「薬が人を殺している」 NPO法人薬害研究センター理事長内海聡 竹書房新書 より。抜粋集 その4 誤字、誤読あり。本書を購入してください。 目の不自由な方への参考に。
「薬が人を殺している」 NPO法人薬害研究センター理事長内海聡 竹書房新書 より。抜粋集 その4 誤字、誤読あり。本書を購入してください。 目の不自由な方への参考に。
今日はためになる話を書いてみました。
ん?オマエが?・・・・なら、読まない¥
いえいえ、他人様が書いたものを紹介する記事を書いたのです。
なんだ、他人のふんどしか・・・・
下品な表現はおやめください!
勝負パンツは他人様のパンツで¥
一昨日、「あんたはずいぶん持てたでしょ」と内心うれしい話をされた。
もちろん、初めて会った人なので、ボクのことは何にも知らない。
ボクは黙ってその言葉を肯定していた・・・・(否定しない態度で)
過去「持てなかったわけではない」から、否定もしなかっただけだ。
ただ、相手の「持てる」とボクの「持てる」はちょっと意味が違うだけのことだが。
「女にもてる」という意味で言われたのはすぐわかった。
でも、その意味についてはわざと違う意味に用いたのがボクちゃんなのだった。
「重いものが持てた」時代があった。あの頃は自分でも体力があった。
「持てますか?」
「はい、持てます」
その力は今は減衰している。
ところで、みんなが錯覚している言葉がたくさんあるし、物事でもそうだ。歴史で教えられこと、医学の嘘と錯覚、政治や経済、ありとあらゆるところに錯覚と嘘が入り交じっている。
いや、そういう嘘やでたらめのほうがずっと多かったのがこの地球上の「遊び」(ゲーム」だったということなのだが・・・・
嘘とねつ造の世界にようこそ♪
これがわしらがこの世に誕生(という夢なのだが)してくるときに歓迎の言葉として贈られるのだ。
だから、くそまみれ、じゃないな、嘘まみれの世界に入り込んできたドングリの子が「坊ちゃん一緒に遊びましょ♪」とドジョウに言われた時から、どんぐりは「お池(地上の遊びゲーム)にはまって、さあ大変」を続けてきたというわけだ。
そこにはジェットコースターのような極端なゲームやら、メリーゴーランド風の穏やかな遊びやら、もう数え切れないほどのゲームが備えられている。いや、なければ自分でいくつでも作られる。
そして、どんどんお池の中のゲームは混沌としてきて、かなり過激になってきた。だが、なかなかゲームから抜け出せない。
子供がゲームに夢中になってしまったが、なかなか「上がり」にならない。
いつまでも途中でゲームアウトになってしまう。
もう一度、もういちど・・・・何回も何万回も挑戦するやつもいるだろう。
それが「お池にはまってさあ大変!」ゲームなのだった。
われを忘れて何度も何度も繰り返すゲーム。
そうして、天から声が聞こえてきた・・
「ぼっちゃん」(どんぐりの子へ)「そろそろ、帰りましょ」
あんまり遊んで夢中になりすぎたゲームもそろそろ仕舞いにして帰りましょ。
森に帰る時が来ましたよ。
ところが、まだまだ遊びたいどんぐりの子もいた。
じゃあ、別のお池につれてってやりましょ。
こうして、お池から上がって森へ帰るどんぐりが出発の用意を始めたとさ。
だけど、遊び散らかした道具も片付けてからね。
そういうわけで、いちど、嘘とねつ造の世界をきれいにしてから帰れるようで。
いきなり、アセンションできるわけじゃないようね。
え?
ここで、天の声・・が・・・・
「自分の部屋をきれいにしてから、こういの書きましょうね♪」
空耳だったかな・・・・
ところで、今でも忘れられない「持てた話」だが(もちろん、生き物からですよ)
お客さんの庭仕事をしていたら、後ろからいきなり脚を抱きつかれた。
ん?
振り返ってみると・・・犬が前足で僕の両脚に抱きついていた♪
もうひとつ(こんどは人間だぞ。それも女性¥)
さて、もう帰るかな・・
とその家の人に告げると・・
「帰らないで!ねえ、帰らないで!」
と女の子が哀願するのだった。
ただ、この子はちょっとちえ遅れと言われた女の子でした。
そこの家族とともに皆が笑った・・・
いまのところ、持てた思い出はこのふたつだな・・・・
まあ、いいか。重いものはずいぶん持てたし・・・
以上は自分のふんどし。
マドモジャ愛(ない)ブログ主
下は他人のふんどし
(なに!他人のふんどしの方がいいって!)
本当は知っている
マドモアゼル愛」様ブログより
では、
「毒が人を殺している」
とすれば?
当たり前ですね。
毒が薬になるのですから。
同じなんです。
いろんな毒を使って、その毒のもつ作用のうちのひとつを効能(主作用)としたまでのことです。
つまり、毒を生体に入れるといろんな作用が出てきます。
それは同時に起きるのですが、目的の作用だけを「薬の効用」としたわけで、残りの作用は副作用とした。
だから、毒の方では別に主作用を選んでいるわけでもない、同時にいろんな毒の作用を出しているわけです。
あとは、その生体との絡み(毒性との生体の反応は個々のちがいがあるため)で、すぐにはなんともない人と(後で出る人が多い)、すぐ反応が出る人(毒性がすぐわかる・・・薬害患者として認識できるひと)があるので、多数決じゃないですけど、薬害が少数の場合はなかなか問題にされないのです。
いづれにしても、すべての薬は毒から作られ、毒であるから効くというわけです。
もっとも、その「効く」イコール「治す」では無いのです。
それは薬理学博士が書いています。
「残念ながらお薬には病を治すお力を持ち合わせておりません」と。
「治すのは自分の治癒力なのです。」
とも。
でわ、
なんでお薬を使うの? となります。
それは人の「頼る心」にあると思います。
「これを飲めば私はよくなる」という強い思いと長い間に作られた信念(思い込み)が強力に自身の治癒力を上げる。
もうひとつは、薬の効果があるということでしょう。
え、効果? そう、治す効果ではなく、
症状を一時的にでも緩和、停止させる効果です。
そのため、ひとの心はもっと「思いが強くなり」治癒力に影響するのでしょう。
長い目でみないと本当の薬の効果(悪影響)は分かりにくかったのです。
ところが、自然界の変化によってその効果が短くなってきました。
すると、
誰の目にもわかりやすくなってきて、「薬は毒だ」「薬が病気を作る」などと、昔に言ったら頭を疑われる時代からみると、今はかなり分かりやすくなってきたのです。
本の表題
「薬が人を殺している」
などと現代では大して驚かない時代になったのですが、日本人では岡田茂吉氏が昭和の初期から同じようなことを言ったり書いたりしていたのです。
外国でもそういう人は居たと思いますが、なんといっても人類の意識の変化が起こらなかったのと、自然界の「原因 → 結果」の時間的経過が長かったので分かりにくかったわけです。
誰でもわかるようになって来たのは、その時間経過が短くなってきたということでしょう。
この経過時間が短くなればなるほど、薬の効果の副作用と言われる害作用の方が目立ってくるわけです。
そうなると、理屈も何も実際に薬を使っての結果で一目瞭然という状況になるのでしょう。
それまで、そう長くないような気がしているのは、いま地球が太陽系の変化と同調しているという情報があふれてきている事から思い当たるのです。
そう思うかどうかは個々の判断にお任せしますが、知っておくことで、後で納得するひともいるでしょうから、この本は買っておいて損はないと思いますよ。