私は15歳から22歳迄の8年間、
家族で水道管劣化で赤サビがひどい
社宅生活により水道からお水が飲めず、
ペットボトル生活を経験。
そこから
偏頭痛・慢性疲労・乳腺炎になり
お水の大切さを痛感。
身体に良いお水の研究を
一念発起で20代後半で開始、
アラフィフの今が一番元気に♪
そんな私のプロフィールも
よかったら目を通してくださいませ*^^*
あきゅりあです。
前回の記事でご案内した通り
お水って大事なんだと痛感した
これまでの あきゅりあ 自身の経験を
連載形式で綴ってみようと思います。
題して、
「20年かけて、お水を変えたら身体がめちゃくちゃ軽くなった話」
です♪
今回はその第1話ということで
場面は、中学3年生になる春に
父の仕事の転勤に伴い、家族で
お引越しした先の水道管がひどく
劣化していて、赤サビまみれの状態が
判明した時期の話を書きます。
もう30年も前の話なので
記憶を手繰り寄せて書き起こします。
それでは、どうぞ!
連載「20年かけて、お水を変えたら身体がめちゃくちゃ軽くなった話」
【第1話】水道水が飲める国「日本」で蛇口をひねると赤サビが…引越し先での青天霹靂
「ああ、やっぱり北海道から離れたくないよぅ…」
時は1995年3月下旬。
私 あきゅりあ は来月になれば
中学校3年生になるという時期。
JR小樽発新千歳空港行きの電車の窓から
しばらくは見れないであろう
そして、まだ雪がちらほら残る
生まれ故郷の北海道の景色を、
私はぼーっと眺めていました。
4人向かい合わせに座れる席で、
正面に父と母、私の右隣には妹が。
私の後ろの席には、
叔母やいとこ、それに母方の祖父も
一緒に乗っていました。
小樽築港駅を過ぎると、
電車の進行方向向かって左手には
石狩湾が見えてきて、その景色は
春も夏も秋も冬も大好きでした。
このままずっと大人になっても
北海道に住むものだ・・・と
信じ切っていた私に、
まさかのお知らせ
が来たのは、わずか1か月前のこと。
そうです、それは
父に対する異動の内示で
1か月後のこの3月下旬には
北海道から関東地方のある県に
転勤になる、という通知でした。
父と母は、今思えば
家族としても夫婦としても
いつも協力しあう理想の関係で
異動の内示についても、
子どもたちの成長のこと
家族として共有する時間のこと
生活にかかるお金のこと
を話し合ったようで、
単身赴任するという選択肢は一切なくて
家族で一緒に引越しをするという決断を
いつの間にかしていました。
確かに、このまま北海道で
大人になって就職して…と
ぼんやりと自分の未来を描いていた身の
私としては、本当に「まさか」の事態
ではありましたが、
子どもの立場で反対できるワケでも
ありませんでしたし、そもそも
家族一丸となって、という両親の気持ちには
私の賛成していました。
しかし、引越しする当日は
冒頭で書きましたように、さすがに
名残惜しい気持ちがどうしても
出て来てしまいまして、
電車に揺られながら、
新千歳空港駅に向かう車内で
関東に行きたくないなぁ・・・と
ずっと思っていたものです^^;;;
そして、それにはもうひとつ
理由がありました。
1995年3月というのは、
そうなんです、あの地下鉄サリン事件が
3月20日に東京メトロの複数の駅で
同時多発的に起きてしまい
大変な事件だとテレビのニュースで
報道されたばかりでした。
それからわずか3日とか4日しか
経過していない日取りで、
その地下鉄日比谷線を通って
引越し先に行かないといけない
ということがわかり・・・
子ども心に大変な恐怖心を
覚えたものです。。。
そんな風に世相と複雑な思いを
抱えたまま新千歳空港に到着すると
父の会社の同僚たちも、人数にして
10人以上も待っていてくださいました。
気づけば、
手荷物検査場に入る手前の通路で
父の会社の同僚の方々が、
「○○さん(父の本名)の栄転、おめでとうございますー!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
と、万歳三唱を
大きな声で言ってくださり
親戚やいとこ、そして祖父にも見送られ
私たち家族はそれに応えるように
大きく手を振りながら手荷物検査場を
通過していきました。
祖父からは、
「あきゅりあも元気でね」
と言われて、
もうだいぶ高齢になっていた祖父とも
会える頻度が大幅に減るのは
とても寂しかったものです。
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:
初めて乗る飛行機は、
父の会社が手配してくれたJALで
当時は、CHAGE&ASKAが広告塔として
出ていたようで、チケットを入れる
専用封筒には彼らの写真が
掲載されていました。
その専用封筒を見て、
私はふと思いました。
「そうか、、、今から私は、生まれて初めて北海道を出て、関東に行くけど、この歌手の人たちは確か福岡県出身だったような…?関東よりももっと西だったはず。日本ってもしかして、とても広いのかな??」
と、本当に本当に、
素朴にそう感じたのを、
30年経った今でもなぜか鮮明に
覚えています。
そして、今現在は、まさにその
福岡県に住んでいますから、
ご縁って不思議なものですねw
話を戻しまして、
無事飛行機は羽田空港に到着して
秋葉原駅で乗り換えて日比谷線にも
乗りました。
初めて歩く東京は・・・・・・
件の背景もあり本当に怖かったのですが
家族一緒に行動するという
両親の強い意志を逆に心強いと感じて
日比谷線から次の路線に
乗り換える頃には、私の中でも
関東地方で生活を組み立てていくぞと
覚悟が決まっていました。
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:
事前に、一応聞いてはいたのですが
引越し先は父の転勤先の会社の
敷地の中にある社宅でした。
あの頃で、すでに築25年くらいは
経過していたでしょうか・・・
古いよね、きっと
というのは、もうそこも
覚悟はしていたのですが、
実際に到着すると想像していたよりも
もっと古くて💦
私の心の中は、
先程の覚悟もどこへやら
実はちょっぴり落ち込みました。
「めっちゃ古いじゃないか~~~~」
って^^;;;
本編を読んでくださっている
あなたに当時のイメージを
少し持ってもらうとすれば
高度経済成長期に建設された
昔の団地(公団住宅)を
もっと質素にしたような・・・
そういういで立ちでした。
社宅は4階建てで(エレベーターなし)
2DKで狭かったこともあり
私たち家族の部屋は2階部分を
2部屋間借りしましたが
お風呂はなくて共同風呂でした。
でも、だからと言って、
嫌だというワガママも言えませんし
別のところにお引越しできるような
お金も子どもだった私には
持ち合わせていません。
- 与えられた現状で
- 家族で協力して生きていく
という道だけがありました。
そして、今でも凄いと思うのは、
両親は、そんな新しい引越し先に対して
愚痴を言ったことがなかったんです。
- 今の環境でできることを
- 最大限行動してみよう
という心持ちで、背中を見せてくれて
とにかく引越しの荷物を片付けて
通常運転できるようにと尽力してくれました。
両親の生きていく姿勢は、
生き方を教えてくれた貴重な経験
になりましたので、今でも
感謝しかありません。
しかしながら。
そんな「新居」に
足を踏み込んだ瞬間から新たな問題が
浮き彫りになりました。
それは、台所の蛇口をひねると
水道水がなんだか色が違う・・・
ということ。
試しに、紙コップにお水を注ぐと
少し黄ばむというか、不純物が
紙コップの底に沈んでいきます💦
「これは、、、赤サビだよね?」
母が父に確認しています。
父も、
「そうだね。これはスグに浄水器をつけようか」
と。
そしてすぐさま、
母はダスキンの連絡先を
分厚い冊子だった電話帳から探して
会社に設置されていた黒電話から
電話をかけていました。
引越し当日は、
まだ荷物が揃っていないことを理由に
近隣のホテルへ1泊することが
すでに決まっていたので、
母は、その翌日に
すぐダスキンに来てもらい
浄水器が設置できるように
準備してくれたんです。
そんな風に新しい暮らしは始まりました。
水道水が飲めない生活になるとは
1ミリも想定できていなかったのですが
お水のペットボトルの買い出しも
いつの間にか日課となりました。
幼少期の体験、
ペットボトルを初めて飲んだ時の感想は「うわ、まずい…」だった35年前の話。
でも、書きましたが、
最初は本当にペットボトルの水が
苦手だったわけですが
引越し先ではそんなワガママを
言っていられません。
浄水器を通す水で
母は麦茶をいつも作ってくれたので
それを飲みつつも、冷蔵庫の容量もあるため
麦茶が足りない時はペットボトルのお水を
供給する、というリズムで、
私たち家族は、
関東での新しい生活自体は
北海道で体験できないことばかりで
おかげさまでとても楽しむことが
できました。
ディズニーランドに行ったり
鎌倉や江の島まで遊びに行ったり
浅草や銀座の散策など、
北海道にずっと住んでいては
経験できないことばかりで
それは刺激的で大切な思い出の
1ページになっています*^^*
しかし、ペットボトル生活により
当時まだ10代後半だった私は、
体調不良に悩まされることになります。。
つづく
あとがき
あきゅりあ の連載第1話を、
最後までお読みくださり
ありがとうございました*^^*
もう30年以上前の話なので
思い出しながら、一生懸命
書いてみました♪
大人になってから知ったのですが
そもそも水道水を飲める国
というのは、世界でもわずかに
数えるほどしかなくて、
ネットで検索してみますと、
8か国とか9か国とか10か国とか11か国…
ちょっと数にバラつきはあるものの
いずれにせよ、わずかな数しか
ないことに大変驚きました。
つまり、幼少期の私は、
大変恵まれた環境で育っていたんだと
大きな学びをいただきまして、
感謝なんだな、と気づかされました。
また、困難な環境でも
愚痴や泣き言を言わずに、行動で
背中を見せてくれている私の両親には
生き方を教わったと思っています。
両親は今でも、故郷の北海道で
仲良く暮らしていますので
ありがたいことだなと思っています。
そんな あきゅりあ さんですが、
次回の第2話では、10代後半でまだ若いのに
様々な不定愁訴に悩まされるようになる
という体験を綴っていきます。
どうなっちゃうの?あきゅりあさん!
となるかもですが、
アラフィフになった今現在が
一番元気ですので、ゴールがわかっている
その途中経過ですから、安心して(?)
読んでいただけるかなと思います*^^*
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