岡田茂吉論文の正否を決めるのは「わたし」以外無い | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

当ブログの中にはかなり岡田茂吉論文を採り入れています。
中心は医学論です。
それについて指のおもむくまま




おれは昔信者だった。
今は堕落して神棚も仏壇も無い。
そんなおれが未だに岡田茂吉の医学論文を参考にしている。
全てとは言えないが、基本的病気の原理を指示している。
「指示している」というのは、「信仰している」とは異なる。

それは岡田師を宗教の教祖として信仰しているとは異なるからだ。
あくまで岡田師の説いた内容、中身を指示しているということだ。
だが、先に書いたようにぜんぶではない。

自分だけの取捨選択眼を使って選んでいる。
選ぶというのは捨てる部分もあると言うことになる。

それではオレは岡田師と較べてそれほど有能なのか?
どこからどうみても、月とすっぽんだ。

それでもオレは取捨選択している。
捨てる箇所の言えるし、その反証も別の情報から持ってこれる。

そうなると、自分の考えはひとつも無いではないか?
そうかも知れない。

どれも他からの情報を捉えて吟味して、共感するかしないかの
選択をしているに過ぎない。
自分の内からわいてきた智慧でも無い。

しかし、ほとんどそうなのではないだろうか。
だれもが人様の発した情報(知識や智慧)に反応しているのではないか。

地球は丸い
これも自分で見たわけでも無いが、衛星写真などで確認できる。
確認できないものでも誰かの情報を信じてしまえば承認するだろう。

こうしてあらゆる情報は自分が取捨選択していることになるだろう。

その取捨選択眼はどこまで正しいのかは自分では判断できない。
それには他者の選択眼と自分に与えられた時間との関係で
何時でも替わり得る。

だから、現時点での判断でしかひとは正否を言えない。
そんな取捨選択眼でオレは真実だとか間違いだとかを言っているに過ぎないのだ。

正否とは人の数で分かるものでもない。
それは時間の経過で逆転する事はあまりにも多いからだ。
科学的だとか、権威だとかの「添付書」は関係なくなる。

結論として、いま、今、自分が共感することのみが真実なのだ。
その根拠を多数派だとか権威付けで決めるのはいかにも愚かしい。

それを前提にして岡田茂吉氏の医学論文集を読んで欲しい。
なにも鵜呑みにする必要は無い。