そんなこんなで、初任者研修を片手に北海道の地に足を踏み入れた。

 かなり省略しているが、その前に何度も東京と北海道を行き来して、結婚後の住処を探したり、引っ越しの準備をしたり、結婚の準備をわさわさやっている数か月があった。

 幸いくろさんのご両親やご兄弟、その他親類関係の方達みなさん良い方で、私の事を笑顔で迎えて下さったため、北海道に来る前に持っていた不安は引っ越しが済んだ頃には無くなっていた。

 

 引っ越し当初はなかった雪が降り始め、やがて根雪になった頃であろうか、お義父さんから「そろそろ仕事を始めてみたらどうだろう」との提案があり、2つの介護関連会社を紹介していただける事になった。

 

 10年以上振りに書いた履歴書を携えて2つの面接を受けたのだが、緊張で何を話したのか全く覚えていない。とりあえず志望動機は取った資格を生かしたい、実際の介護経験もボランティア経験もないが頑張りたいという事をお伝えしたと思う。これじゃ落とされるかもなと思っていたのだが、お義父さんの紹介という事もあり、面接当日に雇っていただける事になった。ありがたい話である。

 

 1つは高齢者住宅に住む方たちの居室に伺って介護をするという訪問介護事業所の「はぴねすコーポ」(仮名)。時給は750円、スポット職員としてサービス時間のみ時給がいただける。サービスとサービスの間の空き時間は時給が出ない。

 もう1つは今でもあそこがグループホームだったのか、訪問介護だったのか、はたまた別のなんらかの施設だったのか分からないが、とりあえず「介護施設なぞ」(仮名)としておく。時給はこちらも750円、16時から19時の3時間分の時給がいただける事となった。

 

 はぴねすコーポに関しては雇用契約時に「訪問介護員」との明記があり、実際に勤め始めてから書いた記録用紙にも「訪問介護記録」とあったので、自分が何者なのか自覚しながら仕事をしていた。

 介護施設なぞについては、雇用契約に「介護職員」との明記されていたが、勤めた日から退職するまでの間にこれといった記録を書いた記憶がない。バイタルチェック表みたいなものに血圧や体温、食事量と排泄量を毎回書いてはいたが、心身の状況についての記載はしたことがなかった。

 各居室を回って排泄介助などの身体介護や洗濯などの生活援助、入居者十数人の食事の盛り付けや食後の食器洗い、食事介助、服薬確認などもやっていたのだが、今思うともしかしたら「生活支援員」だったのかもしれない。

 

 いずれの職場に関しても、研修という研修が無かったように思える。入社時に現職員の紹介があったわけでもないし、朝礼などで自己紹介した記憶もない。

 他の職員さんと顔を合わせて挨拶は交わすが、その人の名前も知らないし、サ責なのか夜勤なのか、社員なのかバイトなのか、介護職員なのか食堂の調理人なのかも分からないのだ。とりあえず、何日かかけて顔を合わせた人に自分の名前を伝えて回るしかなかった。

 

 事前に訪問介護員とはどういうものなのかとか、生活支援員とはどんな存在なのかの説明も当たり前のようにない。私が担当する時間を担当していたバイト職員が1回目は同行するので、2回目からは一度みた作業を一人でやれというスタイルである。

 記録の書き方についても、前に同じサービスをしている人のを真似て書けばいいし、意味が分からなかったら自分で調べるか、そんな事も知らないの?という顔をされたり、舌打ちをされたりするかもしれない恐怖を抱えながら誰かに聞くしかなかった。

 

 ちなみに、訪問介護記録には「身体1生活1」等の記載が必要だが、最初のうちは身体「1」とか生活「3」の数字の意味も分からず記録を書いていた。