1041 絶対的な二元論から脱することは可能なのか? | alain-pのブログ

alain-pのブログ

・気になった記事を、保存がてらリブログします
・思ったこと、気付いたことなどを、書いてみます。

私の師匠のブログ
・ワクワクで行こう♪~心の方程式~
http://wkwkdeikou.hatenablog.com/

・野人エッセイす
https://ameblo.jp/muu8/

このブログでなんども書いているように、

良し悪しや善悪、正誤など、

この世界では、常に二元論的な考え方が

一般的には常識とされています。

 

 

でも潜在意識の世界には、

正誤や良し悪しなどはありません。

感情に正しいも間違いもありません。

 

そこにあるのは≪快≫か≪不快≫か

という区別だけです。

 

良い感情や悪い感情、

ポジティブな感情や

ネガティブな感情なんて

そんな区別はどこにもありません。

 

 

『どんなものにも反対の存在があって、

すべてはバランスでできている。

愛を知るために、

愛と反対の憎悪や不安や無関心があり、

光あるところには影がある。

成功と失敗、強さと弱さ、

豊かさと貧しさ、高さと低さ、

あるとなしなど、

世の中は陰と陽が

必ずセットになって存在している』

 

 

そう言われていますが、

はたして本当にそうなのでしょうか。

 

この絶対的な二元論から脱することは

できるのでしょうか?

 

 

他者との比較によって、

はじめて二元論は成立します。

 

だから、概念としての絶対的な存在は

二元論を生みません。

 

≪石≫≪カエル≫≪虹≫などに

反対の言葉や存在はありません。

 

 

なにかと比べて、優劣を見たり、

ジャッジしたりして、

なげいたり、落ち込んだりします。

 

でも本来は、それぞれがそれぞれ、

わずかに違いながら、

存在しているだけです。

 

 

光があれば闇がある、ではなく、

光の明るさも闇の暗さもさまざまです。

 

ほかとの比較なしには、

「明るい」か「暗い」かは

決められないのです。

 

 

すごく明るいものと、

そこまでではないにせよ、かなり明るいもの。

それよりもほんの少し暗いものと、

もう少し暗いもの。

あるいは、まったくの闇ではなく、

ほのかに明るいもの。

 

 

「みんな違ってみんな≪良い≫

ではないのです。

良いか悪いか、という話ではなく、

そもそも違っているのが当たり前だから。

 

 

それぞれが、どんなものとも比較できない、

絶対的な存在として、そこに存在している。

 

それが当たり前のことだ、

ということが分かれば、

二元論からは抜け出せます。

 

 

本来は二元論ではなく、

すべてはグラデーション的に変化し、

差別化されているだけです。

 

 

本当の意味で、

良い虫と悪い虫なんていません。

人間やその時々の都合によって、

そうみなされているだけです。

 

良い食べ物と悪い食べ物が

あるわけではなく、

絶対的に良い人と悪い人が

いるわけでもありません。

 

相手によって、

シチュエーションによって、

時代や場面や状況によって、

人や物に対する評価はつねに変わります。

 

 

絶対的な善悪や良し悪し。

そんなものは現実的には、

この宇宙のどこにもない、

ということに気がつけば、

世の中を構成しているものが、

二元論ではない、ということに気がつきます。

 

 

二元論はものの見方や考え方のひとつです。

すべてはバランス、ではなく、

そういうフィルターで

ものを見ているだけです。

 

≪二元論≫というフレームで

世の中をとらえているから、

すべてが二元論に見えているだけなのです。