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さて今回は、日本人も海外移民で他国の一部地域を乗っ取ってしまった歴史を振り返って見よう

まずは有名な【アメリカのリトル東京】から!

【リトル東京】

>【※19世紀後半の日本の開国以後、特に西海岸に日本人が多く移住して、飲食業・宿泊業等に従事する経済移民が日本人町を形成した】。アメリカ合衆国のロサンゼルスやサンフランシスコ、カナダのバンクーバー近郊スティーブストンなどの日本人町は特に古参である。19世紀末から20世紀前半にかけて大量の日本人が移住して町が発展したが、※【1920年代にはアメリカが日本人移民の受け入れを制限して流入が減り】、第二次世界大戦でアメリカ合衆国とカナダが日本と開戦する1942年頃には両国政府の日系人強制収容政策により、どの日本人町もほぼ消滅状態に陥った。


と言う様に、日本人も日本がまだまだ貧しかった時代には、アメリカの様な先進国に移民して、【意図する・しない】に関わらず、その地域を事実上乗っ取り、アメリカ白人社会から倦厭(けんえん)された歴史が有る

無論、この集住地域(リトル東京)の存在で、後に市民権を取ったにしても、参政権等を行使できる様に活動したのは言うまでもない

日本人にしても、海外に移住(移民)して結果話の通じる同族同士で一箇所に集まり、意図するしないに限らず、こうして一部地域を乗っ取ってしまっているんだぞ?

まぁ、確かに日本人移民の場合、その国に帰化しない限りは各種権利を不当に要求した事は少ないが、それにしてもこの様に海外で地域乗っ取りをしてしまった事実は変わらない

では、他の地域も見てみよう


>カナダ

【リトルヨコハマ】

バンクーバーの南17キロメートル程にあるスティーブストンは19世紀後半以降、フレーザー川河口で獲れるサケの缶詰加工で繁栄し、漁民からなる日本人移民コミュニティが形成された。※【先駆移住者の工野儀兵衛が出身地・和歌山県三尾村(現美浜町)に移住を呼びかけたため、スティーブストンの日本人社会では三尾村出身者の割合が大きかった】。第二次世界大戦中はカナダでもアメリカ合衆国同様に日系人の強制収容が行われ、スティーブストンの日系コミュニティーは一旦消滅した。戦後は日系人コミュニティが復活し、現在も大きな集団を形成している。


カナダでも【ガッツリ】地域を乗っ取ってしまっているよな(泣)

しかも※印の部分の様に、良く中国人移民が行う【家族や地域住民を呼び寄せて、地域に巨大なコミニュティを作る】をやらかしてしまっている

そりゃ、アメリカやカナダの反移民保守層からは、日本人が嫌われても致し方ない

更に見て行こう

>ブラジル


最大の都市サンパウロの中心部にあるリベルダージLiberdade 地区は随所に日本らしさが取り入れられている。地区入口には鳥居や太鼓橋があり、大規模な日本庭園を中心に配置しているほか、街灯が提灯の形になっている。地区には日系人が経営するホテルや日本料理店、書店などが立ち並び、サンパウロに住む日本人駐在員や日系ブラジル人だけでなく、多くのブラジル人で活況を見せている。

サンパウロには日本人駐在員の子弟向けの日本人学校や日本人幼稚園、学習塾もあるものの集積しているわけではなく、リベルダージ周辺や郊外に点在している。

>ボリビア
サンタクルス県のサンフアン・デ・ヤパカニは、※【日本人街が市に昇格(2001年)した珍しい例である。ボリビア国内にあってこの街では日本語が通じる】。第二次世界大戦後の1950年代から九州地方出身者を中心とする日本人移民が居住し、主に農業に従事した。日系2世・3世が中心となった現在も国際協力機構との連携がある。

同じサンタクルス県のオキナワ移住区は「コロニア・オキナワ」と呼ばれる沖縄県出身者の街である。沖縄は第二次世界大戦で大きな被害を受けた上にアメリカの占領下におかれ、県民には住居や食糧にも苦しむ者が少なくなかったことから※【琉球政府(返還後は沖縄県)が移民を支援した】。コロニア・オキナワの移民資料館には1975年(昭和50年)に屋良朝苗沖縄県知事(当時)から贈られた感謝状が飾られている。毎年8月には「豊年祭」が行われる他、地域行事にはほぼ必ず三線が登場し、エイサーが披露されたりソーキそばなど沖縄料理の出店があったりと、沖縄文化を色濃く残している。


ワォ!南米ボリビアでは、何と日本人街が【市】に昇格してしまっている!!

と言う事は、現地で沢山増えた(子供)日本人と、移民した日本人が異常に多かったと言う事に成るよな?

しかも外国なのに【日本語が通じる】って・・・

これを誇らしいと思うか?恥ずかしいと思うか?は人それぞれだと思うが、日本が今晒されている【移民問題の成れの果て】の良い例では無いかな?

戦中に日本が進駐した地域、例えばパラオや台湾やインドネシア、今も観光地として保存されている【ベトナム ハノイの日本人街】等も有るが、此等は所謂【経済移民】では無いので省略する

因みに此等の大東亜戦争中の日本人街は、今は存在しないか、ベトナムの様に観光地化されている

さて、こうして見て来た様に、日本人も海外に経済移民しては他国の地域を乗っ取ってしまっている事実が分かってもらえたと思う

『なら、日本だけ移民に反対するのおかしくね?』と思う読者も多いだろう

しかし、今見て来た様に、結果その地域の経済や国に対して好影響を与えられたのなら構わはないが(それでも感心はしないが)、どんな理由であれ【他国の一部地域を日本人が乗っ取った】事実に変わりは無い

つまり、他国者(よそもの)で有る以上、やはり外国では、同民族同士でどうしても住みたがる(話が通じるし、疎外感も薄らぐし、文化や伝統も同じなので住みやすい)事が理解出来るよな?

これが【外国人移民】の最大の問題何だよ!!

意図しようが、意図しまいが、結果的に他国の一部地域を乗っ取り、果ては韓国人や中国人を例に取れば、『外国人参政権を寄越せ〜!!』だの『生活保護を寄越せ〜!!』だのと、いわゆる【フリーライド(国籍を持たない為にその権利が無いにも関わらず、不当に権利を要求する事)】を行う輩が出て来る

もっとも、北朝鮮籍や中国籍の場合は、工作活動の一貫として行っている可能性も否定出来ない

日本の例えば『外国人農業者受け入れ』で、秋田県の田舎に『広東語しか通じない町』が出来ても、君達はそれを歓迎出来るかな?

日本の食料安全保障を外国人移民(しかも外国籍)に握られるのにな?

しかも、相手は日本に数百発の核ミサイルを向けている国の人民だぞ?

更に【国民総動員法】で、日本と戦争が起きたら、武器を持ってテロを起すことを【義務付けられている】外国人をだ!(北朝鮮も同じ)

おじちゃんが再三移民に猛反対する意味が分かるだろ?

何度か書いているが、『本当に日本が大好きで、日本国籍を取って日本に骨を埋める覚悟』の人なら大歓迎だ!

具体的にはこう言う人だな

>日産といえば、創業者が鮎川義介というのはご存知の方も多いと思いますが、 
鮎川義介を支え続けた陰の立役者が※【ウィリアム・ゴーハム】です。 


私たちは、この方のおかげで、いま日本でクルマを楽しめているのかと思うと、感謝してもし足りないくらいです。 

ダットサンのギヤやデフの騒音が当時の輸入車に比べ大きく精密工作機械の必要性を痛感していた 

社長は村上正輔、ゴーハムは常務取締役となり技術の責任者となる 

タレット旋盤がベストセラーとなる 

※!!【1941年(昭和16年) 5月、ゴーハム夫妻が日本に帰化し、日本国籍となる 】



おじちゃんが尊敬するエンジニアの一人だ!!

※!!印の通り、何と!大東亜戦争中に、アメリカの敵国たる日本に夫婦で【帰化】しておられる

つまり、日本と心中する覚悟を持って帰化した偉大な外国人移民だ!!

逆に大東亜戦争中の日本は、敵国の技士にすら【帰化】を許可する様な『懐の深い』国だった事が分かるし、今の左巻き日本人よりも、余程【ウイリアム・ゴーハム】氏の方が日本人だとおじちゃんは思う

こう言う人【以外】には日本に移民して欲しくも無いし、ましてや【帰化】などして欲しく無いな!おじちゃん的には!!

これらの【日本人すら侵した外国の地域乗っ取り】を見て、本当に日本に外国人移民が必要なのか?

よ〜く考えて見て欲しいぞ?
 
 
 
 
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【何故日本は景気回復出来ないのか?】
 
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