パリの友人たちの思い出-フィオナ(3)

 

 フィオナとは、どうやって友人になったのか、よく覚えていない。同じクラスだったので、自然に口をきくようになったのだろう。授業は昼までで、生徒は同じ建物に付属している食堂で昼飯を済ませてから自宅や仕事場に向かう者が多かったが、昼食はとらずに同じく学校付属のカフェテリアでお茶だけを飲む人間もいた。私がそうであり、フィオナも同様だった。私はエスプレッソを飲みながらタバコを吸うのが好きで、フィオナは紅茶にタバコ。そんなことで彼女と会話するようになったのだと思う。

 フィオナは、北駅から出る郊外線で通っていた。ブルジョワの大きな家に住み込み、ベビーシッター兼英語教師兼家事手伝いをやっていた。朝、子供を幼稚園に送り、その足でパリに出てきて授業を受け、三時までに戻って子供を引き取り、家で遊びながら子供に英語を教え、夕方は食事の用意を手伝うという生活だ。頭の回転が速くて動作もテキパキしていたので、良い働き手だったと思う。土曜と日曜は完全に休日となるので、それを利用してフランス人に英語の個人授業をやって小遣い銭を稼いでいた。

 フィオナのプロフィールで、もう一つ付け加えなければならないことがある。それは、ケルト人特有のきわめて繊細な感受性を持っていたことだ。普段は、大声で笑ったり怒ったりしているので気づきにくいのだが、ひょんな時にそんな「本性」が出てくる。

 この学校に通い始めた頃、私はリュクサンブール公園近くのゲイ・リュサック通りにある滞在型ホテルにいた。ホテルとはいっても、バルザックの小説に出てきそうな昔風の下宿屋である。決まった時刻に食堂に集まり、当たり障りのない話をしながら食事をすませ、部屋に戻るというスタイルだ。

 ある朝、食堂へ行くと、ホテルの女主人が「今朝の騒ぎ、知っているか?」と尋ねてきた。私の部屋は中庭に面しているので、表通りの物音はほとんど耳に入らない。「知らない」と答えると、マダムはべらべらと早朝に起きた自殺のことを話してくれた。このホテルの五階に投宿していたポーランド人のジャーナリストが投身自殺したらしい。私が朝食を取っている横で、彼女は遺体の発見時の様子や警察の取り調べなど、事細かに説明してくれた。

 その日の午後、カフェテリアでフィオナとお茶をしている時、その話をした。すると、フィオナは「ひっ」と小さい叫び声を上げ、「悲惨な人生だわね」と言ったきり、普段はとても饒舌なのに下を向いてしばらく口を利かなかった。