが出来るようになりましたが、音楽の素材となる「音」の、古代の人たちが恐れた毒性みたいなものは、なくなったわけではありません。世に出ている加工品と、それを摂取している我々が、うまく毒を回避しているのか、はたまた毒に気づかないままなのか…。
でも、私がいい音楽だと思っているものでも、時と場合によっては、人をイラつかせることもあるでしょうし、こうした私と他者のズレみたいなものは、私を他の誰かに置き換えても成り立つんじゃないでしょうか。
1974年の神奈川県で起きたピアノ騒音殺人事件みたいに、音は人に殺意を植え付けることもあります。遍く素晴らしい音楽は存在しない。
 
音楽って、元来、そんなにいいモンじゃありません。ただ、そんなにいいモンじゃないものを、そんなに悪いモンじゃないくらいにまで人間文化の中に手名付けていったのは、先人たちの功績です。私達が、作曲家や演奏家に敬意を払ったほうがいいと思うのは、そういう音の毒抜きと加工の試行錯誤の結果として生み出された得難いものを、享受しているからです。でも、そうして生み出された得難いものも、使い方を違えれば、そこにいる人たちの迷惑になり、音は抜き取られたはずの毒性を回復してしまいます。我々は、そんなに悪いモンじゃないくらいに手名付けられた音楽を適切に享受することに慣れすぎて、それが自明化しているのではないでしょうか。音楽が素材としているものの本来の毒性を、我々は忘れてしまっているのではないかと危惧します。こうしたことは、本当は学校で教えられなければならない類の基礎なんじゃないかと思うのですが。

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コンチェルト(Concerto)…音楽による西洋文化史としてのクラシック音楽の用語で、日本語でお固く書けば、協奏曲で、"Concertare"という言葉を由来にしております。"Concertare"は、ラテン語では「競い合う」、イタリア語では「協調する」という意味があります。"Concerto"の和訳に際して、明治時代に「競奏曲」という表記も使われていたように、ラテン語由来で解釈するということも行われていたようですが、競うという解釈の路線では、お互いに高め合って、より高次の物を作り上げるという考えではなく、相手を潰して勝てばいいという、あまり発展的ではない考え方が蔓延る隙を与えてしまうんでしょうね。今ではイタリア語由来と思しき「協奏曲」という言葉が主流になっています。私としては、競奏だろうが、協奏だろうが、退屈しなければどっちだっていいんですがね。
 
さて、協奏曲は、独奏楽器と合奏体の共演≒競演というのが、イメージの定番でして、大体このイメージを踏襲して説明すれば、一般常識としては事足れりと言えます。このイメージは、人類が文明を持ち、歴史を記述するようになった頃から変わらないイメージではないんだけども…というツッコミを入れたくなりますが、その話をすると、「コンチェルトの日」というタイトルからどんどん離れていって、何の話をしているのかわからなくなるので、大体17世紀から18世紀にかけて、このイメージが徐々に形作られてきたというところでスルーしましょう。
 
協奏曲を「独奏楽器と合奏体の共演≒競演」と捉えたとき、敢えて共演と競演を完全なるイコールとして結びつけなかったのは、それを作ったり受容したりする側が由来をラテン語で捉えるか、イタリア語で捉えるかで、イメージが違ってくるからです。
ラテン語的に捉えると、イメージは「独奏楽器 vs 合奏体」という構図になります。この構図では、独奏楽器を一騎当千のやり手の駒として捉え、並み居る敵としての合奏体を屈服させて従属させるような筋書きになります。
イタリア語的に捉えると「合奏体 with 独奏楽器」という構図になります。この構図では、どちらが優位に立つかではなく、双方が混然一体となって、合奏体オンリーや独奏楽器オンリーの作品よりも聴き応えのある出来栄えを目指すという筋書きになります。
尤も、実作としての協奏曲は、ラテン語的捉え方とイタリア語的捉え方が、その配合の比率に個別的な差こそあれ、混ざり合っているというのが実情です。往々にして、自分が独奏楽器の達人で、自分の技が映えるような筋書きで曲を書き、ラテン語的捉え方の出来レースになります。独奏楽器の達人が、協奏曲を外注する際も、大概、そういうラテン語的出来レースの曲を発注し、出来栄えに応じて「俺が目立たないじゃないか!」と受注側に文句をつけることもあります。こうした出来レース的協奏曲の一例としては、ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲群を挙げればいいでしょうか。パガニーニは、自分の都合のいいところで効果的に相槌を打つように伴奏パートを書いています。受注側に文句をつける例としては、ヨハネス・ブラームスのヴァイオリン協奏曲なんかがいい例です。一応、ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、ヨーゼフ・ヨアヒムの為に作ったことになっていますが、ブラームスの脳内的受注先はサラサーテでした。なので、ブラームスは、演奏してほしくて楽譜をサラサーテに送りましたが、サラサーテは、ありていにいえば「俺が目立たない」という理由で、レパートリーに加えませんでした。
イタリア語的捉え方に傾いた協奏曲の書き手は、出来レース的協奏曲の書き方にうんざりしている人が手掛けます。先に例示したブラームスは、その好例で、彼の書いた協奏曲は、出来レース的な伴奏パートにはせず、独奏パートを呑み込まんばかりのボリューミーな伴奏パートを書いています。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも、通し番号にしてNo.20以降のピアノ協奏曲では、出来レース的協奏曲の作法を超えて、伴奏パートに主導権を渡しかねないバランスの書き方を実験しています。
 
協奏曲の演奏に於ける独奏と伴奏の関係は、ラテン語的な傾向の強い作品では伴奏が独奏に傅き、イタリア語的な傾向の強い作品では伴奏が独奏と握手する関係で説明しうるかと言うと、そうは言いきれないところがあります。
19世紀から20世紀前半にブイブイ言わせていた独奏家たちは、伴奏は独奏に無償で傅き奉仕するものだというスタイルが存外多く、独奏が我儘に振舞って伴奏を振り回すような演奏が沢山録音に残っています。そういう無茶を要求してくる独奏にどれだけ当意即妙に対応できるかが、伴奏の腕の見せ所です。独奏がどんな風に伴奏を巻こうとし、伴奏はどうやって独奏についていこうとするかという、まさに職人的技芸の矜持をかけた水面下の丁々発止のやり取りは、トム&ジェリー的な面白さを聴き手に味わわせてくれます。尤も、そういう職人の意地をかけた鞘当ての面白さは、曲を勝手にトム&ジェリー化しているという批判もされるべきなのでしょうが…。