私の好きだった利用者様の中に加代さん(仮名)という方がいる。

 毎日お化粧をされていて、ピンクや薔薇モチーフが好きなおばあちゃん。私が部屋に伺うと、「あら、あなたいらっしゃったのね」と、とても上品にお話しされる。

 お話しを聞いていると、「今日はデパートの外商さんがいらっしゃるの。カクテルドレスを10着頼んでいるのよ」とか、「姉妹4人で年に1回はホテルでお食事をする決まりなの」など、もともとかなりのお嬢様だったのかな?と思える発言がとても多かった。 私が庶民的な話をすれば手を口に当てて「オホホホ…、あら、あなたそんななの?」と、本当にオホホと笑う。

 

 ヘルパーが「〇〇しましょう」と言っても、気分が乗らないと「いや」と言って顔を背けたり、鼻で笑って無視を決め込んだりの介助拒否が時々見られ、ヘルパーの中には「加代さんの話は全部ウソだ」と信じなかったり、「お高くとまってて苦手」といったりする人もいた。でも、私は外商でカクテルドレスを買う(実際には1度も外商さんは来なかったし、ホテルで外食される事も無かった)という加代さんが好きだった。

 

 加代さんは子供が大好きだ。外出時に小さな子を見ると目を細めて「まぁ、可愛らしい。あらあらあら、本当にかわいいわね~」と言い、テレビニュースで小さな命がなくなったと聞けば本気で泣いて悲しんでいる。

 加代さんに「私はね、授かれなかったの。あなたはお子さんは何人いらっしゃるの?かわいいでしょうね」と何度も何度も聞かれる。加代さんに悪気は全くないのだが、子供を授かる事ができなかった私にとって、その質問は胸がえぐられる思いだった。

 

 私も授かれるものなら授かりたかった。結婚当初は深く考えもせず、そのうち…そのうち…と思っていた。でも、色々と無理な状況が続いてしまい、今はあきらめてしまっている。(くろさんとは仲良しなのですが、いろいろ、本当にいろいろとあるんです)

 今の状態なら仕方ないよね、この仕事してる限りはね…、と同僚に言われる事もあった。きっと悪気なんかないし、むしろ私を憐れんで言ってくれているのだろうけど、「子供を作るより大事な事があるでしょう?」と言われているみたいで切ない。

 正直、わたしは子供を授かれて産めるなら今でも欲しいと思っている。それ以上に大事な事なんかこの世にないし、その夢が叶ったとしたらいつでも今の全てを捨て去る事が出来ると思っている。

 

 子を授かれなかった加代さんと私。

 子供を見るたびに頬を紅潮させて可愛い可愛いと無条件に喜び、「あなたは何人お子さんがいるの?私は出来なかったの」とお腹をさすりながら毎日のように聞いてくる姿を見て、加代さんに自分を重ねてしまっていたのかもしれない。

 

 そんな子供好きの加代さんは、はぴねすコーポに引っ越してくる前は病院に入院されていたらしい。

 入院してしまう前の生活はどうだったのか…。もちろんフェイスシートはあるのだが、詳しい生い立ちやご家族の事など、加代さんの昔についてはあまり知られていない。

 

 フェイスシートの情報や、ケアマネから伝え聞いたところによると、入院された時にはすでに認知症になってしまっていて、連絡を取れるご家族もいらっしゃらず、詳しいフェイスシートを作る事が出来なかったそうだ。現在の加代さんの疾病や心身の状態に間違いはないが、過去の出来事や生い立ちについては詳しく聞き取れなかったらしい。

 入院治療で元気になって退院するにしても、持病や認知症を考えると退院後に一人で生活をするのは困難な状態。役所の方も色々調べたがご家族と連絡を取る事が出来ず、病院のワーカーさんが色々と施設を探した結果はぴねすコーポに入居されたらしい。

 

 そんな謎多き貴婦人の加代さんは、いろいろな病気を抱えながらも10年以上はぴねすコーポに住んでいた。新人ヘルパーのわたしに対しても、ベテランヘルパーに対しても態度を全く変えず、加代さんらしくオホホと鼻で笑いながら過ごしていた。

 しかし、年齢も90歳を迎えようとしていた時に大病を患ってしまい、数か月の苦しくて辛い闘病後に亡くなられてしまった。

 

 お骨になった後、役所の方が探してくれても加代さんの行先は見つからなかった。

 施設などで亡くなって、お骨の引き取り手が見つからない場合、公営霊園にお骨を収める事が多い。

 色々悩んだ末に、我が家で加代さんを預かることにした。夫のくろさんも私と同じ思いだったようで「連れて帰ろう」と言ってくれた。

 

 うん、わたしもくろさんも、よくよく考えなくても普通ではないかもしれない。

 親類縁者でもない、ただのヘルパーと利用者という間柄のくせに、利用者のお骨をヘルパーの自宅で預かるなんて一般常識的にあり得ない事だと理解している。それでも、なぜだか自然にうちで預かろうと思っていた。

 

 お水をお供えして手を合わせる程度だったが、毎朝おはようと声を掛けていた。なんとなく、いつかご家族が見つかるかもしれない、大好きだった小樽に帰れる日が来るかもしれないと勝手に信じていた。

 

 加代さんが我が家に来てから半年以上経った頃だろうか。区役所から会社に一本の電話が入った。

 「見つかりましたよ!」

 加代さんの姪御さんという方と連絡が取れたという吉報。

 

  施設長は姪御さんとの面会に私も同席するように言ってくれ、入居中の加代さんの様子を少しだけお伝えする事が出来た。

 姪御さんは「私の母もずっと探していたんですよ。私もおばさんはどこに行ってしまったんだろうと思っていたんです。色々とお世話になったと伺っています。ありがとうございました」と言ってくださり、大事に大事にふろしきに包んで加代さんを小樽に連れて帰った。

 

 

 ほっと胸を撫でおろしたのも束の間。

 実は現在我が家に一人迎え入れている人が居る。11月に亡くなった方だ。

 そして今月、またもう一人増えてしまうかもしれない。

 

 さすがに我が家が納骨堂になってしまいそうな状態だ。どうしたものかと考えあぐねている…。