セーヌ川のほとりに建つ大きな宮殿の中。
道に迷い偶然足を踏み入れた小さな部屋で僕は彼女と出会った。
柔らかな光が差し込む部屋で彼女はレースを編んでいた。
「あの、ごめんなさい。出口が分からなくなって‥」
「・・・」
「何を作っているの?」
「・・・」
「いつから編んでいるの?いつごろ出来上がりそう?」
「・・・」
彼女は僕の問いかけに聞こえないようで熱心にレースを編み続けていた。
手元に目を落としたまま。
日本語はわからないのかな。
僕はしばらく彼女の手元を見つめていた。
多くの人が出入りする宮殿の中でなぜかそこは僕と彼女だけの静かな時間だった。
「そろそろ帰らなきゃ。君はずっとそこにいるの?いつかまた会える?」
「・・・」
最後まで言葉を交わすことは出来なかった。僕は静かにその部屋を後にした。
次に彼女に会ったのは10年前。夏のロンドン。
どうやらレースは編み終えたらしい。彼女の様子が変わっていた。
広い部屋。大きな窓から光が入る明るい部屋で彼女はヴァージナルオルガンの前に立っていた。
僕が入って来たのに気付き顔を上げていた。
「やあ、久しぶり。元気そうだね。」
「・・・」
「ピアノの練習かい?弾いてみせてよ。」
「・・・」
ほんの少しだけはにかんだような微笑んだような表情で彼女はそこに立ったままだ。
部屋を見回して気付くと座る人のいない椅子、キューピットの絵、旅先の風景画。
「あ、彼氏ができたんだ。今は旅行中なのかな。ラブソングの練習だったのかな。」
「・・・」
あいかわらずはにかんだ微笑みを浮かべるだけだった。
「じゃ練習の邪魔にならないように僕は帰るよ。またいつかどこかで。」
「・・・」
2012年。上野 東京都美術館
梅雨の晴れ間の蒸し暑い日。僕は上野公園を歩いた。彼女は日本にいる。彼女に会える。
今までの偶然の出会いと違う。僕は彼女に会うために出かけた。
美術館の奥まった特別展示室。薄暗い部屋の一番奥に彼女はいた。
そこだけがスポットライトで照らされたように明るく輝いていた。そして
彼女は僕を見ていた。
帰ろうとするところだったのか、こちらを振り向き僕と目が合った。
僕はゆっくりと観衆と共に列を進め彼女の前に向かった。
「また会えたね。今日はまた素敵な服だ。そのターバンは流行ってるのかい?」
「・・・」
「ピアスもかわいいね。シンプルで上品でとても似合ってる。」
「・・・」
どうもスムーズなコミュニケーションがとれない。
僕に投げかけられた視線は何かを訴えかけるような、いや逆に拒絶するような、人の心を見透かすような強さだ。
「大人になったってことだよね。ところで君はいつも一人だ。淋しくないかい。」
「・・・」
300年以上、彼女は前を行き過ぎる人を見てきた。僕もその一人だ。覚えてなんかいないだろう。
恋人でもなく友人でもなく家族でもなく。それでもわき起こる感情は何と表現すれば良いのだ?
答えを見つけられぬまま時が過ぎた。
「もう帰らなきゃ。また会えて本当にうれしかったよ。僕はきっともう長い旅に出ることは無い。
また会えるなんてことがあるのだろうかね。それじゃさよなら。」
「・・・」
見物人の列に押されて僕は彼女の前を離れた。
部屋の出口でふりかえると彼女が僕を見ていた。
上野公園の人混みを歩きながら僕は「フェルメールブルーの誘惑」というフレーズを思いついた。
いつか使えるかな。
今日のBGM ブルーつながりということで
Blue’s Moods /作者不明

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