0213 感情は善悪・正誤がないのに、人が善悪・正誤を気にすること | alain-pのブログ

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心はイメージの世界です。

 

五感で感じたデータは、すべて心で変換され、

現実世界のことは、すべてイメージとして、

私たちは認識しています。

 

そのイメージには、大なり小なり

感情が伴っています。

 

大きな感情が伴ったイメージは、

深く心に刻まれます。

 

感情がほとんど動かなかったイメージは、

記憶にとどまることなく、

ほとんど心に残ることはありません。

 

感情には快と不快があるだけで、

善悪や正誤はありません。

 

心の動きは、

感情が伴ったイメージと

連動しています。

 

心の問題には、

善悪や正誤はありません。

 

それなのに、悩み、

という心の問題が発生した時、

私たちは、どうすればいいだろう、

どうすべきか、と、

正誤、良し悪しを探そうとしてしまいます。

 

正解を探そうとすることが、

実は悩みの正体であり、

こっちを選ぶべきなのか、

こちらを選んで正解だったのか、

本当にこれで良かったのか、

と、自分の選択の正当化に明け暮れます。

 

感情には善悪や正誤はないのに、

こう思ってしまっている自分はダメだ、

とかいつまでも悩んでいてはいけない、

と、つい自分にダメ出しをしてしまいます。

 

これほどまでに、善悪や正誤を気にすること、

これが今までの生き方の癖、考え方の癖です。

 

おいしい、きれい、気持ちいい、など、

快の感情を感じた時は、善悪正誤を気にしないのに、

 

不快の感情を感じた時だけ、

この感情は良くないのではないか、

と、悪い、誤りという尺度を気にしてしまいます。

 

なぜこうなるのか、

そのメカニズムも勿論大切ですが、

 

まずは自分の心に聞いてみて、

こうなっていた事実を冷静に、

当てはめて考えてみる。

 

本当にこうなっているのか。

納得できるのか。

腑に落ちるのか。

 

フラットに感じてみることがその前に大切です。