La conclusione , prima di tutto | 不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興
OCNブログ人→gooブログとサービス停止を受けて引っ越しを重ね「Due Birichini **お気楽フィレンツェ暮らし**」に融合。

J-tentenさんのJ'sてんてんてまり
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イタリア語も他のヨーロッパ言語と同じように
まず先に主語(動詞の活用によって推し量られるため
省略されることが多々ありますが)、
そして否定の場合は否定句が来て、動詞。
そのあとにやたら滅多に言葉を足して修飾していくわけです。
つまり文の始めで
すっかりそのフレーズの骨組みは完成するわけです。

日本語は逆。
最後の最後まで聞かないと
「肯定」であったのか「否定」であったのかわからない仕組み。
この曖昧さが日本語の表現を豊かにしているともいえますが。

しかし、この差は大きいですよね。
まず通訳なんかしていると非常に難しい。
イタリア語から日本語に訳すのは比較的楽なんですよ。
最初に「肯定」か否かがはっきりするので
日本語にしたときには
最後で調整してあげればいいのです、文末で。

ところが逆の場合は
日本語を最後まで聞いて確認して
イタリア語にしないと
まったく逆のことを言ってしまうという罠に
はまる可能性があります。
なので、同時通訳はできかねる(と私は思う)のです。

最近では回りくどい日本語の言い回しを聞いていると
(二重否定とかねぇ)
「さて、今のは何を意味していたのだ??」
と思考回路が一瞬とまってしまうことがあります。
で、イタリア語にしてしまうと
ただの肯定文(ちょっと強調つき)に成り下がっていたりして
それこそ、こういうニュアンスじゃなぁいと
地団駄踏むことになります。

j-tentenさんのところでは
この構文の静岡弁に関して説明があるのです。
私も静岡県民。
はて、そういう使い方をしているかしら?
いわゆる倒置的強調構文だと思うんですけどね。
気づかないうちに使っているんでしょうね、きっと。
ということは静岡県民は実は外国語の習得に向いているのか?