La bellezza | 不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興
OCNブログ人→gooブログとサービス停止を受けて引っ越しを重ね「Due Birichini **お気楽フィレンツェ暮らし**」に融合。

夕食に招かれて友人宅へ。

イタリア人男性が二人集まれば、
政治やら経済の話で熱い議論が始まるのはいつものこと。
特に左系の人が多いフィレンツェ周辺では
政治の話は熱すぎて、割って間に入ることもできないくらい。

ひとしきり熱い話を聞いた後で
ホストである人類学研究者でもある友人が
最近はボローニャ大学とのコラボで
人類学&社会学的なリサーチを行っているということで
「調査に協力してほしい」と。

まぁ、私にできることならばということで
早速調査アンケートに参加。
このあと私の友人たちにもお願いする可能性があるので
調査内容の詳細は控えますが
リサーチの趣旨は非常にまじめで興味深いもの。

「人間の美の認識に
人類学的&社会学的な要素がどこまでからんでいるか」

洋の東西を問わず、一般受けする美しさ。
誰かを見て「きれい」「かっこいい」と思うその基準は
アジア人でも欧米人でも
民族を問わずある程度似ているらしいのです。
それは本能的な、人類が遺伝子の中に持ち合わせている基準。
人類学の部分で研究される点。
そこにそれぞれが育つ文化の影響がからんでくると
美しさの認識についても微妙な違いが生まれてくるようで、
その点が社会学に繋がる部分。

自然界の一部として人間が人間の美しさを評価するとき
そこには自然界にある「自然の規律」や「黄金率」のような
何らかのベースがあって、
それに基づいて評価をするのだとすれば
どの民族にとっても、
顔のパーツのプロポーションや配置で「美しい」
と感じる部分は似てくるだろうなぁと。
そう、本能で感じる部分はね。

それぞれが育つ環境や文化の中で刷り込まれる
後天的な観点がそこに加えられると
たとえばある民族では首が長いほうが美しかったり、
ふくよかな女性が好まれたり、耳が大きいほうがよかったり
色々な要素が付け加えられて
民族ごと、個人ごとに微妙に判断基準が変わって当然。

それに加えて私のように日本人でありながら
イタリア生活が長くなって
少なからずイタリアの判断基準を
刷り込まれている可能性のある人間では
日本で暮らす日本人とも
イタリアで暮らすイタリア人とも
また違った結果が出てくるかもしれない。

美しさの基準や好き嫌いってすごく個人的なものであるけれど
その根底に遺伝子学的な要素や文化的背景があるのは
きちんと調べたらすごく面白いのではないかなぁ。
この調査結果の論文読んでみたいなぁと思っています。

フィレンツェ在住の女性で
この調査に協力してくれる人探しています!
そのうち連絡するかもしれません。
そのときは皆さん協力お願いします。