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現代文化とは
『医学革命の書』
昭和28(1953)年執筆
これまで説いた事によってほぼ分ったであろうが、要するに医学誤謬の根本は、自然を無視したところにある。というのは病気というものは、さきにかいたごとく体内機能の邪魔物である毒素を、病気という形によって排除する自然作用であって、そのように神が造られたものである以上、人間はそれに従うのが本当である。この例としては、彼(か)の風雨や雷火である。これは空気界及び霊気界に汚穢が溜り、これが濃厚となると、毒素が発生し、人畜その他に害を及ぼすので、浄化作用が発生する。すなわち風で吹き払い、雨水で洗い、天日で乾かし、特殊なものは雷火で焼尽する。これを小さくしたものが人間の病気であるから、この理を知ったなら病気を止める事が、いかに反自然であるかが分るであろう。
ここで病気と科学の関係についての誤りについて詳しくかかねばならないが、元来科学の役目は人間生存上人間の意欲を満たすべく、より便利に、より美しく智能を豊富にし、幸福を増進するための学問であって、その分野は自ら定められている。それは形而下(けいじか)的学問であるに対し、人間の生命は形而上(けいじじょう)的の存在であって、科学の分野には属していないのである。すなわち科学は唯物的分野であり、人間生命は唯心的分野であるのが真理である。しかるに近代に至って科学の驚くべき発達によって、人間はそれに幻惑され、科学をもってすればいかなるものでも解決出来るとする科学過信に陥ってしまったのである。それがため己れの分野を逸脱し、唯心分野の領域に侵入したので、その結果人間生命をも自由にしてしまった。この下剋上(げこくじょう)的考え方が医学を生んだのであるから、根本的に誤っているのは今更言うまでもないのである。
以上のごとく人間生命は、唯心分野にあり、唯心分野を握っているのが神であるから、私が行う治病の素晴しい力も神から発現する以上、いかなる病気も治るのは当然であって、敢(あえ)て不思議はないのである。ところが現代人はこれを見て不思議と思い、奇蹟としているのは実は嗤(わら)うべきであって、逆さになって見れば真直なものが逆さになっているのと同様である。という訳で私が行う神霊治病方法は、見た事も聞いた事もない破天荒(はてんこう)的であるから、容易に受け入れる事は出来ないので、一時は戸惑いするが、しかし根本から判るに従い俄然として、長夜の夢が醒め、医学の迷蒙も分り、ここに安心立命者となるのである。従ってこの著を読んでも、なお躊躇(ちゅうちょ)逡巡目覚めないとしたら、その人は滅びの淵に臨(のぞ)んでいる危険極まる人と言ってもいいであろう。
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要するに神の分野とは「自己の内に繋がる偉大なる力」のことでしょうね。
その「内なる神の力」が「自然治癒力」のみならず「病気発動力」という浄化装置を働かせるというものでしょう。
神と繋がっている内なる世界へと探求すると、今の量子学という科学と精神世界や宗教で言われてきた霊界の探求が繋がってくるわけでしょうか。
神は外ではなく、内に繋がるという意味が「自己治癒力」の解釈になるかな?」
しかも、物理的身体の裏側には霊的身体まで合わせ鏡のごとく存在しているというまか不思議な世界観。
これぞ、最新物理学の「教義」になるではありませんか!
岡田茂吉の霊界論が完全無欠であるとは思いませんが、この当時においての理解と半世紀過ぎた人類の理解力の進歩に差が出てくるのは当然です。
それと宗教という枠組みに入っている理解力とそれを悦脱?してからみる宇宙的な視点から見た霊界論に理解力に差が出るのは当然。
それにしても、この病気の迷信を昭和初期から解いていた岡田茂吉が信者から「神のごとく思われた」のも当然でしょう。
それをさせたのは、やはり偉大な治病効果をあげていた「浄霊医術」だったのです。
観念ではなく、実効がものを言わせた。
しかし、浄霊医術の実効が失せたとしても、この医学革命の書の病理観は特筆するものであり、第三者が大いに研究検討するべきものでしょう。
特に医療関係者は病気の原理解明に見逃すことのない論文であり、千島学説とともに実際に医療現場に即役立てる基本となり得るでしょう。
と、まあ、また偉そうに。