千島学説 2(間違いだらけの医者たちより) 後半
生物学は医学の基本である。医学は生物学の応用である。しかしその生物学が間違っているとしたら・・・
故千島喜久男氏は生物学専攻の医学博士であった。氏が唱えた千島学説は異端の説として一時日本の学会から葬られようとした。しかし、時至って異端が異端でなかったとしょうめいするかのように、医学の自壊が始まっている。
いつの時代でも異端の説というのは、当初は無視され拒絶されるようだ。しかし、それが真実であるならば
時とともに現れてくるようだ。医学の基本となるのは、やはり、生物学。その専門の学者が発見したものは何
だったのか。著者、枠山氏は千島理論を非常にわかりやすく解説されて本にしてくれた。我々はただそれを
読むだけで偉大な先人の智慧を学ぶことが出来る。なぜ本のタイトルが【間違いだらけの医者たち】なのか
読むにつれて納得していくだろう。
もう余り時間は無いのだ。今こそ医学革命が必要な時に。
項目から抜粋
*ガン細胞もからだに必要なのだ *千島学説を指示したパリ大教授 *老化は腸内細菌が原因になっている *生物の体を借りて原始転換ができる *なぜ菜食主義者は長生きするのか *エントロピーの法則は本当なのか *突然変異とはわけがわからないこと *不安定こそ生きている証拠だ *すべてのものには経過中の中間点がある *生物と無生物の区別をする必要はない *逆成長で長生きできる *弱肉強食で進化したのではなかった *自然は不相称性だから・・ *人間モルモットにされているがん患者 *現代医学の誤りに気づき始めた *病気を治すのか病人を治すのか *薬をきちんと飲めば病気になる *日本の医師は独禁法に違反している (国民保険制度は非常に弊害があり矛盾がある)
(後半続き)
がん細胞もからだに必要なのだ
余りにも安易にからだを切りきざむ医師と、それに同意する患
者の軽薄な風潮。
たしかに患部をとりのぞけば苦痛は消え、たいへん効果があった
かに見える。だが生体が失ったものは永久に戻ってはこない。
からだには無駄なものはひとつもなく、すべての細胞がつながり
かかわってひとつのからだになっている。
がんにおいても、からだの全体を維持する装置がはたらいて、が
ん細胞があらわれてくるのである。
手術は療法ではない、疾患をとりのぞいても、血液の悪化とい
う原因が解決されていないから、同じ病気の再発が起こる。
がんの部分をとり除いても根本の解決にはならないのである。
病気の部分をからだから切りとってしまうのではなく、その部分
を健康な状態に戻すべく努力するべきではないだろうか。
ほとんどの人ががん細胞をもっている
(加藤師の談)
1、四○歳すぎればほとんどの人ががん細胞をもっている。その
がん細胞を病院の検査で発見され、現代医学の治療を受けた人
達が死んでいる。
2、癌細胞は、食生活をはじめとする生活改善をすればそれ以上
大きくならない。それどころか小さくなっていく。がん細胞が
消滅しないまでも、癌細胞と共存して生きていくことができる
3、病院で過酷な検査を受け、手術、抗がん剤投与、放射線を照
射された患者は、正常細胞を痛めている。その結果、腸の繊毛
をやられた人はほとんど回復しない。
癌研究会研究所の管野晴夫所長は、
「各病院の解剖結果によると、高齢者の五○パーセントに癌が存
在し、早期がんクラス。このような人達も生前はがんだという診
断は下されなかったし、症状もまったく出ていない。ほとんどの
人はなんらかの癌を体のなかに持っている。臨床がんはそのうち
のごく一部のものが顕在化したものと推定される」
と発表。
加藤師は「がんは健康な人でももっていると考えたほうが正しい
それを早期に発見して手術する医者の行為は間違っている」という
がん細胞は人間の体をつくっている細胞の一部であると考えたと
き、医療機関がしきりに宣伝している 癌の定期検診による早期発
見、早期手術はいったいどういいう意味をもっているのだろうか。
高齢者の約50パーセントに癌が存在することが分かった今日、
二人に一人は外科医のメスを受けなければならないっことになるで
はないか。
自然に反するそのような行為が許されるはずがないと加藤師はいう
千島学説を支持したパリ大教授
「がん細胞は病的になった血液中の赤血球が変化して生ずるもので
ある。細胞分裂にとってどんどん増えるのだという、従来の定説は
誤りである」(癌細胞血球由来説--一九六一年発表)
この論文は国内での評価は受けず、無視もしくは黙殺された。
ところが四年後の一九六五年になって、パリ大学の教授アルペンが
[がん細胞の血球原説]という、千島と同じ結果の学説を発表し、
大きなセンセーションをフランスで巻き起こした。
そのとき、血液学者ステファノポリ-博士が千島の優先権を認めた
ものの、全体の流れとしては細胞の分裂を信じる生化学者、医学者
によって、この新説は結局、無視されるかたちになった。
千島はその後も研究を続け、癌細胞の自然治癒を示唆した。
老化は腸内細菌が原因になっている。
癌をはじめとする病気の治療及び予防には、食べ物の内容と胃腸の
環境をよくすることである。
食べ物と胃腸が健全なら、きれいな赤血球が作られるので病気にな
らない。
癌に限らずほとんどの病気は全身病であるから、局所だけ治療す
るという現代医学の治療は間違っている。
健康を保つ条件の一つは少食であることだ。特に動物性タンパクの
とりすぎは腸内の腐敗をおし進め、反面新鮮な自然な野菜は血液を
きれいにする。
腸内に有用といわれる乳酸菌は外から入ってきたものではなく、食
べ物から自然に発生してくる。(ヨーグルト内と腸内の乳酸菌の種
類は違うことに注目)
菜食主義者なら充分にビフィズス菌が発生することを提唱した。
生物の体を借りて原子転換ができる
微生物の作用によって食品が分解され変化することを醗酵と腐敗と
に分けて呼ぶが、これは人間にとって有害か無害かというまったく
人間本位の分け方である。
すなわち微生物は非常に低いエネルギーで原子転換する能力をもっ
ている。これを実験したのが、有名なフランスの理論物理学者ケル
ブランである。(生体内原子転換説)
この説は、科学の常識から考えると奇想天外な説である。なぜな
ら、今日の原子物理学では、何一○万ボルトという巨大なエネルギ
ーを使うサイクトロン装置でなければ、原子転換は不可能だと考え
られているからだ。
しかし、生物のからだを借りれば、たとえ小さな植物や酵母のよう
な微生物でも、その数百万分の一のエネルギーで原子転換ができる
というのだ。この新説を応用すれば、今までの科学では説明できな
かった多くの科学上の謎が、一挙に解明できるのである。
たとえば、いろいろなビタミンやカルシウムなどが生体の中で新し
く合成されるわけも、説明できるようになるだろう。
千島はケルブランの生体内原子転換説によって自分の学説が説明で
きることを知った。
この考えからいくと、草ばかり食べている動物が肉や玉子や乳を毎
日生産している謎も、体の中の原子転換説で説明できるのである。
なぜ菜食主義者は長生きするのか
ケルブランや千島の新説を認めれば、生物学や化学が変わり、その
応用である医学や栄養学も変わる。
現代の栄養学では、タンパクは動物性であれ植物性であれ、欠くこ
とができないというのが通説だ。
脂肪や炭水化物(窒素を含まず)は蛋白質(窒素を含む)の代用
ができないという考えだから。
しかし、ウシやヒツジ、ウサギが、タンパク質の少ない草を主食
として多量の乳汁を分泌したり、筋肉を発育させている。その事
実を現代医学や栄養学では説明できないのである。
無残!少女の腕を切り落とす
私は五年間加藤師のガン自然治癒の実態を見てきたが、現代医学
では、がんは救えないのでないか。病院では患者に苦痛を与え、
逆に寿命を縮めているのではないかという疑問をもった。
十八年間に十三回の手術を受けあと半年くらいの命というのに、
これ以上手術はできないから腕を切り落とすといわれた少女の例
があった。
医師は何を考えているのか!加藤師は怒りをあらわして言う。
このような患者不在の医療が、どんどん進んでいることは確かで
ある。
四人に一人が癌で死んでいる。これは他人ごとではない、自分が
なったときには自分で治すよりほかに道はない。
加藤師の道場は、現代医学で見放された人ばかりを相手にしてい
る。その中には助かる人も出てくるのだ。
特別な治療をほどこすのではなく、患者自身の自然治癒力をたか
める方法であり、患者自身が治しているといえる。
加藤式療法をしのぐ療法はいづれ開発されるだろうが---。
現代の若者は自動車やテレビなどの知識をもっているが、一番大
切な自分のからだのことについては何も知らない。
無知こそ病気の最大の原因ではないだろうか。一般の人が健康に
対する知恵を得ることが、全ての病気に対する根本であると思う
第6章[生命弁証法ですべてが解決する]
エントロピーの法則は本当なのか
エントロピーの法則とは、言いかえてみれば、時間は矢の飛んで
いくように一方向に進み、再びもどってこないことを意味してい
る。
しかし自然界にはこの法則に当てはまらない例がたくさんある。
生物がそれだ。体の内部と外部の間で、つねにエネルギーの出入
りが自由であるからだ。
千島はこのエントロピーの法則に真っ向から反対する。
その理由は、エントロピーの法則は、自然の姿の片面だけしか見
ていない。つまり、自然界の一方だけを支配する“死の法則”だ
という。
自然界にはもう一つの“生の法則”がある。この“生と死”の両
面の法則でものごとを見なければ、事実を見落としてしまうと、
千島は言った。
生命弁証法は、「全てのものは繰り返す」ということを原則にし
ているのである。
生命弁証法ですべての現象を説明する
千島は現代生物学、医学の常識を破った学説を次々に唱えた。そ
れは彼に生命や自然をありのままに見る眼があったからである。
オスがメスに、メスがオスになる
「すべての事象は時間の経過と場所の変化に応じて絶えず流転す
る」
一人の人間をみても子供のときから晩年まで、すべてが変わって
くる。自然だけでなく、政治経済、社会生活、人間の心も常に変
わる。
ところが、現代の科学は、物事を変化しないものだとしてみてい
る。赤血球は赤血球であり、白血球は白血球であり、まったく別
の系統のものだとして区別している。しかし、千島はすべてのも
のは変わるという眼をもって顕微鏡を覗いた。
そしてそこに赤血球が核をもつ白血球に変わり、それがさらに細
胞に変化することを発見した。そればかりではなく、細胞が赤血
球に逆戻りすることも発見した。
現代医学は中間を認めない。しかし生物の世界では、オスがメス
に、メスがオスになることはいくらでも知られている。
人間も発生の時点では両性的で、まだ男とも女とも決まっていな い。
そういう要素を潜在的に持っていると考えられるのである。 突然変異とはわけがわか
らないこと 生物は環境によってからだのかたちや、性質を変えていく。生後に 起こるよ
うな変化は、その生物の一代限りのものであって、それは 子には伝わらないと、現代の
遺伝学は言っている。
そして、生物が進化してきたその変化のおもな原因を“あるとき突 然”といった突然変異
で片付けてしまっている。 裏を返せばわけがわからないと言っているのと同じ意味である。
こ れでは納得がいかない。 生物はながい年月にわたって代々、子が親に似るという遺
伝と、環 境などによる親の変異を子に伝えるという、このふたつの要素をつ みかさねて
少しづつ変化して、そして進化したものである
しかし現代医学では細胞核のDNAという遺伝子によって、子供 へ、孫へと伝えられると
いう不変的な考え方なのである。
すべてのものは変化する。変わらないようにみえるのは観察の時間 が短いためである。
不安定こそ生きている証拠なのだ 「すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進
歩や変化の原 動力となる」というのも基本的考え方であり、例外のない真理であ る。
自然現象や生命現象はすべての矛盾対立をそのなかにもっているの である。
すべてのものにひそむ対立は、男と女のようにお互いを補 い合っているが、それは決し
て固定したものではなく、ときにはマ イナスが、またときにはプラスが優勢になったりしな
がら流動的な バランスをたもつ。よせては返す波のようにその消長を繰り返して いる。
生物におけるこの矛盾対立は、常に動的(ダイナミック)で、そし てだいたいにおいて平
衡状態にある。完全な平衡状態ではなく、そ のとき、そのときによってどちらか一方が力
を持つ。完全な平衡状 態になると死を意味する。 老子は、 「一つの道は陰陽二気を生じ、
二は三を生じ、三は万物を生ず」 と述べている。 対立するすべてのもの、すべての現象は、
もともと一つのものが、 二つに分かれたのである。そしてその二つは一つに帰するという。
「自然や生命はおよそ調和しているが、少しゆがみをもっている。 そのゆがみこそ生命や
自然の真の波である」 と千島は述べ、すべての自然現象は、波動と螺旋性を基礎としてい
ると考えついたのだ。 なぜトカゲのしっぽは切っても生えてくるのか 「すべての事物は量
の蓄積によって質的変化が起こる」 たとえば、液体である水に温度の量を蓄積させる(摂氏
一○○度の 熱を加える)と気体になる。
逆に温度量のマイナス蓄積(摂氏○ 度)を加えると固体(氷)に質的変化する。
生物の進化をみてもこの法則をみることができる。単細胞のアメー バやバクテリアはその
構造や働きが単純で下等であるが、そのよう な細胞が約四○○兆集まったものが人間だ。
生物は細胞の集まりだが、その成分である細胞をある割合で加えて みても、生きた人間や
生物は生まれてこない。 生物の持つ全体性は、部分のたんなる寄せ集めではなく、なにもの
かがプルスアルファされて、新たに獲得されたものをもつからだ。 生命体はたんなるたし算
以上のものをもっている。 だから、からだは健康なときでも、病気のときでも、生命を維持し
よう、正常に回復しようという方向に働く。
全体が部分より優位に立っている証拠の例として、トカゲのシッポ であり、高等動物では
傷や骨折が自然に治ることである。 これは生物のからだが機械とは違う点である。
このように生物は全 体性をもち、全体のために部分を規制する。 癌細胞にしても、癌細胞が
あらわれなければ、からだは全体として もっと悪い方向にいくからだ。
すべてのものには経過中の中間点がある
科学は一般にはっきりしているのものだけを対象にし、不明瞭で
ぼんやりしているものを嫌う傾向にある。明瞭なものを尊重する
という科学者の精神は当然なことだが、はっきりした事実があり
ながら、型取りできないいために、それを不明瞭だとして排斥す
るのは間違っている。
「組織学の実験をしていて、教科書には血球あるいは細胞の定形
的な特性を備えた図が記載されてる。しかし、実際に顕微鏡を覗
いてみると、血球とそれぞれの組織細胞との中間移行型の細胞が
見える。これはいったい何なのか。おそらく世界中の組織学者や
病理学者は解答、説明できない。
それは現代の科学が形式にとらわれてAともBともつかないもの
は、無意識にあるいは意識的に見逃しているからではないだろう
か」と現代科学のものの見方を批判して、千島は述べている。
千島の学説は、その研究のすべてが現界領域にある。ばくぜん
とした、この現界領域にこそ真理が隠されていたのである。
「すべての事物には、経過中の中間点がある。」とは、このこと
だ。
現代の生化学者が、赤血球はいつまでも赤血球としか考えられな
いのは、地球の一部をとらえて大地は直線であると考えてるよう
なものである。
生物と無生物を区別する必要はない
「自然は連続している」
人間のからだは外界とははっきり区別できると考えるのが普通
だ。しかし外気は鼻の穴から気管を通して、肺の膜でガス交換を
行っている。そこで酸素と二酸化炭素が出入りし、この壁が外部
と内部の境界となって人間は自然とつながっている。
消化器においても、口と肛門を通して外界に開いている。人間は
穴のあいたちくわのようなもので、消化器の内側は外部環境であ
るといえる。
その消化器のなかにつまっている食物は、腸の膜を通じて内部環
境である血液とつながっている。その食物が消化されたもの(食
物モレラ)は、腸と絨毛とのはっきりした境をもたず、連続して
移行している。
この発見が“腸管造血説”となった。
このようにすべては連続している。生物と無生物も連続してい
る。生物と無生物との区分は、人間が勝手に決めたものにすぎな
いのである。
現代生物学の定義からすれば、細菌やアメーバはどうにか生物の
仲間にはいるが、ウィルスやリケッチア(発疹チフスやつがむし
の病の病原体)などは生物とはいえない。ウィルスは「生きなが
ら死んでいる」などと言われるのもそのためである。
それらは、生物と無生物の限界領域にあるものともいえる。人間
が勝手に区分したために、居所を無くしてしまったのである。
生物の起源は、無機物が有機物になる時点で、そこから発展して
生物に進化する。 千島は無生物が生物になる可能性を説いたの
である。
本来、自然界は区切りなく連続してつながっているのである。自
然界にはなにひとつ、孤立し、他とつながりをもたないものはな
い。
逆成長で長生きすることができる
「すべての事象は繰り返しを原則とする」という考え方は、現代
科学の主流の考え方と対立する。発生、発育の現象と崩壊、破滅
への現象を一体にしたものが繰り返しの原理である。
現代科学の最高の法則と言われるエントロピーの法則が成立する
のは、宇宙がエネルギーの出入りのない有限の世界だと考える場
合であって、宇宙が無限であれば成り立たない。
老子は「陽きわまれば陰に転じ、陰きわまれば陽に転ず」と言っ
ている。自然というものは、限界になれば次にそれを減ずる力が
働き、まったく逆方向に向かう作用をもっている。
また「色即是空」という言葉は、科学的に言えば物質とエネルギ-
の関係をあらわしている。物質はエネルギーであるが、エネルギー
も物質であるということと、物質はエネルギーになるがエネルギー
も物質になるということである。
一日は昼と夜、一年は春夏秋冬、月は満月と新月、海岸の波は満ち
たり引いたりするように、この世の中のすべてのものは、成長と逆
成長を繰り返してなりたっているといえるだろう。
弱肉強食で進化したのではなかった
千島は、進化のもっとも大きな力は「自然界は共生でなりたってい
ることだ」と言った。
人間社会が、結局のところ、個人と個人の信頼関係にすべてがある
のと同じで、生物の進化も、種の違う生物との助け合い、総合扶助
で成り立っているのではなかろうか。
生物界を見渡して、まったくほかの種の助けをかりないで生きてい
る生物はいないのである。
化学的には親和力、物理的には同性電化をもつ分子の同性反発、異
性索引の法則にしたがうものから、細胞のように同性、異性の区別
なく、ただただ集合しようとする衝動にかられるものをも含め、す
べての物質は精神をもっているという。
もちろん、陰と陽の電気的単純なものから、高度に進化した人間の
精神的エネルギーに至るまで、その程度は異なっているが、根本に
は共生がある。
そしてこれは「親和力、または愛」という力によるものだ。
ベルギーの物理学者イリヤ・ロリゴ-ジンが最近注目を浴びてい
る。彼は一九七七年のノーベル化学賞の受賞者で、やはり、エント
ロピーの法則を超えようとする理論をもっている。
「宇宙の起源が、大きな爆発(ビッグ・バン)で始まったとした
ら、宇宙はたんなる花火にしかすぎない。自然界はビッグ・バンで
説明がつくほど簡単なものではない。近くに寄って見れは見るほど
複雑な世界がみえてくる。その複雑で、豊かな創造力にあふれた宇
宙では、すべてのものが流転する。そう考えると確率の法則などは
冗談にもならない。本当の世界はもっとデリケートである。法則も
あるが、例外もある。時間もあるが永遠もある。世界を自動装置の
機械だとする古い考えはもう捨て、古代ギリシャの発想に戻ってほ
しい。世界は芸術なのだ。」
最近、この理論を裏づけるようなバクテリアによる実験が紹介され
たという。
一般的には、物質は精神とは別個に独立した存在だと考えられがち
だが、物質と精神を含めたエネルギーについての正しい概念を持つ
必要を痛感する。
自然は不相称性(アシンメトリー)だからこそ美しい
物理学の世界では、素粒子の空間的な対称生のことを、パリティー
の法則と名づけた。そして、すべての原子は左右対称と認められて
いた。ところが一九五七年になって、中国の物理学者李政道と揚振
寧の二人が、パリティーの法則は成立しないことを発見した。後に
二人はノーベル賞を与えられた。
原子の世界でも右と左は相称性(シンメトリー)だと考えられてい
たのに、ふたを開けてみると不相称性(アシンメトリー)だったの
である。
ここにパリティーの法則が破られ、宇宙はゆがんだものだというこ
とがほぼはっきりしたのである。
「生命の形態はアシンメトリ-である」と言った千島の理論が、原
子レベルで証明されたのだ。
自然界における左と右は相性的にみえて、実はすべて不相称性であ
る。
人間のからだの内部、外部をみても近似的な意味での左右相称で、
あきらかに形も機能も不相称性である。顔にしても、必ず左右に少
しづつゆがみのあることを知っている。
原子という極微の世界から、地球、天体、宇宙空間といった極大の
世界に至るまで、自然はわずかに不相称性であることが分かって
きた。
千島は「真の美は少し不相称を含んだ相称である。不調和の調
和である。完全なる調和は死に通ずる。動きがないからである」
「人間は直線を好むが、自然は曲線を好む」と言った。
いままで延べてきたことをまとめると「生命現象は波動と螺旋運
動としてとらえるべきである」という結論になる。
自然や生命の現象は、決して直線的に進むのではなく、寄せては
返す波のように、月が満ちては欠け、昼と夜が繰り返すように必
ず波動をもっている。その繰り返しは同じ円上をまわるのではな
く、螺旋を描きひろがっていく。
それが千島の見た自然界だったのである。
現代の科学は唯物論的で分析的な見方によって、物質や機械や化
学の技術進歩を遂げてきた。しかし、無生物を相手にする物理や
化学にはその弊害も少ないが、生物学を基礎とする医学には多く
の問題を残している。
終章[自分の生命に責任をもちなさい]
人間モルモットにされているがん患者
一人のがん患者の体験から~ 手術をしても半年の命と言われ
た。どうせ半年の命なら、痛い目をさせずに、切らずに退院をし
ようとしたら、その某医大病院では、「切らせてくれ」という。
「手術して治る保証はあるのか」と聞くと、「可能性がある」と
いう。「どのくらい助かっているのか」、「一人だが助かってい
る」たった一人以外は不幸な結果に終わっていることを知り、退
院を申し出たのだ。それまで、三日も要したが、その間病院の動
きは不可解だった。
医師は家族にはひと言の断りもなく、患者本人に手術をすると通
告してきたのである。そして本人を検査室につれて行き、およそ
二○○人の医師や関係者のさらしものにしたのである。
まさにこれは患者の人権無視である。
がん手術は病院経営のためなのか
○○病院の副医院長である石神氏は、加藤式療法を試みている医
師である。この東洋医学的な療法を行い次の様なことに気が付い
た。
A、癌細胞の摘出をまったく受けていない人
B、手術を試みたが除去不可能のためそのままにした人
C、手術でがん細胞を除去した人
a、放射線療法、抗がん剤投与をまったくしなかった人
b、抗癌剤投与だけをした人
c、放射線、抗がん剤投与した人
と分けてみると、治りやすさはAa~Cc順になるのではな
いかというのである。
ことがんに関して言えば、「医師はがん患者を殺しているといえ
ますね。それが言い過ぎであれば、生命を縮めていると言えます
ね」、「まあ、そういうことだね」と石神氏は認める。
「手術、放射線、抗がん剤というこの癌の治療をやめたらいいで
しょう。」「そんなことできないよ」「どうして」「この三つの
治療法以外にがんの治療は現代医学にはないからだ。またそれを
やらなければ病院の経営は採算が合わなく、成り立たないじゃな
いか。この三つの治療法で癌が治るという考えをもっている医師
は一人もいないよ。そしてそれがよくないことも医師は知ってい
てやっているんだ」
現状の医療制度ではどうしようもないことだというのである。
「私は、今の日本の医療の姿に怒りを抑えることはできない。一
番大切な命の問題、あるいは健康の問題を、すべてカネで解決し
ようとしているからである」と、言って医師免許を投げ返したの
は塩月正雄氏の良心だった。
医師もまた現代医学の犠牲を負わされているように思える。
新しい医療をめざす医師もいる
若い医師の松本氏は言った。
「現代の医療は間違っている。この部分がよくてこの部分が悪いと
いう問題ではない。部分修正ですむものではないのだ。一度すべて
をたたきこわして、そして一から出直さなければならない」
現代医学の誤ちに気づき始めた
「アメリカの若い医学生たちは、自分たちの学んできた合理的医学
の不合理生に気付き始めている。従来の医学のあり方への反省から
“人道医学”が提唱されている。 真の治癒ができるのは病気にか
かっている本人のみなのだという認識がたかまりつつある。患者の
自主性と人間らしく生きるという願いは、人間らしく死ぬ権利の主
張をも呼びおこしている。」これは、マリリン・ファ-ガ-ソンの
言葉である。
今日の健康ブームは、裏返せば現代医学の批判である。このブーム
は、医師に預けっぱなしになっていた健康管理を、もう一度自分の
手の内の取り戻そうということで大いに評価できると思う。
新しい医療、 それを「自分の信念にしたがって健康を管理する時
代」と呼びたい。
なぜなら、新しい行動に移るには、新しい理論がどうしても必要な
のである。
“病気を治す”のか“病人を治す”のか
現在の病院では、病気は治ったが患者は死んでしまったという笑え
ない話がある。
現代医学がかかえている問題は、人間のからだを物質としてとらえ
ているために、全体としてなりたっていることを忘れ、どうしても
悪い部分だけに眼がいくことであろう。そしてそれを科学だけで解
決できると信じていることである。
千島はそれを「科学迷信」と表現した。
「迷信とは真実でないことを信じることによって害を受ける場合を
いう」のだとすれば、現代医学の常識を信じ、そして、医学知識が
原因の“医原病”にかかったり、薬公害に悩む人々が多いというこ
とは、科学迷信というワナに落ち込んでいるということになる。
東洋医学にしても薬で治療する方法は最低のものだと説いている。
薬をきちんと飲めば病気になる
人類が直面している危機は、およそ三つに分けられると思う。
その一つは、核戦争による人類や地球の破滅。
その二は、科学や技術文明が一方的に発達することで、自然崩壊や
公害が続出し、人間の健康が少しづつおかされていって、人類が滅
亡することである。
その三は、人類が生き残れるほどの食糧がこれから確保できるかど
うか、エネルギー資源をいつまで確保できるか。
これらを解決するには、とても科学の力だけでをあてにすることは
きない。今こそ、物質や経済優先の思想に歯止めをかけ、精神文
明を復活させることが肝心ではなかろうか。
そのためには、なんとしても自然や生命に対する正しい知識を学び
とる必要がある。
その指針が千島の“生命弁証法”であった。
一八七三年(明治六年)に、日本の医療制度が改革され、西洋医学
が中心となって今日に及んでいる。 そして、その西洋医学一辺倒
は、百年後の現代になって、大きな問題を投げかけている。
現代の医療制度に大きな問題がある。
病人がいなくなれば医者は成り立たないという医療制度になってい
るからだ。
医師はがんの予防運動よりも、早期発見、早期治療に声を大にして
いる。しかし、どんなに早期発見、早期治療をしても、ほとんどの
患者は半年ほどで死ぬ。
日本の医療制度だと、自分の区域に患者がたくさんでた方が儲かる
ようになっている。病人が出なかったら医者は困る。
現実の医療制度は保険法があって、ある程度の病気なら、ほとんど
お金がかからない。そこで行く必要のない軽い風邪でも何かと安易
に病院に通い、医師に負担をかけ、儲けさせている。
そのうえ、いまの保険制度では薬をあたえたり、手術したりすると
点数が上がるようにもなっている。
そこで、医師も必要以上に患者に薬を与えようとする。これが、
乱診を生み出す土壌となっている。
病院でもらった薬をまじめに飲めば、それだけで病気になる。
しかし医師はそんなことにおかまいなく製薬会社と提携し、薬を
安く仕入れ、患者にどんどん薬を与える。そして病人をつくると
いう悪循環を繰り返しているのだ。
日本の医療制度は徹底して先進的に見えるが、保険制度など見直
さなければならない問題が、いくらでもあるのではなかろうか。
日本の医師は独禁法に違反している
千島はかつて“医療国営論”を唱えたことがある。
今の日本の国民保険制度は、医療国営に近いように思われている。
医師などもこれでよいと思っている。ところがそうではなく、
国民保険制度には非常に弊害があり、矛盾があるのだ。今の医療
制度では、病院に入っても特等席があり、保険ではまにあわない
薬もあり、プラスした費用がかかるるようになっている。
また東洋医学や民間療法も取り入れられておらず、これら有効な
療法も保険制度からはずされているのだ。このように差別待遇が
ある。
この医療国営を実際にやっている朝鮮人民共和国では、医療が無
料で、国が医者を地域別に割り当て、担当の医師はその地域を巡
回し、健康管理の指導を行う。そしてその地域の住民に病人が少
なかったり、死亡率が下がったりすると、医師の月給が上がる仕
組みになっている。
日本の医療制度とはまったく逆である。その面だけ見れば医療の
先進国である。
中国では、西洋医学しか学んだことのない医者しかいない日本の
場合とは違って、西洋、東洋医学の両方の医者が活躍している。
また、中国では医師の実際の力を評価する。
日本の医師は、政治献金などで政府と癒着し、人間の命を扱って
いることをたてに、特殊な法律で守られ、医師会は力のある大き
な団体
そこで医師にも独占禁止法を適用し、自由競争をさせたらどうで
あろうか。それには、東洋医学や民間療法などを参加させ、病気
を治すのは医者だけではないということを大衆に示すことだ。
そうすれば、薬を飲ませて病気をさらに悪くするような病院には
行かなくなる。
これが千島のアイデアであった。
しかし、日本の医療の現実は、特殊な医師法(病気は医師以外が
診断、治療してはいけない)という法律の規制の元で、医師たち
は大きなあぐらをかいているのだ。
千島が提案したように、日本の医療制度が改革されるかという
と、現実には絶望的と言わざるを得ない。
では、私達ができることは何か。
それは私たち一人一人が、生命や健康についての正しい知恵をも
ち、医療について正しい判断を身につけることしかない。
自分の信念によって自分の健康を管理する。そんな時代がきた。
千島学説はそのための理論だと私は思う。
(終わり)