日常生活の中での小さな快。
それはとても大切なものです。
小さな幸せで満足しましょう、
という意味ではなく、
その小さな快がやがて、
あなたの人生の軸となり、
あなたのすべての判断力の
基盤となるからです。
小さな快に気づいてそれを喜ぶ、
ということは
自分がいつどんなものに
幸せを感じているのかに気づいて、
その喜びを味わう、ということです。
小さな快を集めれば、
少なくとも、それを意識していなかった
ときよりも、
どんなものが自分を喜ばせているのか、
いつ、なにが自分を幸せにしているのか、
がハッキリします。
好きな食べ物や好きな洋服や、
好きな映画や好きな本なら分かるのに、
好きな対応の仕方や、好きな返信の仕方や、
仕事やプライベートで悩みが生じてしまうのは、
そのジャンルでの自分の好みを知らないから、
≪どうなれば自分が幸せを感じるのか≫を
知らないからです。
小さな快は、あなたの趣味や好みだけではなく、
仕事やプライベートにかかわらず、
日常生活のあらゆる場面に隠れていて、
あなたに発見されるのを待っています。
自分の好みがハッキリしてくる、ということは
自分の生き方の好みがハッキリしてくる、
ということです。
それは≪好みの生き方≫がハッキリしてくる、
ということ。
目の前の状況に対して、
判断を迷わなくなる、ということです。
そうは言っても、仕事は
≪好むと好まざるとにかかわらず≫だから、
好みとか、そういう問題では無い、
とあなたが思ってしまうのは、
日ごろの判断を≪正しいか間違っているか≫
≪良いか悪いか≫で考えているからです。
そのマトリックスで考えている限り、
あなたの≪生き方の好み≫は、
いつまでたってもハッキリせず、
悩みも迷いも無くなりません。
たとえあなたに、
どんなに正しいと思える理由があったとしても、
仕事のすべてを、
あなたは好みで判断しています。
「やらなければいけないから」
「状況的にしょうがないから」
「それが人として正しい判断だから」
「それ以外の選択肢が無いから」
たとえあなたがそう思っていたとしても、
それらはすべてあなたを納得させるために、
あなた自身が自分の行動や選択を
正当化するために、
あなたの心が生み出した
言い訳であり、幻想です。
すべてのあなたの選択は、
正しいとか間違いだとか、
良いとか悪いとか、そんな基準ではなく、
≪より快適な自分になるために≫
≪より不愉快な状態になることを避けるために≫
≪これ以上嫌な目にあわないために≫
選ばれた選択肢なのです。
どんな選択をすれば幸せになれるのか。
もっと素敵な自分ならどちらを選ぶのか。
それを繰り返し検証し、
≪選ぶ前の感覚と、選んだあとの結果≫
を自分の中でデータとして蓄積していけば、
次に同じようなシチュエーションになったときに、
「あ、この感じは前のあの時と同じ感じだ」
「前回はこっちを選んで失敗したから、
今回はこっちにしてみよう」
「この感じの時はうまくいったから、
今回もきっとうまくいくに違いない」
という感覚が少しずつ掴めるようになってきて、
≪どちらを選べば、
より快適な結果を得られそうなのか≫
≪どちらを選べば、より幸せになれるのか≫
という判断の精度が徐々に上がってきます。
その判断基準のセンスが磨かれてくれば、
事前に≪こっちを選ぶと危ない≫ということも
当然分かるようになってきます。
明らかに胡散臭い話や人や、
インチキな実績には、すぐに気がつくし、
ピンチを事前に避けられるようになります。
小さな快を積み重ね、
感覚と結果を検証し、
データを積み上げて作り出した、
≪判断力≫という基準は、
やがて、ゆるぎないあなたの
≪人生の軸≫となります。