舞台「漆黒天」観劇(9/3大阪公演マチソワ) 


昨日の「漆黒天」感想を綴ります。 
頂いたものが大きすぎて全然纏まっていないし、書ききれないけれど、最終日観劇の前に残したい。
凄かった…。 
一人一人がもの凄く深まって、攻めっ攻めなのに研ぎ澄まされて。めちゃくちゃに良かった…です😭✨圧倒されてあの物語に飲み込まれてしまっていた気がします。 

(この先ネタバレしかございません。また、私の勝手な目線で書き綴ったものなのでご気分を害されるかもしれません。ごめんなさい)  


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舞台「漆黒天」観劇(9/3大阪公演マチソワ) 

大阪公演から感じている、陽之介と旭太郎が自然体で等身大の青年である印象はより深まり、表情豊かになったように感じました。宇内道場と日陰党。登場シーンは、陽と陰がくっきりと分かるように別人の顔をして出てくるのですけれど、大切な仲間に囲まれて過ごしている様は、芯は同じでやっぱり双子なんだなぁと感じてほっこり。 

余談ですが、荒木さんは役は全くの別物だと仰るけれど、私はこの二人についてはちょっと特別だなと思っていて。荒木さんの心の芯にあるびっくりするくらいのピュアな優しさとか、聡明なのに不器用な人間らしさ。その人となりがないと表現できないキャラクターなのではないか、と思っています。綺麗なだけじゃないんですよね。見た目だけじゃなくて、深みがある、人間味がある。代替できない役は無いと私も思いはしますが、荒木さんが演じると唯一無二のものになる。パンフで末満さんが仰っていたこの作品の成り立ちに納得するというか….。 

話を戻します。 
陽之介がより柔らかく朗らかに変化したことで、それに同期するように蔵近も富士も変化がある。そのグルーヴみたいなものが、宇内道場のまあるい和を作り上げている気がしました。 

旭太郎も仲間思いの頭領で、愛されている。 
でも、すごく怯えていた。 
ひなたを望んでいる自分に。 

千蛇に夢が現実だったと知らされた時の顔。なんとも言葉にできないのですが、一瞬陽之介を感じるようにも見えるし、「陽という絶対的に手に入れられないと思っていた欲望」に取り憑かれてしまったようにも見える。 

はたと正気に戻った時には、旭太郎は大切な仲間を護りたくて、死ぬぐらいなら、心のままに抗おうとする。日陰党の頭領としての、日陰の光として。 
なのに出会ってしまうんですよね。宇内道場で陽之介と。出会った時の残酷さ。ソワレ凄かったなぁ…心から驚き、「陽」を生きる者への想いが混濁して葛藤して吹き出しそうになるのを抑えて、一旦引く。身体からぶわっと吹き出そうになる感情がもう。 

東京公演には無かった、仮面を付けた陽之介が赤ん坊の鳴き声と共に生まれる描写。陽之介の身体の中で、旭太郎の心の中で、生まれた何かに恐ろしくて悲しくなる。 

富士を抱きしめる前、舞台上で陽之介の身体を二人が行き交っていて。マチネは最後、旭太郎が出てきたんです。恐々と富士の頬に腕を伸ばし、そして抱きしめる。富士に優しく抱きしめられてビクッと強張り、初めて温もりを知る。(ソワレは二人が半々の精神状態のままな気がしました)。 

自分の中に感じる旭太郎。 
それに怯える陽之介の蔵近への心の吐露。辛い身体を起こして微笑み、一心に励まそうとする蔵近との友情。一歩足を踏み間違えば、背面に迫る奈落の闇に落ちてしまいそうな崖っぷちにぞわぞわする。 

旭太郎がどうしても手に入れたかったもの。 
あんなに怯えていたのは、その欲望に勝てない自分に気づいていたからなのだろうか。 
それを邪魔するものは容赦しない。 
劇中2回出てくる台詞の意味。 
焦がれ続けた先に待つ地獄。 

そして、家族を殺されて陽之介に生まれる闇。 
恨み、泣き崩れる瞬間、旭太郎が嘲笑うかのように一瞬表情に現れるんですよね。 

精神世界では、旭太郎は陽之介で、陽之介は旭太郎だったように感じました。 
旭太郎の姿で陽之介が、闇に飲み込まれそうになるも自分は陽之介だと叫ぶ。自分と同じように旭太郎を慕って心配してくれた仲間から、返してくれと言われ続けて。泣きそうにぼろぼろになりながら。 
焦がれた陽の者になりきれず、お前はいつまでも日陰者だと最後まで否定され続ける旭太郎。(でもマチネは逆だったように感じて…逆でも地獄なんですけれども…) 

渾然一体になる漆黒の世界。 
辛いよーーーー!!! 
映画を考えるとさらに地獄すぎる…。 

でも、そこが面白いんですよね。 
答えがあっても自分自身で考えるべき物語だから。そしてその、人が作るお芝居の演劇の魅力に幸せを感じています。 

マチネ、ナカジマくんのコーナーも面白かったなぁ(笑) 声を出さずにゼスチャーで伝える「偉そうで小さい二郎太、のっぽの三郎太、頑張る自分」。過去いち最長?だったと思うのですが、最初「何始まった?」って感じで困惑気味の陽之介が、ウンウンと頷き、行ってきなさいと促す様子が絶妙で。「日向の宇内道場」だったんです。(あのコーナーは日替わりで鈴木さんの完全アドリブですよね?ちょっとだけ中の人の信頼とかが見え隠れして、ズキアラご褒美〜😭✨ってなりました。ありがとうございます!) 

そうそう、あの片眉上げて、困り顔する陽之介もめちゃくちゃ可愛いですよね。玖良間が宇内道場に訪ねて来た時、深網笠被ってる時から蔵近が警戒心ばりばりでシャーって毛を逆立ててるんですけど、自分の事を思って追い返そうとするその蔵近を見た時とか。なーにそんなに警戒してるんだ?って感じの、嬉しい気持ちと困ってる気持ちが絶妙で。 

旭太郎も表情豊かになってから、可愛くて可愛くて。伽羅のグズりから喧嘩が始まるのも「またかしょうがねえなぁって 😑🤔😒…」ってなるのが大好きです(マチネでは顎をかいてました)。 
伽羅の頭ポンポンする時、マチネでは蒿雀とアイコンタクトしてたんですよね。ようやく収まったなって兄ちゃんたちが通じ合う感じ。(蒿雀も伽羅のお兄さん的な立ち位置だった気がしました。ソワレは蒿雀も旭太郎への信仰心度合いが高かったので、どちらかというと伽羅と同じ目線で、旭太郎に心で縋っていた気がします) 

來との月夜シーンも、日陰党の仲間を大切に思っているのが伝わってきたり、一人の身体に二人居ることに心当たりがあるような表情を見せたり。ソワレでポリポリ頭かいてたの、可愛かったなー。 

そうだ!かよさんが「旭太郎もしかしてお酒弱い設定なのかも」と仰ってて、めちゃくちゃ納得しました。飲んだ後、暫くもぐもぐしてたり(格好いい)、飲んだぞとばかりに盃を裏返したり。頭領なんだから飲め飲め、と仲間が勧めてくれるから仕方なく(といいつつ内心嬉しそうに)飲んでる感がある。陽之介と共通のくせなんでしょうけれど、いいですよねぇ。 

いやー、蒿雀もソワレめちゃくちゃ良かったなぁ。ぼろっぼろで一所懸命に生きてて。伽羅もねぇ…最高です。伽羅と蒿雀の二人でしっぽりシーン、旭太郎が陽之介に夢中で、自分達のことなんて忘れちまったんじゃないかって拗ねてる感があったんですよね。なのに最期、旭太郎と同じ顔をした陽之介に切られるんですよ。あぁ残酷。それでも一所懸命に生きたじゃねぇか。楽しかったじゃねえか。なんで変わっちまったんだ!もう戻れないぞってひたすらに心配してる伽羅が愛おしくてめちゃくちゃ泣きました。 

來も、見えてないんだなーって感じる瞬間が多々あって、良い表情するなーって唸ってます。視力を失っていても武士だと、士道が言う。最期のシーン、ずっと抱えてきた想いを身体全体で叫んで、斬り込む。震えます。 

千蛇は成長期著し過ぎて色々ありすぎるのですが、今日は蔵近見すぎて千蛇見れなかった(笑) 

宇内チーム。蔵近も富士もとても柔らかくなった気がしてよかったなぁ。富士は少女感が見え隠れするというか…「完璧主義の妻」っていうのが薄れて、気の強い女子が一所懸命生きてるように感じました。陽之介が好きになっちゃうのも分かる〜って頷いちゃう。私はこっちの方が好きだし、喜多の姉だなぁと感じられてほっこりします。だからか序盤の陽之介が言う「良い女房だろ」も誰に対してもそう思われたい自慢というよりは、毎日幸せなんだよ〜ってぽろっと出ちゃった親友への惚気に聞こえました。 

蔵近は、全ての矢印が陽之介に向いているのがビシビシと伝わってきて、ひーんとなりました。表面を覆っていた冷んやりとした闇が薄れて、でも陰を内包しているのは変わってないというか。「莫逆の友」ってところ、ソワレでは門下生一切見ないで、真っ直ぐに陽之介だけを見て言っていたんですよね。千蛇の最期につぶやく「陽之介」も、今日は全然「無」じゃなかった。愚直に陽之介を思っていて…。 
二郎太に色目を使うなと言われた後、一人残されて佇むシーンが物凄く好きなんですが、あの葛藤しまくっているなんとも言えない。遣る瀬無い背中…うぅ。 

邑麻兄弟もねぇ、凄いんですよ。二郎太はあまり裏のないキャラクターだと思っていたんですが、仇を討ったことで、そして家族を殺されてしまったことで変わるんですよね。自分が言ってきた事がことごとく自らに跳ね返ってきて。映画で「こうまでしても」と言っていたのは、名無しにではなくて自分自身に言っている気がしてきました。 
三郎太も変わっていく。陽之介には近づくなと蔵近に言い放つ二郎太の後ろで、怯えて拳を握って動けなくなっていた彼が。兄を支えるために強くなっていくんですよ!ひたむきで、後半の戦闘シーン見てるだけで泣けてきちゃう。 

士道は安定して誠意の伝わる渋みと情熱。必死になって頭を下げ、犠牲が出ている事も受け止めて、これ以上犠牲を出さないためだと苦渋の言葉を吐くのがもう。 

壬午は本当に不器用な男ですよね。宇内道場で富士が「女は女でも」と意見した時、始めは苦虫を噛み潰したような顔をする。でも富士の言葉をちゃんと聞いて、受け止めて頷く。由緒正しい家で真っ直ぐに育てられてきたのでしょうね〜。陽之介の言葉に泣きそうな顔をして感謝を伝えるからこそ、陽之介もいやいやそんな顔しないでって微笑み返す。 

その日その日にそのキャラクターの内面が人間らしく変わるのに、お話しや心理描写に矛盾が起きないのが「漆黒天」の演者さんだからこそっていうか、舞台、生きてる!!!って震えて、幸せです。 

変わってもちゃんと納得する道筋がある。そこまでに感じられるのは何度も観ているからで、ずっと漆黒天について妄想しているからかもしれないけれど。この生の演劇の面白さが奇跡的に後世に残るかもしれないと思うと、この二つの「対の物語」を円盤に収録して欲しいなと心から思います。きっと自分が深まるごとに、その日のコンディションで答えがある作品だから。ずっと浸っていたいな〜と思うくらい、好きでたまりません。 

初日より昨日、昨日よりも今日、ソワレよりもマチネ。 
今日の千穐楽がどうかどうか、一座の皆さまにとって素晴らしいものになりますように。心から祈っています。

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