自分の事 その11→大学生時代 | 今日が一番若い日!つちやあきよのブログ

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スタートの年にあたりブログ再開しました
健康産業(目に見えるもの)と占い(目に見えないもの)を扱い、真逆を楽しんでいます!
今は脈絡なく書いていますが、読んでよかったと思って頂けるブログになるよう育てていきます
長い目でお付き合いいただけたら嬉しいです

今日も訪問してくださり、ありがとうございます。

今日はとっても寒くなった東京です。

読んでくださっている方のところはいかがですか?

ご自愛くださいね。

 

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自分の事 その9 生い立ち(幼児期)はこちらです

自分の事 その10→小中高で一番印象に残っている記憶はこちらです

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窮屈だった小学校から高校を終え

晴れて大学へ!

 

ここでも親に迷惑かけました。

推薦取れてたのに、

全然勉強してないのに

他のチャンスを!って

色々受けて、結局

推薦取れていた大学の別の学部に入りました(^^;

 

サークルもクラスもどちらも

友達に恵まれて楽しかった

 

バブル真っ盛りで

サークルの新入生勧誘は

今思うとお祭りみたいで

楽しかった☺

 

入ったのは典型的なサークル

テニス、スキー、学内のイベントはなんでも参加で

バレーボールもバスケットもそこそこ強かったなぁ

なぜか美人ぞろいで有名なサークルで

同期もみんな美人かカワイイ

ちょっと引け目を感じてた💦

 

すぐにサークルの同期の彼氏ができて

(高校までできなかった奥手とは思えない)

4年間、大学生生活満喫しました

 

わがままな私は、彼がいてくれて

守られてたんだと思うけど

当時は全然気づいてない(苦笑)

 

 

2年生になるとき

母が43歳の若さで脳梗塞で倒れ左半身麻痺に。

父と母が車から降りてきて

家に入ったとき

母は、足元に猫がまとわりついて、とか

そんなようなことを言っていて

少しして突然倒れた

 

 

手術の時の輸血のために

サークル、クラスの母と同じ血液型のみんなが

集まってくれたことは今でも大感謝

 

 

家と病院と大学と

ずっと彼が車で送ってくれてた

 

なのに、コンパでつぶれた私をうちに送ってくれた時

父に叱られてかわいそうでした・・・

一緒にいた男友達も巻き添えで叱られてました

ごめんね・・・

 

母が倒れたことで

父は海外赴任をあきらめたと言っていました

そして、

母を治すことに商社マンの情報収集力

総動員で看病しました

母の治療のために上海に3週間くらい滞在したこともありました

この時は歩くことはできるところまで回復していましたが

左手がほとんど動かせない状態でした

「上海ヘルス倶楽部」という

旧フランス領地の広大な敷地の中に

複数の建物があり、

ひとつひとつが事務棟、治療棟などになっていました

とても素敵なところで、そこに入るだけで

お嬢様になった気分でした(^^;

検索しても2000年に旅行した方の記事しかアップされないので

今はもうないかもしれません

 

倒れてすぐに担当してくれたリハビリの先生にも恵まれました

当時は、しばらく寝かせておくのが主流だったけれど

すぐに体を起こしてくれて

腰を立てないと寝たきりになってしまうから

こんなに若いから、そうならないように、と

リハビリをしてくださっていました

 

あとで、

こうしてくださった対応が

母が歩けるまで回復できた大きな要因だとわかって

本当に感謝でした

 

43歳で半身麻痺になった母

子供のころも3姉妹のうち一人だけ苦労したそうです

なぜこんな目に合わないといけないの?

本人の思いは計り知れません

しかし、母は強い人でした

見た目はとてもきれいでやわらかくて

人当たりが良い人でしたが

心底我慢と忍耐ができる人でした

素晴らしい人でした

 

過去形で書きたくないけれど

過去形で書くことで

私は生きていて

自分の足で生きていくんだ、

という意思表示になります

それが母を安心させることだと知っているので。。。

 

今、これを書いていて気づいたのですが

母が亡くなった時、

私は43歳でした

驚いて2度計算しなおしました

不思議ですね

 

今回もここまでお読みいただき、ありがとうございます。