考えりるな、観じるんだ。
感じるんだ。
と精神世界の方ではよく言われるし、ボクも言われた事がある。
あ、かんじる? 感じる、観じる・・・
しかし、現代の社会はどうだ?
考えるな! までは同じだ。
しかし、後がまずい。
自分で考えてはいけない、上から教えられた通りになりなさい。
と北門だ。
なな、なんだ、奴隷制度かい? なんて言う奴は、考えている奴だろう。
そこで、
« ・決して崩壊しない真の基盤
より
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
考えることは常に破壊的だ。
どんな社会も、それを構成する人々が考えることを望まないものだ。なぜなら考えることは危険だからだ。社会は、ただ言われることなら何でもする、ノーと言えないロボットが欲しい。だがノーと言うことは彼らには不可能だ。彼らは機械だからだ。
すべての工業化した社会が、人を機械と入れ替えているのは偶然ではない。
機械は従順で、決して破壊的ではない。これまでに機械が革命家や反逆者だったことなど聞いたことがない。機械を磔(はりつけ)にしなければならなかったことなど、これまでに一度もない。
機械とは非常に立派な人々のことだ。
だが私は機械ではない。そして「破壊的でない考え方」というものはない。考えるということは”疑う”ことだ。考えるとは、人から言われることを(盲目
的に)受け入れられないという意味だ。あなたは自分で決めたいからだ。考えるとは、合理的で論理的であるという意味だ。しかしこれまでの人類は、ただ迷信
深かった。
ガリレオが地球が自転していることを知ったとき、それを知ったローマ法王は宮殿に彼を呼んだ。そしてその考えがキリスト
教に反するので、彼が書いた本の中のその箇所を変更するようにと彼に要求した。なぜなら聖書には、太陽が地球を回ると書かれているからだ。それはまた、み
なの経験でもある。朝に太陽が昇り、空を巡って夜にはその反対側へ沈むように見える。
私たちは地球が太陽を回るのを感じない。
だから聖書に述べられていることは単なる社会的な常識であって、科学的なものではない。ローマ法王は「聖書は神によって書かれた聖なる本なので、それとは異なるあなたの表現は変える必要がある。神が間違いを犯すはずがない」と言った。
ガリレオは、私が愛している人々のうちの1人だ。
彼の天才を、考えを、私は愛している。そして彼のユーモアのセンスを愛している。彼は言った。「かまいません。私はその箇所を変えましょう。ですが閣
下、私がその文を変えたとしても、事実は変わらないということを覚えていてください。それでも地球は回るでしょう。あなたは私を殺すことができるし、私の
本を燃やすこともできます。ですが何者も地球のコースを変えることはできません。地球はそれでも太陽の周りを回り続けるでしょう。」
ガリレオの考えは実際に破壊的だ。
彼は権力者の言うことを聞かないし、聖書にも従っていない。彼は合理的で科学的なものに耳を傾ける。そして破壊的な人々だけが、世界のすべての進歩を
推し進める。あなたが持っているすべて、つまりすべての文明やすべての科学的な発達、すべての技術は、破壊的な考えを抱いた人々の貢献なのだ。それは迷信
的な人々の貢献ではない。
それで、「私は破壊的だ、まったく破壊的だ」と、断言することができて満足だ。
そのカテゴリーに属することはすばらしい名誉だ。イエス・キリストがそれに属し、ソクラテスがそこに属し、ガリレオが属し、ゴータマ・ブッダがそれに属する。彼らは本当の人間だ。そして他の人たちは群集の一部であり、単なる車輪の歯車に過ぎない。
社会は都合よく正しいことについて決めるが、決してそれを疑ったりしない。
つまり社会は、間違ったことが決められていても、人々は決してそれを疑ったりしないのだ。動物と人間の違いは何だろう。我々人間は、真に人間でありた
ければ、破壊的でなければならない。それはアリストテレスによって与えられた定義だ。人間は考える動物であり、考えることは(新しいものを生み出す)破壊
と等価値だ。
世界の多くの国々が、私に4週間の観光ビザさえ与えないと決めたのは事実だ。
だが私はそのことを本当に楽しんだ。なぜなら全歴史の中で、それほど多くの国々が1人の人間を恐れ、4週間の観光ビザさえ出せないほど怖れたことは、かつてなかったことだからだ。
ソクラテスは長生きし、そして彼は毒殺された。
イエスは絶え間なく説教し、そして磔(はりつけ)にされた。私が逮捕されたとき、私はたった2週間ギリシャにいただけだった。その時にすら脅かし、私
がすぐにその家を出なかったら家を燃やすとか、ダイナマイトで爆破するという。こうしたことをするのは、2千年前にソクラテスを毒殺し、イエスを磔にした
のと同じ人々なのだ。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
ワクチンにしても、抗癌剤にしても、血圧降下剤にしても・・・・
これこれはこうなんだよ
と教えられた通り
はい、そうですか
で終わる。
だから、彼らには真実が何時までも見えてこない。
時には我が子のつらい姿をみて気づく人も時には居るだろうが。
真実をいくら隠そうとしても、真実は事実(現実)として時を超えて顕れる。
現代医学は宗教だ。信仰だ・・・と書いたのはロバート・メンデルソン医博だが・・・・
死の医学
日本では岡田茂吉という宗教家が同じ事を書いていた。
そして、一部の科学者もそれに気づいて書いた。
だが、人々は
考えてはいけなかったのだ。
そして、体験が続いた。
そして、いま。
ようやく、気づく人たちが増えてきた。
事実という真実を
いつまでも隠し通せないのだ。
それは体験してから覚るか、体験前に覚るかの違いはあるだろうが。