栄養士営業, セミナー講師, カウンセリング歴15年
食事改善指導・サポート実績1万人以上


自身でもツライダイエット経験あり
失敗や、加齢に伴う痩せない苦労を経験した末に

300万円の自己投資をして

加齢での体の変化を踏まえ

食事で痩せる方法を改めて習得しました!

食事で根本的に体質改善し代謝アップする事で

MAX 63kg → 42kg
-21kg 達成 !!!

リバウンドなく
5年間キープしています!


私がある一人の女の子から→現在のエツコ先生に
なるまでの話をします。

空手道場師範の父と、調理師の母の家庭に
長女として生まれました。

弟は4歳下で病弱だった。
父は、戦国時代の殿様みたいな厳格+気難し屋。
母は、2歩3歩後からついていくような人。

私は、なんでも一人で出来る、
手のかからないお姉ちゃんになりました。

■何をやっても認められず、怒られる理不尽な環境

父は、しつけ・教育の枠を超え、
気難し屋でよく怒鳴りました。

特に、私は、幼くして達観していた子供だったので、気に障ったのだと思います。

家のお手伝いも、弟の世話も、
学校の成績も、習い事も、

出来ても出来ても、

「こんなんじゃダメだ!!」と言われ

もっともっと、と 陰なる努力をして、
認められようと常に上を目指すようになりました。

■栄養士という仕事を意識したきっかけ

私立の女子高に進学した理由は、
調理師の母の影響もあり、
「食」への関心が高かった事がはじまり。

都内で付属の短大に栄養学科がある
唯一の学校だったから。

絶対に、ここしかない!!って思った。

偏差値も結構良かったけど、
幸い、勉強も成績も良かったので
推薦枠も確保が出来て順調に進学出来ました。

高校在学中は女子高ならでは和気あいあいの雰囲気。
友達がダイエットしようとしていた時、

本を読んで独学で勉強していたカロリー計算で

食事管理を手伝ってあげたら・・・


目標体重になれた!!って
すごい喜んでくれて。


やっぱり、私栄養士になろう!!って
思ったんだよね!


■栄養士資格取得と、社会人生活のスタート

短大の2年間のカリキュラムはとても濃厚で
ひとつでも単位を落とすと
栄養士受験資格を失ってしまう厳しい内容。

講義の授業数・時間もギッチリで多忙な学生生活。

なんとか、単位も問題なく取得し、
国家試験にも合格して栄養士となった。

晴れて社会人となった私は


「栄養士の資格をもった、営業職」
というポジションで
全国を出張しながら営業活動に励んだ。

幼い頃から、身についていた上昇志向で、

営業活動も、ガツガツ精力的に取り組んだおかげで


営業成績トップ賞を

数年間獲得し続け、殿堂入りした。

その背景では

よく思わない同僚や、先輩後輩もたくさんいて、
嫉妬心から、嫌がらせや、孤立する事も多かった。

でも、目標があったから
気にせず、目指す方向を見て走り続ける事が出来た。

何より、お客様からの
「あなたに担当してもらって良かった」の言葉は、

私の大きな原動力となった。



■成果物の代償として抱えるストレス

営業して、実績を残す裏には、
心身のストレスが大きかった。

追い込んで活動する精神力・体力、
就業後の解放感と同時に爆食いに走る日々。

いつしか、スーツのウエストがきつくなり
挙句、とまらなくなった。

当時の私は、部下を持つ管理職。

ジャケットやワンピースで
出てきたおなかを隠していたけど、

若い女性部下たちが、
ヒソヒソ私の体型の事をネタに話したり

「エツコさんみたいな社畜にはなりたくないよね~」

と陰で言われているのには、

気付かぬふりをした。


これまで、自分の平均的な体重が44kg・・・


それでも、

もっと細くなりたいな~って思っていたのに


まさかの

63kgになっちゃった!!!


人生で一度も40kg台以上には

なったことなかったのに・・・


50kg台を飛び越えて

63kg!!?? 





二重顎で顎の肉の下にあせもができたり

襟付きのブラウスには、

はみ出た肉でいつもファンデーションがつくし


パンツスーツのウエストがとまらないから、

応急処置で安全ピンでとめてたら


安全ピンがはずれておなかに刺さって

最悪・・・!!!


もう消えちゃいたい・・・って気分だった。



■健康状態の変化による転機

ストレスでの爆食いと、
心身を投じる営業生活は加速するばかり。

毎日、終電にすべり込んでは、
深夜2:00に帰宅する。


解放された私を癒してくれるのは、バニラアイス。

あまりの疲労に、アイス片手に寝落ちするのは、
日常茶飯事だった。



体は正直で、

ついに悲鳴をあげた。


ある日、いつものように出張先を転々として、
ようやく新幹線で23:00に帰宅した。

その翌朝、早朝5:00に人生で初めて経験する
激しい胃の激痛と、湧き上がってくる黄緑色の液体。

激痛・嘔吐がとまらず、
自分でタクシーを呼び、大学病院の救急外来へ。

「急性胃炎」と診断された私は、
1か月入院することとなった。



■入院中の出会い

激しい痛みで一睡も出来ない状態が丸二日続き、
意識もうろうとしていました。

体力を使い果たした私は、
なかば気絶のような状態で三日目にようやく

鎮痛剤の点滴が効いたのか、少し眠れた、、


起きた時に、担当の看護師さんが

「痛くて眠れずつらかったですね...
 体も、心も、痛めつけられて、
 ずっと痛かったでしょうね。

 もっと、

 自分の体を労わってあげて下さいね。」


そう言われて、ハッとした。


会社は、私や社員の、健康や生涯を
面倒みてはくれないんだ。

自分の体は、自分で、ケアしなくちゃいけない。

食生活を見直す事と、身をささげるような働き方から
脱却する事を決意して、ダイエットに励んだ。


■集中的ストイックな食事制限とジムでの運動

仕事の就業開始前に、早朝ジムに通い、
トレーニングとスイミング。

食事は、太らないようにと、
糖質・脂質はもちろん、タンパク質も控えていて

出先のコンビニで昼食に買ったサラダに
ちらりと入っている
シーチキンですら、除外していた。

■極限の制限での結果、-13kg痩せた

上記の生活を続けて、

3か月くらいで、13kg痩せて、

「すごいやせたねーーー!!」
「やせましたね  ーー!!」って言われて


気分が良かったし、嬉しかった。

忙しさはあるものの
追い込みすぎないように、気分転換が上手くなり、
以前のように、爆食いはしなくなった。


■意に反してジワジワ太る謎太り

過酷でツライダイエットを経験してから、


「もう二度と、あんな事はしたくない!!」

そう、固い決意のもと



日々の食事は、
集中ダイエットの時ほどではないものの

糖質量や脂質を控えめに、
タンパク質も少量は必要枠だと思って食べる。
野菜はヘルシーで欠かせないと意識的に食べていた。

揚げ物、甘いものも、ほとんど食べず、
勧められても断った。

・・・それなのに。

日に日に、着ていたジャケットが
インナー1枚多かったっけ?
みたいなぴっちり感。

ウエストも、胃下垂だからかな。。
ちょっと、食い込むな。。


なんていう感覚が、日に日に悪化して。

あっという間に、

リバウンドした!!


「こんなに、食べるの気を付けているのに
  ・・・なんで!??」


■40代に突入した私が選んだ方法

自分での管理でダメならば・・・
道のプロの手に頼るしかない!! と 

エステに通って、50万のコースを2クールやった。

マッサージや温感ドームで汗は出るけど
マシンで施術してもらっても劇的な変化はなかった。


■さらなるオプションを勧められる

「あとは、お食事改善コースの追加は
 いかがですかあ~」


と次のクールの契約と、
お食事サポートコースのセットを勧められた。

この時、

お金がいくらあっても足りないじゃん!!!

私は、栄養士なんだ!!!
年齢と体の太り方を、徹底的に学ぼう!!!

と、300万円の自己投資をして

40代以上の女性の
体質変化に伴う太り方は、

「食事でしか解決できない。
 体質改善こそが唯一の方法」

だと理解したの!!!


3か月かけて、
自分の食事の間違いを徹底的に改善し

極端な食事制限なく
必要な栄養をしっかり摂って代謝を高める方法で

-21kg やせて、

 リバウンドせず

5年間キープしています!!



体型を隠す為と・サイズが無いって理由で

マタニティみたいな

チュニックワンピばっかり着ていた

私だけど・・・


大好きな、フェミニンなやわらか素材の、ボディラインが出るような

ワンピースも着こなせる!!


細身のスリムなパンツも

かっこよくはきこなせるようになって♪


今では、デザインもサイズも、気にせず、

好きな服を選べるようになりました!!


おかげで、夫や、友人と、

ランチやカフェにお出かけに行くのが、

毎回楽しみです!!!


本当につらかった経験があるからこそ

皆さんには、私のように遠まわりしてほしくない。
そんな、想いでやっています。

一時しのぎのダイエットではなくて

根本的に、
体質改善して、代謝を高めて、
食べたものを燃やせる体作り。

一人じゃ、正解がわからないからこそ。
私と、一緒にやってみませんか??
ウインクウインク飛び出すハート