大自然の中でクラシック音楽をどうとか思ったことある?

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大自然の中では音楽はむしろ邪魔でごぜーます。
いきなり何かに襲われる…その予兆を捉え損なったら、命とりなのですよ。

素晴らしいシュナイダーハンは?

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シュナイダーハンってーと、兄貴のワルターか、弟のウォルフガングかですね。

兄ワルター(Walter Schneiderhan, 1901-1978)は、弟と同じウィーンっ子。「ヴァルター」と書く人もいるけれど、ウィーンっ子であることを意識すると、Wを濁音で当てるのは無粋というもの。

ドイツ、オーストリアの各都市でオーケストラのコンサートマスターとして渡り歩き、第二次世界大戦後はウィーン交響楽団のコンサートマスターだった人。

ソリストとしての活動よりも室内楽やオーケストラ団員としての生活を好んだ人なので、独奏者としての録音は少ない。CD化されたものでは、このヨハネス・ブラームスのヴァイオリン協奏曲とフェリックス・メンデルスゾーンのホ短調のヴァイオリン協奏曲くらいか。「とうとう見つけたぞ!」という珍品マニア的歓びこそあれ、その喜びを倍加させてくれるみごとな演奏を披露してくれているのかというと、そんなことはない。1950年代半ばの録音だそうなので、そんなに高音質でもない。演奏の出来栄えとしては、コンサートマスターだったら、頼まれ仕事を引き受けたらこのくらいはチョイチョイッとこなさないとねー…みたいな当たり障りのない独奏。伴奏はエドゥアルト・ファン・ルモーテルの指揮するバンベルク交響楽団なのだけど、なんだかお互いがお互い遠慮しあって、何をしたいのか分からないうちに無難に仕事が終わってしまったような伴奏。ヨゼフ・カイルベルトが指揮してたら、ワルター兄貴もカイルベルトに「ちんたら仕事するんじゃないッ!」と喝を入れられたんじゃないか。ブラームスもメンデルスゾーンも、せんべいを湿気らせてしまったような、微妙に残念な空気が漂う。

弟ウォルフガング(Wolfgang Schneiderhan, 1915-2002)もウィーン生まれ。ウィーン交響楽団のコンサートマスターからクレメンス・クラウスにスカウトされてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に無試験で入り、第二次世界大戦中のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をコンサートマスターとして支えた。1949年にソリストとして独立して国際的名声を得たので、録音は非常に多い。

そんな弟君を兄貴と同じ演目で比べるならドイツ・グラモフォンに残っている1950年代の協奏曲録音集からピックアップするのが良かろうか。ブラームスの協奏曲は、パウル・ファン・ケンペンの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団だけど、ケンペンの気合の入った伴奏で、兄貴の伴奏相手だったルモーテルの印象は一気に翳む。弟君の独奏は、ちょっと表情が硬めだが、格調高くダイナミックに仕上げたいケンペンの意向にピタッとはまって、全体的に好印象。

メンデルスゾーンの方は、同じバンベルク交響楽団ながらフェルディナント・ライトナーが指揮を執る。こちらは、あまり弟君が昭和の少女漫画的花びらを巻き散らすような恋物語っぽい語り口を良しとしないのか、他人行儀で硬い。ライトナーの伴奏は、ルモーテルよりも引き締まった良い伴奏なのだが、弟君を懐柔してやる気にさせる所まではいかない。むしろ、弟君が書いてもらったフランク・マルタンのヴァイオリン協奏曲が、エルネスト・アンセルメの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団の伴奏で録音したのが入っていて、そちらの方が入魂の演奏。このマルタンの曲は、Decca原盤の録音なのだが、ドイツ・グラモフォンが頼み込んでこの5枚組CDボックスに収録させてもらったのだとか。やっぱり弟君の本領は、同時代の音楽なのだな…。

 

そんなわけで、同時代音楽を嬉々としているウォルフガング・シュナイダーハンがよろしおす。

 

昔と今でだいぶ変わったと思うものは?

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地元では、本屋とCD・レコード店がなくなりました。
本はかさばるだけだし、CDで聴けるものは大概Youtubeで聴けるというので、スマートフォン一台で十分…というのは、数年前からの傾向でございます。今はもう、AIに要約させて、それで本を読んだことにするみたいでございます。音楽に関して言えば、頭出し再生か早送り再生でササッと済ませるのがスマートなんだとか。中学校の音楽のセンセとの話で聞いたことには、音楽鑑賞の授業で、「Youtubeで探して早送り再生すれば時短になりますよ」なんてアドバイスをくれた生徒さんがいて、「音楽鑑賞を時短で済ませるなんて発想は、昔はありませんでしたわヨッ!」なんて愚痴ってましたっけ。
今日は、デジタルな通信技術に依存してる状況なので、それがうまく機能している分には便利なんでしょうけれども、通信障害が起きたときの、スマートフォンをいじる人のイライラっぷりを見るにつけ、我々は便利さと引き換えに、色んなものを売り飛ばしてしまっているのではなかろうかと考え込んでしまいます。