4月2日 千年に一度の宴

宴が開かれているようでした、
千年に一度の宴じゃのぉ~と翁がしゃべっていました。
そして遠い過去の思い出話を
そこに居た人達と話し始めました。

 長屋(王?)は○○の後ろ盾で出世した、
なんたらかんたらと続いて、
○○もそうじゃ(持統天皇の事のようだった)
と、話は続くようでした。

へ~と思った。

4月3日 幸運の背景

坂道を車で登っていた。
いくつかの夢を見たけれど、
その夢の空間が幸せに満ちているようだった。

今日は私の誕生日だった。


かなり飛んで、4月9日

先週伊勢神宮へ参拝に行った。

外宮や内宮、神社に関係する夢を見たようだった。
残念な事に覚えてない。
いっつもこんなんーー。



 道路を走る夢の頻度が多いので
何となく書いてみる。
単純に走ってはいるけれど
精神的に鍛錬が居るなーと思う。

例えばこんな感じ。
ぴーちゃんの夢綴り

以前、海上の上空にある長い道路の夢を書いた。
夢ではもっと長い直線で、道の先は針先のように小さく細くみえる。
その針先を走るようにするので、
気持ちにブレが生じると、落っこちるか走れなくなる。
ガードレールがなくて灰色道路の部分しかなく
夢では上空だったりする。

この気持ちのブレが生じないように
現実の中でそれに繋がる事をしたりなんかする。

現実では道路を走るという事ではなくて、
様々な目の前にある出来事を通したりする。
自分で考えるのではなく何となくそう繋がる。

けれど最近めっきりこういう気持ちが吹っ飛んでいて
あんまりそういった関係の夢は見ない。
良いのか悪いのか・・・・。



人は、その心にあるものを現実の中で展開していると思う。
単純に目の前にある出来事etc・・という訳じゃなく
もっと複雑な手順を踏んで目の前に現れているのだろうと思う。
けれどその発端はシンプル極まりないと思う。
例えば、うれしとか悲しいそれだけみたいに。

それらは例えば、何も入っていないように見える箱を開け
その何かが現実に触れると
沢山の出来事が展開し始めるようなものかもしれないと考えてみた。

そこには何も入っていないのではなくて
それを感じ取る事が出来ないだけの事なのだろうと思う。
そこはとてもシンプルな世界、現実で色づけをして様々な出来事に。
だから色づけしたものからは見えにくいのかもしれない。

その一旦を感じ取ると、世の中は違ってみえてくるのだろうと思う。
だけどそれと現実の間には、人の歴史が阻んでいるように思える。
人はそこへ辿りつけるだろうか。

と、違うテーマに飛んでしまう私でありました。