1284 そのイメージだけでは、潜在意識はあなたを《どこへも連れて行ってあげられない》のです。 | alain-pのブログ

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「自分のセルフイメージに反した

イメージがやりにくい、

どうすればうまくイメージできますか?」

という質問について書いてみます。

 

 

たとえば、ある人が、

「私は人とコミュニケーションを

取ることが苦手だ」

というセルフイメージを

持っていたとします。

 

 

そして「人とうまくコミュニケーションを

取りたいなぁ」

という願望を持っていたとします。

 

 

人とうまくコミュニケーションを

取っているところを

イメージしようとしても、

セルフイメージが邪魔をして、

うまくイメージできない、

うまくイメージするコツってありますか?

というような質問です。

 

 

確かに、自分で自分のことを、

○○が苦手だ、と思っていたら、

それが得意になったところを

イメージしようとしても、

なかなか難しいと思います。

 

 

それでも、自分が気になっているところを、

「なんとかしたい」と思うのが人間です。

それは無理もないことです。

 

 

でも、それだと

≪憧れの自分≫になりたい

という夢があるのにもかかわらず、

苦手なことを克服したい!

という願望のほうが強くなってしまいます。

 

 

潜在意識はあなたのイメージを

受け取ります。

たとえ表面上はどんなに、

「こんな自分になりたい!」と

思っているつもりでも、

本心では「こんな自分をなんとかしたい!」

と思っていたら、

潜在意識にはそちらのイメージのほうが、

強く伝わってしまいます。

 

 

憧れの自分をイメージするのは、

今の自分をなんとかするためではありません。

あなたがたとえ、どれほど強い思いで、

「今の自分をなんとかしたい!」と

思っていたとしても、

それでもやっぱり、

あなたが憧れの自分をイメージするのは、

今のあなたをなんとかするためでは

ないのです。

 

 

これまでにもなんどもこの話を

書いていますが、

ラーメン屋に行きたいと望むのは、

今の部屋が嫌いだからではありません。

美味しいラーメンを食べる自分に

なりたいからです。

それがすべての理由です。

それ以上でもそれ以下でもありません。

ましてや現状から逃げるための手段として、

ラーメンを食べに行くわけではないのです。

 

 

あなたがたとえどんなに、

現状に不満があろうとも、

たとえどんなに、

現状を変えたいと望んでいるとしても、

たとえどれほど今の状況に悩み、

その苦しみから逃れたいと

望んでいたとしても、

そのイメージだけでは、

潜在意識はあなたを

≪どこへも連れて行って

あげられない≫のです。

 

 

どこへ行きたいのか。

そして、あなたがどれほどそれを

望んでいるのか。

潜在意識に必要なのは、

その情報だけです。

 

 

今の状況のことが、

たとえどんなに気になっていたとしても、

潜在意識にとっては、

≪そこはどうでもいい≫ことなのです。

 

 

気になっていること自体に

良いも悪いもありません。

「気にしないようにしよう」

なんて言われても、

そんなことは出来ないし、

気にならなくなる方法なんて

あるはずのないものを、

探している時間がもったいないのです。

ましてや気になっている自分を

責める必要も許す必要もありません。

 

 

気になってしまうことは、

それはそれとして。

そことは全く無関係に、

「どうなりたいのか」

あるいは、そこに少しでも近い、

「楽しく人と話が出来た」

のような小さな快があれば、

そのことを思い出してちゃんと喜ぶ。

 

 

ただ愚直にそれを繰り返すだけで、

あんなに気になっていたセルフイメージは

≪いつのまにか≫小さくなって、

あなたも気がつかないうちに、

以前ほど気にならなくなっているはずです。

 

 

もちろん、それもやっぱり

≪いつのまにか≫なので、

いつ気にならなくなったのか、なんて

誰も気がつくことはできません。

 

 

気になっていることをなんとかしたい、

という気持ちは個人的には共感しますが、

そこに焦点が当たっている限り、

あなたにとってそれは、いつまでも

≪気になってしまうこと≫

であり続けてしまうのです。