フィレンツェはやっぱり侮れない。
この時代になっても
まだまだ「見つかっていない」大事なものが
わんさと隠されている街なのだ。
Leonardo Da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)が
かつて工房として使ったとされる小部屋が
フィレンツェ市内で新たに見つかった。
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会
(Chiesa di SS.Annunziata)に隣接する
セルヴィ・ディ・マリア修道院
(Convento dell'Ordine dei Servi di Maria)内の一室。
レオナルド・ダ・ヴィンチは元々フィレンツェ郊外の生まれで
幼少時にフィレンツェに移住して
Verrocchio(ヴェロッキオ)の工房に弟子入りしますが
やがて才能が花開くとフィレンツェを離れ
ローマやミラノで仕事を続けました。
そんな彼がミラノからフィレンツェに戻ってくるのは
50歳に手が届く年代になってからで
その頃には既に彼はイタリア芸術界では
屈指の著名芸術家となっていました。
彼を迎え入れたのがセルヴィ・ディ・マリア修道士たち。
因みにその後、この修道院には
Andrea Del Sarto(アンドレア・デル・サルト)や
Franciabigio(フランチャビージオ)も逗留しています。
レオナルドがこの修道院内に逗留していたというのは
Isabella D'Este(イザベッラ・デステ)への手紙や
Vasari(ヴァザーリ)の美術家列伝・ダヴィンチ編などの
文書でも確認が取れており、ほぼ確実な事実。
また今回の研究・調査を行った3人の研究者によると
修道院内のある壁の一部に
「鳥たちの舞」が描かれているそうで
おそらく現在は喪失した「聖母受胎告知」の上部に
描かれていたものではないかと見られています。
その描写にレオナルドの「飛ぶ鳥の動き」の
研究のあとが見られるというのです。
また同じように壁の一部には天使の素描も残っていて
やはりレオナルドの描写の特徴が見られるようなのです。
また「Madonna col Bambino e Santa Anna(聖アンナと聖母子)」の
制作場所とも考えられており、
いまだ未確定ではありますが
「Gioconda(モナリザ)」が描かれた可能性もあるとか。
まぁ、モナリザに関しては
彼は生涯この作品を肌身離さずずっと持ち歩き
ことあるごとに加筆していたという説もあるので
この部屋で筆を入れなおした可能性は高いと思いますが。
個人所有になっていて
これまで関係者以外は立ち入り禁止だった場所。
今回の発見で一般公開されるかどうかは未定。
参考
ヴァザーリ・美術家列伝
中日新聞
産経新聞
読売新聞
デイリースポーツ