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4、見世物小屋からの招待




私が住んでいた町の神社の夏祭りは、夏休みの最後の土曜日と日曜日に行われることが多かった。

金曜日の午後から準備が始まって、普段またいで遊んでいる狛犬や碑が祭りの飾り付けでほとんど目立たなくなってしまう。待ちきれない子供は、金曜日の夕方から行くが、まだほとんどの店はやっていなかった。まあ、店によっては相手をしてくれていたが。祭りは、土曜日が朝から夜の9時くらいまで続く。日曜日は、夕方店じまいが始まるので、やはり盛り上がるのは土曜日の夜だった。

日曜日の昼前に、7歳の私はお姉さんに返すためのお金30円を持って、祭りに行った。
まず、一番最初はやはり、見世物小屋のあたりに行ってみた。お姉さんは今日も見世物小屋を見に来るだろうか。

日曜日も昼前では、まだ出店も開いていないところが案外と多かった。祭りのBGMも流れてはいない。ほとんどが午後からのようで、当然お客も、それを知っているので、あまり来ていない。そこら辺でうろうろしているのは、近所に住む私のような世間知らずの子供がほとんどであった。これでは、やはりまだお姉さんも来ていないだろう。

見世物小屋もまだ入り口でおじさんの口上は始まっていなかった。
それでも昨日と同じで、お祭りの象徴であるかのようにテントは燦然とそびえている。
テントの入り口はあいていた。入れるようであった。
そこにお姉さんがいないと知りつつも、なぜか相変わらず妙に好奇心がわき出して、おそるおそるテントの中に入ってしまった私である。

中は、電灯が一つだけついていた。

誰もいないのかと思っていたが、誰かいた。

いや、誰かどころではない。

口上のおじさんと、大人が2、3人。子供が一人?
そして、ヘビ女のおミネおねいさんもいた!

彼らは、安っぽい木製のテーブルとイスに座って、ラーメンを食っていた!

「あ、ヘビ食ってない・・・」

思わず私はつぶやいた。
でも、大人たちには聞こえなかったようだ。
しかし、気づかれた。
ヘビ女は、やっぱり普段は出前のラーメンを食っているのだ。ヘビだけじゃないんだ。

「オイ、ボーや。まだだよ」

一緒にラーメンを食っている大人が、私に声をかけた。
「まだ来ちゃダメだよ」
口上のおじさんだ。よく見ると子供だと思っていたのは、こびとのミーちゃんだった。
すると、ラーメンを食っていたヘビ女おミネおねいさんがどんぶりと箸を置いて、おじさんたちの方にまあ、いいじゃないか、と言って、笑顔で立ち上がった。

そのとき、私の目には驚くべき光景が飛び込んだ。

彼女は「びっこ」をひいて歩いているのだ(!)

いや、彼女は、義足だったのだ!!

足のすねのあたりは、金属と木でできていた。

傷痍軍人をご存じだろうか?

傷痍軍人は、最近は見ないが当時繁華街などでよく見かけた。太平洋戦争により怪我をして手足を失い、そのため義足をつけていたり、片手になっていたりして、アコーディオンかなんかひいて、道行く人たちに寄付をもらっていた(中にはどう見ても、戦争に行ってないと思われる歳の人もいる)。だから、義足を見たのは、初めてではなかった。

しかし、あの威勢のいい野獣のようなヘビ女おミネおねいさんがよたよたと義足の足で私の方に歩いてきたのは、さすがにショックだった。
そうだったのか!
彼女が番台の上に乗っかって、こびとのミーちゃんのように舞台(と言ってもロープが貼られている地面)に降りて、動き回らなかった理由が、わかった!
彼女は、あまり動き回ることはできなかったのだ!

驚愕にたたずむ私に、

「ハイヨ、持っていきな」

ヘビ女おミネおねいさんは、飴を手渡した。
やはり、そばで見ると美人だった。でも、足は義足だったのだ。
そして、なんと昨日のお姉さんたちと同じように私のほっぺたをつねったのだった。

「またあとで来てよ」

また・・・と言うことは、私の顔、覚えられていたのか?
私は、うなずくと、あわててテントを飛び出した。驚きと怖さと恥ずかしさの入り交じった複雑な気持ちで走り去った。
ヘビ女にかわいがってもらってしまった!やっぱ、年上にもててしまった!

結局、浴衣の上級生のお姉さんに会うことはなかった。
と言うか、実は、そのお姉さんたちの顔はもはや覚えていなかった。やはり見世物小屋の記憶があまりにも強烈なため、日常の人たちの顔は記憶に焼き付けられなかったわけである。私の記憶に残ったのは、やはり、ヘビを食う美人と、こびとのジャイアント馬場であった。

そして、最後に見たヘビ女おミネおねいさんの義足だったのだ。

親にもらった、30円は遊んで使ってしまった。親には内緒で。

見世物小屋では、その日は子供たちに飴が配られたらしい。私がもらった奴と同じだ。
あのとき、飴をもらったときに、ヘビ女に誘われたけど、その日、見世物小屋には行くことはなかった。
やはり、あれ一度きりで、私の見世物小屋体験は終わったのだった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




10数年たち、大人になって、一度だけ「見世物小屋」に出会ったことがある。

ああいうものが、人権だとか何とか騒がれてしまい、今ではもう廃れてしまったと思っていた。
それは、新宿の花園神社という警察署やゴールデン街に隣接したところで、そこのお祭りでやっていた。

そのころ、私は新宿に住んでいた。人々からは新宿鮫と呼ばれおそれられていたのだが(嘘)、ふと帰り道に神社を通り抜けようとすると、その日は夏祭りの真っ最中だったのだ。
そして、大きなテントに、あの見覚えのある「きいちのぬりえ」のような絵で描かれた垂れ幕がかかっていた。そこには、オオカミ少女のような絵と、ろくろ首の絵が描かれていた。ヘビ女とこびと娘はいなかった。

体の不自由な人を売り物にする見世物はなくなったのではないだろうか。
入り口の口上をしているのはどちらかというと若いおじさんだった。入場料は800円!あのころ30円だった見世物が、20倍以上値上がりしていた。私は、高いと言うことではなく、もう見る気はなかった。

今になって思うと、あの二つクビの牛も、どう考えても作り物だった。結局は、インチキの子供だましだったのだ。800円も払って、偽りある看板に乗る必要もないことは、もう理解できていた。

考えてみると、あのころの見世物小屋は、本当に見世物小屋だった。体が不自由でも、何とかそういうことをやって糊口をしのぐ人たちの集団だったのだ。そして、あのラーメンを食っていた中にいた数人の大人は、たぶんその集団の仲間、つまりサクラだった。やけに、威勢のいいかけ声が多かったのはそのせいだったのだろうと思う。

ヘビ女おミネおねいさん、こびとのミーちゃん、口上のおじさん、サクラ・・・彼らは、それでも精一杯生きていた。そこにいた人間は本物だった。
それも・・いや、それが彼らの人生だったのだ。今頃、ヘビ女やこびとのミーちゃんはどうしているのだろう。結構いい歳になっているはずだ。
見世物小屋や出店を背にして神社の出口に向かって、私は歩き始めた。

そのとき、

境内を通り抜けようとすると、ふと私の後ろから

「食うぞぉぉーーっ!!」

という声が聞こえてきた。



はっと思って立ち止まり、振り返ると、見世物小屋の入り口で、相変わらず口上のおじさんが元気よくしゃべっているだけであった。

まさか・・・
いや、気のせいだろう。

私は、再び歩き始め、神社をあとにした。

子供の時に見た不思議な世界は、大人になると不思議ではなくなるものである。
でも、そのとき聞いた声は、大人になってもまだ子供の心を忘れられない私への、不思議な世界からの呼び声だったのかもしれない。

そう・・・
それは、「見世物小屋からの招待」だったのである。







(完)




補足・



ある記事を見た。

昔、自分がこどもの頃であった、ある人がでていた。

ネット上である記事が目にとまった。

「ヘビ女おミネ太夫、引退へ」

「新人ヘビ女、小雪ちゃん登場」

おミネさん!!!!

ずいぶんとご年配のようである。

なんか、65歳くらいとか言っているから、私の歳から逆算すると、あの頃には、二十歳前後になる計算だ。


はたして、あのとき私が会った義足のヘビ女が、このおミネさんかどうか定かではない。

が、文中では、ヘビ女の名前は、おミネさんとしておいた。


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11/20に、新宿の花園神社で、酉の市(二の酉)があり、そこには、きっと見世物小屋が来ると思います。
見世物小屋。
この、奇妙な世界に興味を覚えた方は、ぜひ、見に行ってみてください。いいか悪いか分かりませんが、「ある体験」となることでしょう。
そんな思いから、この駄文を、ここにしたためてみました。
長文、ご拝読、ありがとうございました。


おしまい



ペタしてね
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11/20、新宿の花園神社に、きっと見世物小屋は、来るだろう・・・

過去の屈折を引きずってでも・・・・






3、見世物小屋の屈折



「お代は見てのお帰りだよ」という客寄せおじさんの口上の誘惑に負けた私は、子供だから、ただでとりあえず見れるものと勝手に思いこみ、見世物小屋に入り、ヘビ女とこびと娘の芸に圧倒されるのだった。

ハワイアンの格好をしながら、藤娘を決めるという無謀な曲芸技に、わたしは子供だったせいか、そのアンバランスさには何の疑問も抱かなかった。
いや、見世物小屋には、そんなアンバランスを日常にしてしまう魔力があるのかもしれない。

しかし、彼女が、ちょきちょきと切った白い紙は、立体的にダラーンと垂れ下がり、藤の花の形をしていたことは、確かなのである。
こびとのミーちゃんは、ひょいとできあがった切り紙細工を客席に差し出した。

「もらえるよ」

私をロープ際特等席に置いてくれたお姉さんたちは、自分が持っている同じ藤の花の切り紙細工を持ち上げて説明してくれた。
「もらいなよ」
何せ、ただで見に来ているので、そんなものをもらってもいいものか悪いものかわからず、再びおどおどとしてしまった私だった。
それに実を言うと、カラフルなというか、度派手な格好をしたこびと娘が作った切り紙細工が、一種異様な感じもしたことは確かである。見世物小屋のアイドルとなっている、こびと。7歳くらいの私と同じくらいの大きさでありながらも顔がでかい。変わった人であることは確かなのだ。変わった人が作ったから、なんか変わったものとしか思えなかった。こわかったのである。
でも、勇気を出して、手を差し出した。

「ハイ!」

ミーちゃんが、切り紙細工をくれたのは、先ほど、ヘビの頭が飛んできて、悲鳴を上げてよけた親子だった。
一瞬、私の気の迷いが、綺麗な紙細工を逃してしまった。
「あーあ」お姉さんは残念そうだった。「もらえばよかったのにィ」
私は、でも、ほっとした。
あんなもの、家に持って帰ったら、どこに行ってもらったんだ、と親に追及され、勝手にひとりで見世物小屋に入ってしまったことを怒られるかもしれないし。でもって、小人にもらったなんて、ワケのわからんことを言い出したなら、家をたたき出されるかもしれない。
もらわなくて、ほっとした気持ちが大きかった。

しかし、ほっとするのもつかの間、最後の出し物が待っていた。

音楽が鳴りやんだ。

「さて、本日お越しの皆様にこれからお見せするのは!・・・」ミーちゃんが急に真剣なまなざしで口上をはじめた。

ううっ!!ついに、出るのか!
「二つのクビを持って生まれた赤ちゃん!」

それも、あの布の下にあるものがそうなのならば、先ほどちらっと見えたのは「骨」である。もう死んでいるのだ。その骨がここにあるわけなのか!

二つのクビを持った赤ちゃんの骨が!!

ミーちゃんは、ヘビ女の側に歩み寄り、そこにある箱を開けた。
なんとそれは、紙芝居の箱だった。
見世物小屋は、一転、紙芝居小屋に変わった。

「神の思し召しか、はたまた悪魔のいたずらか?」

最初の紙を引き抜くと、

オオーーーー!!!!!

そこに描かれている絵は、昔で言えば、「きいちのぬりえ」のようにカラフルで可愛い絵であった。
その図柄は、「誕生」である。キリスト誕生みたいな絵で、お母さんに抱かれた赤ん坊と、それを見守る天使たち。しかし、赤ん坊の体は一つなのに頭は、二つある!!

シャム双生児である!

シャム双生児という言葉は、当時知らなかった。
しかし、そういう奇形の子供が生まれたとか言う話は、子供の私でも聞いていた。それでも、さすがに、実物は見たことがなかった。

「光が天よりましましたその夜に、この子は生まれたもうた」とか何とか、ミーちゃんの前口上が神父の説教めいたものになってきた。

「そして、神がこの世に生ませた命は、この子だけではありません」そりゃ、そうだ。
ミーちゃんは、次の紙芝居に移った。

ががーーん!!

そこには、今度は、人間の子供ではなく、「牛」の子供が描かれていた!!!
それも、クビが二つある牛である!
牧場で、ある朝、農夫が生まれたばかりの奇形の牛を発見して驚いているような図柄である!
「アメリカのテキサスの農場で、5年前、光が流れた次の朝、生まれた仔牛は、神の使いだったのです!わたしたちの苦難を助けるために、神が使わし、わたしたちの苦しみをこの子がすべて引き受けたのです」少し、子供の私には、難しい内容になってきた。でも、話題は、二つのクビを持つ赤ちゃんと言っても、二つのクビを持つ「牛」の赤ちゃんへと移っていた。

「そして、この子が今ここに来ています!ご紹介しマース!」

さっきから風呂屋の番台の上みたいな箱の上に座っているヘビ女のおミネおねいさんが、自分の脇にある布をつかんで、ばっとそれをはぎ取った!!

「ワアアーーーー」
「オー!」
「あれが?」
「いやだー」


大人はみんな驚いている。
そこにあったのは、前足が骨になってむき出しになった、二つのクビを持った仔牛の死体であった!!

「ぎょええーーー!」と、私は思っていた。ホントは、二つのクビを持った人間の赤ちゃんを期待していたのだが、まあ、二つのクビを持った牛でも、驚くべきものはあった。
その上、気持ち悪い肉屋にぶら下がっているみたいな赤い血のりがついている骨格だ。とにかく、やっぱり驚いたのである。

「さあ、皆さんで、この人間の苦しみを背負って旅立った仔牛のご冥福をお祈りしましょう・・アーメン」
いつの間にか、キリスト教の世界になっている。
考えてみると、ここは神社なのに!
それに、せっかくこの世に生を受けたけど、すぐに旅立ってしまっては、やはりかわいそうである。でも、私は訳もわからず、両手を合わせて「アーメン」と心の中で唱えていた。ちょっとおかしいが、まあいいだろう。

ヘビ女おミネおねいさんは、お祈りが終わると、すぐにまた、布を仔牛の死体にかけた。
あっという間の、邂逅だった。あの牛に見えた世界は、どういうものだったのだろう。目が四つあると、ものがどのように見えたのか。どっちの口でえさを食ったのか。ホントは、おミネおねいさんかミーちゃんに聞きたかった。

「もう、おしまいだよぉ」お姉さんが私に耳打ちしてくれた。
これで、おしまいか・・・

「本日はありがとーございましたー!!」「ありがとうございマース!」ミーちゃんとヘビ女おミネおねいさんは二人で、観客席に向かって頭を下げた。

本当に終わりだ。

終わりの挨拶である。

「お帰りは、左手、あちら側でございます。お一人様30円。このかごに入れてください」
ミーちゃんが買い物かごみたいなかごを出した。
お客は、一斉に出口に向かって歩き出した。
「はーい!ありがとうねー!」
威勢のいい、ヘビ女おミネおねいさんの声がみんなを送ってくれている。寄席などでよく聞く、送りの太鼓のようなBGMが流れはじめた。

ううっ!!
金持っていないんだよ!
誰もいなくなっていく観客席に一人たたずむ、ボク・・・

さあ!どーする!!!!????



昭和の激動、見世物小屋の出し物は、ヘビ女のおミネおねいさんがヘビをかじって吐き出すという大技と、こびとのミーチャンがフラダンスの衣装で踊りながら切り紙細工をやって藤娘を演じるという変則曲芸技と、二つクビの牛の赤ちゃんの死骸を見せるというねじ込み技の3部構成で終わった。

のべ30分もあったのだろうか。子供にとっての30分というのは結構長い。
なんだかんだ言って、こびとのミーちゃんの盆踊りが一番ボリュームがあったようだった。
「お題は見てのお帰り」と言われて、なぜか払わなくてもいいだろうと甘い考えを持って小屋に入った私であったが、みんな入り口とは逆の出口(ま、出口は普通入り口の逆のことが多いが)から出ていきながら素直に30円払っていくのを見て、さすがの無知な子供であった私も不安のどん底に落ちる気分がしてきた。
たとえば、無銭飲食みたいなもんで、警察に突き出されてしまうのでは、という不安も覚えたものである。

テントのはじっこの布の壁を見ても地面とは石が置かれていて隙間ができないようにされていた。そこから逃げることはもはや不可能であった。
だんだんと人が減っていき、あと少しで「泣いてごまかそうか」という変な理屈をつけて、泣きたくなってきた情けない私を救ってくれたのは、まあ、想像がついただろうけど、例の浴衣姿の二人のお姉さんたちだった。

「帰らないの?」
「うーん・・・」
「まだ見るの?」

ちらっと、お金入れのかごを持って出口に立っている、こびとのミーちゃんがこちらに目線を向けた。
お姉さんたちは、すでに、2度目だということで、目をつけられていたのだろう。
ヘビ女おミネおねいさんはいつの間にか控えの方に消えていた。

「はーい、次のお客さんが待ってますからねー」とこびとのミーちゃんに、はっきり言われてしまった。もしかして、このままいて、次の公演が始まるとき飛び出せば、まだ見てないからお金いらないでしょ、と言えたかもしれないという悪知恵があったのだが、ダメそうであった。
「さあ、出よう!」お姉さんが私の手を握った。
「お金がないの・・」と、ボク。お姉さんに手を握られたこととお金がないことで顔は真っ赤になっていたに違いない。頭がかっと熱くなっていた。
「じゃ、いいよ!」と、お姉さんが財布から30円出してくれた。「はい、この子の分もね」
「ありがとーございまーす!」ミーちゃんが笑顔で、言ってくれた。
「さ、行くよ」お姉さんは私の手を引いてくれた。

お姉さんは天使だ!!

見ず知らずのガキに、まず入場したときから面倒を見てくれて、3部構成のイベントの度に、解説をしてくれた。切り紙細工はもらおうとしてくれたが、タッチの差だった。そして、帰るときにも、私のことを気にかけていてくれたのだった。実はもしかすると、同じ小学校で、私の顔を知っていたのかもしれないが、定かではない。

(えーとですね。考えてみると、私、ついこの間やせていた20代まではなぜか年上にはもてていたんですね。年上と言っても、田舎の方に仕事に行くと、「お兄ちゃん、いい男だねえ」てなノリでおばあさんにからかわれていただけなのだろうけど、まあ、相手にされないよりかはマシか・・(そうか?)

よく女の子にも間違われ、便所にはいると掃除のおばさんに、「女の子はあっちだよ」と言われたこともあります。今見ても、可愛い頃だったと思います。そんな子供だから、上級生のお姉さんは可愛い弟みたいだと思ってくれたのかもしれないと、今では勝手に解釈しているんですが、まあ、プロフィルの顔を見て、この場面を想像していただけばどんぴしゃりだと思います)

でも、照れ屋で決断力の鈍い当時のボクちゃんだから、はっきりと「ありがとう」とお姉さんに言えなかった。

なぜだろう。

お姉さんは鮮やかな浴衣姿だし、確か顔もきれいだったと思うんだけど、私の世代というのは、女の子と話をしていると「やーい、おまえ、女が好きなんだろう!」とからかわれる世界だった。
どうしようかと迷っていると、お姉さん二人は、なぜか私のほっぺたをつねっていた。
「柔らかいねえ」たぶん、お姉さんといっても小学生6年くらいだから、彼女ら自身のほっぺただって柔らかかったのだ。でも、赤ん坊みたいな私のほっぺたを触って、なんか満足したのだろうか、最後に私の頭をなでて「じゃあね!」といって、お祭りの喧噪の中にお姉さんたちは紛れ込んでいった。

小屋に入るときに夕暮れだった神社の空は、もう暗かった。しかし、地面では様々な出店の電灯がつき、昼間のように明るく見えた。お神楽堂の踊りが始まって境内はますますにぎやかさも増していた。

これで良かったのかな、と判断が付かずに、私は、呆然とお姉さんを見送り、彼女らの姿が見えなくなると、早く彼女らのいるところから離れたいと思い、かけだした。なぜそんな気持ちだったのかわからないが、きっと、お姉さんにまたほっぺたを触られるのが恥ずかしかったからかもしれない。「ありがとう」と言えなかった自分が恥ずかしかったのかもしれない。

見世物小屋では、またおじさんの口上が始まっていた。
先ほどよりも、もっと入り口に集まった人の数は多かった。
帰り道で、浴衣姿のきれいなお姉さんと一緒に見世物小屋を見たのが甘酸っぱい思い出に変わっていった。


ま、家に帰って、よそのお姉さんに見世物小屋をおごってもらったことを話したら、こっぴどくしかられたのは、言うまでもない。

その夜、
親は、私に30円を渡した。
「明日、お姉さんに、返しなさい」

とは言っても、果たして、明日もお姉さんに会えるのだろうか!?


(つづくーーー!!)


続きは、Webで!!!

(って、当たり前だろう。そりゃ・・・)



待っている衝撃の真実!!!


そして、現代・・・

21世紀、ヘビ女との再会なるか!!!!?