MUST、つまり≪やらなければいけない≫
と思っていたからこそ、
これまで無理にでもできていた。
それが無くなってしまったら、つまり
≪やらなければいけない≫理由が無くなってしまったら、
もう、苦痛になって、できなくなるのではないか。
そんな疑問が湧いてくる場合があります。
そう心配する気持ちも分かります。
でも、それは≪そこにあったものをどけてみた≫
というだけです。
MUSTがあることが前提で、
元々あるものを、どけてみただけです。
これではMUSTは無くなったことにはなりません。
MUSTは≪外したらどうなるのか≫というものではなく、
≪その向こう側にあるWANTSに気が付いた時が、外れた時≫です。
「今までは人に合わせなきゃ(MUST)、と思っていたけれど、
そうじゃなくて、どこかで≪人に合わせたい≫(WANTS)
という気持ちがあったのだ。」ということです。
これからはMUSTを外していきましょう、ではなく、
最初からそんなものは無かったのです。
これまでのあなたの行動のすべてが、
実はMUSTではなく、WANTSによって選択されていた、
そして、今までそのことに気が付かなかった、
というだけなのです。
具体的な事例の一つ一つのそれぞれに、
その人その人の事情や理由があって、
・嫌な目に遭いたくないから
・やらないと自分が困ることになるから
・何らかのメリットがあるから
…そういった、様々な理由で、
それまでも、そしてこれからも、
私たちはたとえどんな場合でも、
必ず≪なりたい自分≫の方を選んでいます。
その自分になるために、
今までもずっと、その行動を行ってきたのです。
もしも、皆さんの頭の中に、
「サラリーマンだから、仕方が無い。
やらなきゃと思っていたから出来ていたのに、
強制(MUST)じゃないのなら、会社に行きたくない」
と、なるのではないか、
という疑問が湧いているのだとしたら、
それは根本的に違います。
MUSTを外す、というのは
「やらなきゃいけないこと」を「やらなくていい」に
変換する作業ではありません。
これまでも会社に行っていたのは、
「行かなきゃいけないから、仕方なく行っていた」
という感じしかしないかもしれませんが、
実はそうでは無かった、という事です。
そこには、必ず、行くことによるメリットを受け取った
≪なりたい自分≫(WANTS)がいて、
そのあなたになるために≪会社に行く≫(DO)
という行動を選択していた、という事なのです。
だから、「人に合わせなきゃ」というMUSTが無くなっても、
それは「ここは人に合わせておこう」
「ここは合わせるのはやめておこう」に変わるだけなのです。
今まで人に合わせられてきたのは、
「合わせなきゃいけない」
と思っていたから、合わせられたのでは無く、
どこかで、何かの理由があって、
合わせるメリットがあって、合わせてきたのです。
やらなきゃいけないから、合わせられてきた訳ではありません。
自らのWANTSがあったから、合わせてこられたのです。
これまでも、そしてこれからも、
私たちはずっとWANTSで動いているのですが、
「やらなきゃ!」というMUSTで動いていたような
気がしていただけです。
動いてきた理由をMUSTのせいにしてきただけで、
本来はそこにMUSTなんて、最初から無かったんです。
そのことにあなたが気が付いた瞬間が、
あなたの人生からMUSTが消えた瞬間です。