前のFile 126で採り上げた堀辰雄の『風立ちぬ』。そのタイトルの元となった詩『海辺の墓地』の作者ポール・ヴァレリーの小エッセイです。若き日に大いに影響を受けたマラルメについての回想になっています。本文中にもある通り、ヴァレリーは、マラルメの晩年にはすでに自分の作品を発表するのを止めています。そして、その理由の一端が、まさに彼が傾倒し師事したマラルメの詩作に由来することも本文中に語られています。短い文章ですが、マラルメやヴァレリー自身の文学観の本質に触れるような鋭い分析や見事な表現がちりばめられており、詩人と思索家の両面を持つヴァレリーの本領発揮というところでしょうか。
坂口安吾が、この訳文を雑誌に発表したのが昭和六年(1936年)で、ちょうど彼が処女作を書いた年と重なっています。こういった翻訳で生活費を稼ぐと同時に、作家としての才能を磨くための肥やしにしていたのでしょう。安吾がなぜこの文章に着目したのか、経緯はよくわかりませんが、マラルメのサロン「火曜会」の存在は、かなり早くから日本でも知られていたようで、夏目漱石もそれに言及しています。

坂口安吾(1906~1955)は新潟県出身の小説家。十代で仏教思想に傾倒したが、その後文学に興味を移し、多彩なジャンルの作品を発表し始める。戦後は、太宰治らとともに「無頼派」と呼ばれ人気作家になったが、薬物中毒とうつ病で健康を害し、四十九歳の若さで死没した。