このブログでなんども書いているように、
良し悪しや善悪、正誤など、
この世界では、常に二元論的な考え方が
一般的には常識とされています。
でも潜在意識の世界には、
正誤や良し悪しなどはありません。
感情に正しいも間違いもありません。
そこにあるのは≪快≫か≪不快≫か
という区別だけです。
良い感情や悪い感情、
ポジティブな感情や
ネガティブな感情なんて
そんな区別はどこにもありません。
『どんなものにも反対の存在があって、
すべてはバランスでできている。
愛を知るために、
愛と反対の憎悪や不安や無関心があり、
光あるところには影がある。
成功と失敗、強さと弱さ、
豊かさと貧しさ、高さと低さ、
あるとなしなど、
世の中は陰と陽が
必ずセットになって存在している』
そう言われていますが、
はたして本当にそうなのでしょうか。
この絶対的な二元論から脱することは
できるのでしょうか?
他者との比較によって、
はじめて二元論は成立します。
だから、概念としての絶対的な存在は
二元論を生みません。
≪石≫≪カエル≫≪虹≫などに
反対の言葉や存在はありません。
なにかと比べて、優劣を見たり、
ジャッジしたりして、
なげいたり、落ち込んだりします。
でも本来は、それぞれがそれぞれ、
わずかに違いながら、
存在しているだけです。
光があれば闇がある、ではなく、
光の明るさも闇の暗さもさまざまです。
ほかとの比較なしには、
「明るい」か「暗い」かは
決められないのです。
すごく明るいものと、
そこまでではないにせよ、かなり明るいもの。
それよりもほんの少し暗いものと、
もう少し暗いもの。
あるいは、まったくの闇ではなく、
ほのかに明るいもの。
「みんな違ってみんな≪良い≫」
ではないのです。
良いか悪いか、という話ではなく、
そもそも違っているのが当たり前だから。
それぞれが、どんなものとも比較できない、
絶対的な存在として、そこに存在している。
それが当たり前のことだ、
ということが分かれば、
二元論からは抜け出せます。
本来は二元論ではなく、
すべてはグラデーション的に変化し、
差別化されているだけです。
本当の意味で、
良い虫と悪い虫なんていません。
人間やその時々の都合によって、
そうみなされているだけです。
良い食べ物と悪い食べ物が
あるわけではなく、
絶対的に良い人と悪い人が
いるわけでもありません。
相手によって、
シチュエーションによって、
時代や場面や状況によって、
人や物に対する評価はつねに変わります。
絶対的な善悪や良し悪し。
そんなものは現実的には、
この宇宙のどこにもない、
ということに気がつけば、
世の中を構成しているものが、
二元論ではない、ということに気がつきます。
二元論はものの見方や考え方のひとつです。
すべてはバランス、ではなく、
そういうフィルターで
ものを見ているだけです。
≪二元論≫というフレームで
世の中をとらえているから、
すべてが二元論に見えているだけなのです。