舞台「漆黒天」観劇(9/1大阪公演ソワレ) 


昨日の「漆黒天」も良かったなぁ…という観劇備忘録。
東京最終公演以来の「漆黒天」浴びてきました。 
そしてまた新たな世界線を見たような気がします。本当に演劇って面白いなぁ…。あぁ幸せ! 
座長の言葉通り、そのままの気持ちを持ち帰ることが出来たことに感謝して。幕を上げてくださってありがとうございます。今日の観劇備忘録を綴ります。 

(この先ネタバレしかございません。また、私の勝手な目線で妄想を書き綴ったものなのでご気分を害されるかもしれません。映画や舞台をご覧になっていない方は閉じて頂くことをおすすめします。)  


——  



舞台「漆黒天」観劇(9/1大阪公演ソワレ) 

こんなにも自然体で等身大の陽之介と旭太郎を見たのは、私は初めてでした。二人とも声が柔らかくて、それぞれが大切にしている世界を大きく温かく包んでいて。ほんわか…素敵だったなぁ。 

陽之介は、冒頭 蔵近との手合わせから表情豊か。にっこにこで楽しくて仕方がないという印象。「正義」なんて大層なものではなく、富士と蔵近と門下生たちとひなたのような温かな日々を過ごしている青年。「私たちの剣は誰かを守るためにある」ってところ、「そうだ!」と言わんばかりに蔵近と二人で確かめ合うような様子、それから富士を見て。「個」ではなく三人で歩んでいる関係が見えてほっこり。 

一見クールに見える旭太郎も、幼少期を彷彿とさせるような...決して「完璧な悪党」などではない等身大の青年。あ、今、何か考えてるんだな〜というのが分かる。蒿雀との過去を思い出してるのかな、とか。 
「そこに二人が居るかのよう」と來に言われた時も、怒りをにじませるのではなく、一瞬思考を巡らせるも冗談を流すような柔らかな印象で。日陰に生まれてしまった彼らなりの家族のような大切な仲間たちが居る。 

その「等身大」がリアルさを倍増して、やるせなくてやるせなくて。二人の体を行き交っていた感情や景色という二次的な感覚が、最終的には自分のものとして生々しく混濁してゆく感じ。 

富士を抱きしめたとき、一瞬だけ違和感を感じさせた呟き「富士...!」。 
家族を殺められてしまったことに怒りを爆発させる陽之介が、一瞬だけ笑い狂う表情。 
少しずつ滲んでいったものが、討伐隊に出るあたりからどちらとも言えなくなって。精神が入れ替わっているのではなく、大切な核となる家族を無くしたことで、其々が真逆のモノに変化してゆくような生々しさ。 

自分は陽之介だ、日陰党を欺くために旭太郎の姿に成りすましているんだ、というあのシーン。二郎太と蔵近に陽之助だと認められて、笑ったんですよ。 
もう、なんて言ったらいいか。陽之介じゃないんですよ。旭太郎が笑ったんです。穏やかに微笑んでいて…初めて見ました。いや私が初めて見ただけかもですが、その声色も笑顔もまるで陽之介のようなのに、旭太郎だったんです。衝撃でした。 

そして蔵近や邑麻兄弟を斬っていく姿も、まるで旭太郎のようだけれど、私には陽之介に見えて。もちろん姿は陽之介ではあるのですが、立ち振る舞いは旭太郎のようでいて、でも陽之介が「変化してしまった」何者かであるかのように。(あぁ文章下手すぎて伝わらない) 

憎しみにより違えてしまった道。二人を等身大に感じられたからこそ、自分の隣にも、自分にもあり得ること。入れ替わりではなく、あの人変わっちゃったね〜って言われるあれを見ているようで、ぐぅぅぅとなりました。 

序盤ずっと旭太郎は「俺は陽之介なんかじゃない!」と叫んでいるんですよね。なのに、どちらがどちらか混濁して分からなくなって。「まるで混然一体となった、二人で一人の人間であるかのように」どちらかは要らないと言われているかのようでもあり。 

玖良間邸で獣腹の話しをしているところの表情、すごかったなぁ。目まぐるしく二人が行き交っていて…あぁ言葉にできない。 

そしてラストの台詞。 
「俺は…誰だ?」 
ぽっかりと空いた心の虚無。 
空虚で、黒くも白くもない漆黒の世界。 

にしても、大阪公演で一番びっくりしたのは玖良間です。玖良間士道与力!めちゃくちゃ変わって感じて、すごく良かったです〜。 
渋みが増したというか…声色はむしろ軽くなったように感じるのに、言葉の一つ一つがゆったりと重みを持って。無理を通したい士道なりの背景や意志が伝わってくる。 
今まで私にとって士道は、自分勝手な正義で周りを巻き込む、ある意味困った人だったんです。この人さえ居なければ、、、と毎公演思っていたりして(ずっきぃさん本当にごめんなさい)。でも今日は、すごくすごく一生懸命な人に感じました。周囲を巻き込むことが分かっていてなおかつ、自分がやらなくてはならない。全てを吞み込んで、よりよい未来を作らなくちゃいけない、と。 
あの真っ向から挑む不器用な情熱に、絆されてしまう陽之介の気持ちが初めて今日、分かった気がします。壬午が実直について行くのもそういう事なんだろうな…なんて、不器用な与力チームなんだ(笑) 

そしてナカジマくんも、めちゃくちゃ可愛かったです^^ 嫉妬心が無くなって、ひたすらに一生懸命な門下生だった。訳もわからず気に食わないと二郎太に打たれた後も、俺は出来る!を繰り返してて…愛おしい…。人を羨むのではなく、己と向き合える場所が宇内道場である証明みたいで。 

千蛇も良かったですねえ。男性成分やや強めなんですけど、美しく自信のある女性でもあり。今まで見た中で一番素敵だった。勢いに任せない台詞回し、過酷な過去とは裏腹に純粋な気持ちが際立って。鳥肌立ちました。 
そう見えるのも、蔵近が居てこそなんだろうな。(閑古鳥コーナーの九官鳥…っていうか人?爆笑しました) 

あとあと、來。盲目であるが故の討伐隊側の「見えないからこその恐ろしさ(未知なるものへの不安)」が増長していく心理描写が照明で表現されてるのに気づいてうわーっとなりました。戦闘シーン、沢山板に乗ってるのに、來の後ろにだけ黒い影がぶわわわっと巨大化して見えるのは、最後列で俯瞰して見れたからかも。雪駄が片足切れる(脱げる?)アクシデントも、殺陣の一環のようで。残った方の雪駄も蹴り捨てて斬り込むの、格好良かったなぁ。 

俯瞰して気づけたのは、邑麻兄弟の稽古シーン、木刀の振り下ろし方が個性が出てて良き〜でした。二郎太はひたすら直線。三郎太は無駄も多いけど直向きで、すこしヘトヘトで。そんな彼らが肩を寄せ合って、兄が挫けた時は弟が支えるように成長していくのがもう…。「オレも一緒だからな」過去一ぐっときました。 

一番泣いたのは伽羅の最期。凄かった。 
日陰党の生活が、旭太郎と一所懸命に生きた時間が楽しかったんだ、と言わんばかりで。笑って。生き絶える。 
その後の「いいのか?」も優しくて。心配していたのか、心配してほしい旭太郎の気持ちなのか、分からないけれど。ぽろぽろ泣いてしまった。 

其々が一所懸命に生きているだけなのに。 
何かが狂わなければ、争わずに幸せで居られたはずなのに。でもそのきっかけは、生まれる前からあったのかも知れないと思うと…。どうしたら良かったんだろう。 
誰かの物語ではなく「人は変わってしまう」という事が見えた事が財産だなと思います。良い方向に変われるようにするには、を考える。 
明日また何かが見えたらいいな。 

家族のようだった温かなアフト。 
伝えてくださった言葉たちを噛み締めながら。 

明日も健やかに過ごせますように。 
千穐楽まで走り抜けられますように。


SNSより過去記事を移行しております