集団輪廻ともうそう主 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

200年度版倉庫から 整理しないで捨てます。
その前に



集団輪廻

この世でもグループで仲良く一緒に幼稚園から小学校、そして中学、更に仲良く一緒に高校、さらに仲良く大学へーーーとグループで行くひとたちがいる。


これなら安心だし環境変化(学校ごと)にも対処しやすい。

 時には波乱があったりしてもお互い気心が知れている仲間が側にいるだけで安心だし対処しやすい。まあ、そつなく学校時代をおくることが出来るし、楽しい思い出もおおいだろう。
普通はこのコースが一番無難なではないだろうか。


 しかし、時には冒険家が存在する。

こういう仲良しグループから飛び出して、独りで行動しようとする奴だ。こういう奴は普通の人とはちょっと違っている命題を持つようだ。

またそのためにも仲良しグループの生ぬるい安心コースを抜け出してみるのだろう。一種の冒険家かも知れない。その代わり彼の人生は波瀾万丈になるかも知れない。

そして、時には孤独感を味わうだろう。それもあえて承知の助だから耐え抜く力を備えている。きっとその覚悟が力を持っているのだろう。



ところであの世へ行くと天国も地獄も無いと言う。

しかし、アチラからのチャネリングでは「あると言うひと」「無いと言うひと」様々である。

どうしてだろうか。

 それはその人が今居る時点での情報だからだ。そのひとにとってはそれが真実として見えるのだし、実際にその環境を体験しているらしい。

 ではなぜ、そのひとによって見えたり体験できるのだろうか?

それは、どうやらそのひとの固定観念であるらしい。

それがよそから植え付けられてしまった観念が自分の中でシッカリと固定してしまったから、その観念以外のものが見えない、経験できない状況にあるということのようだ。



 
で、天国とか地獄とかもそういう固定観念から創り出されるらしい。

その固定観念を崩すのはやはり自分の気づきなのだが、それにはどうしてもアドバイザーが必要のようだ。

まあ必ずついているアドバイザーが教えてくれる情報に対してその人がいつそれを受容出来るかで決まるらしい。


決まるというのは、その固定観念(少ない情報から固定してしまった偏りの観念)から自由に拡大された情報を受け入れる決断のようである。

そして固定観念を打ち破ることは地獄の方が天国よりもより易くできるというだ。

地獄という環境がそのひとの受け入れ易いという状態だからで、この世でも苦しい時に手をさしのべられると自然に手を掴むようなものか?(アドバイスを受け入れやすい)

 それに反して天国の固定観念持ちはなかなかそれを打ち破れない環境だということだ。天国よいとこ一度はお出で~~「こんな良い所をなぜ出なきゃならんのだ」って心境なのだろうか? 


この世でもそうだろう。何事もうまくいっている時、「あんたこれじゃ、ほんとうじゃないんだよ」などと言われても「なに言ってるんだい、良いことしたごほうび、もっともっと楽しまなくちゃあ~」って反発されるだろうし、なんでこの天国が悪いっていうのか理解しにくいだろうから。

 
大体が天国と地獄と分けてしまったのが昔からの宗教であったようだ。良いことをした者は天国へ、悪い事をした者は地獄へ。



 それに実際に良いことをしたとか悪い事をしたという意識を持っているから、自分でそういう世界へ行くのが当たり前だと思っている。



死後の世界で見える地獄も天国もほんとうの世界じゃない、固定観念から創られた世界でしかないってこと。それ自体がどこかから植え付けられた固定観念じゃないのか?って言われそうだ。
 


これも後はその考えに同調するかどうかだけで、別にどれが正しいという訳でもなさそうだ。要はその体験を自分が欲しているかどうか、望まない世界は見えないし体験もできないというのが本当のようだ。


 つまり、それが在るのが先でなく、想うから在るというのだ。

マゼランの話で、先住民にとって沖合の船がどうしても見えなかったという話。生物学者(千島博士)が顕微鏡で発見した事実が他の人には未だ見えないという話。


ひとはそれを見てから発見と言うが、心の中で受容しないと見えないというのが真実なのかも知れない。
 

なんか表題の「集団輪廻」からまったくはずれてしまったようだが、初めに書いたように仲良しグループが一緒に輪廻する事例もあるということを書きたかったのだが、そこがマタギキの弱み、何か主題を外して余りある。
 
多くの場合、死後の世界で各人はアドバイザーによって大切な情報を与えられて休息中にいろいろ次の自分の人生の選択に取りかかる準備をするという。


しかしこれも絶対というのでなく、中には急いで次の転生を選んでさっさとあの世(こちらの世界)へと行ってしまうセッカチなひともいるようだ。


 確かに自分の次に選ぶ人生の選択権は自由なのだが、多数のひとが複雑に絡み合って存在している世界に、ただ単純に自分の人生を選んでみても想うように行かない。


何事も根回しが必要であり次の人生での関係する人たちとの情報交換(テレパシー)をじゅうぶんやってこそ、自分の意図する人生コースが決まるのだから。



それに選択したコースに合致する環境も知らないとならないだろう。その時は自然と波長が合うのだろうが、自由と言ってもその同調することがけっこう重要な作業?かも知れない。

だから死んで直ぐ生まれ変わるというのは、その以前からそれさえも準備していたのかも知れない。(それでうまく行っているような場合)


 この基礎準備をじゅうぶん行なっていない転生は、思いがけないハプニングを体験することが多いようだ。

しかしこのハプニングさえも後になれば貴重な経験として次の経験に生かせるのだから、何があっても無駄がない、無駄さえも有効になるのだから、「転んでもただでは起きない」エゲツナイのがひとかも。



 
こうして転生をたくさん経験して最後には輪廻を終わる時が来るという。もうじゅうぶん経験した人にとって同じ事の繰り返しは「飽き」ることなのだろう。


宇宙は同じものや同じことを嫌うようだ。

 浜の真砂さえ一粒ごとに異なり、ひとの指紋もおそらくずっと過去からこの先まで異なっているのではないだろうか。



だから同じことを繰り返す様に見えても、それは微妙に異なっているのだろう。

個性を創った以上、その個性をどこまでも大切にして行くのだろうか。

 もっともこの個性という性質がなくなったら、元の黙阿弥じゃないけど、宇宙も何もかも消滅してしまうだろうけど。在るものひとつひとつのすべての違いを分けているこの宇宙の取締役というのはどんなオヤジなんだろう?


って、オババかも知れないし、ネエチャンかも・・・・・もしその正体が分かった時点でアナタは消滅する・・・・なんちゃって。



 永遠に分からないというのが永遠の真実かも知れない。これだけは永遠かも。


という事で妄想停止・・・・・・・・