曲聴いた感想42 | あっかんごっちゃ

曲聴いた感想42

・Mathias Spahlinger ~ Extension
マティアス・シュパーリンガー
ドイツの作曲家。問題児だったらしい。1980年ごろ。ラッヘンマンに似ている。入りのノイズな感じはすごいけど、ちょっと荒廃しすぎててあああるよね、という印象。もう少しなんとかならないのかなあ。


・ヘルムント・ラッヘンマン
プレッション(チェロソロのための)

約9分。恐ろしく音が少ない。そしてほぼノイズのみ。
しかしなんというかかっこいい、これが間というものなのかと考えさせられる。これは納得。

クラリネットソロも確か聴いたんだけど、こっちはちょっと冗長で飽きた。
チェロソロのほうがいい曲だった記憶。


・シェーンベルク ピアノ協奏曲

グールドが弾くと妙に説得力があるよね・・・。
かゆいところに手がとどくオーケストレーションも込みで、久々に聴くと割といいと思える曲。

・シュトックハウゼン
シュティムング
セリー時代を終焉させたと噂高いいわゆる「ポストモダン」代表みたいな曲。これは歌だけ?ボーカリストがB durの音階上で、どっかの民謡っぽいことをやり続けるという曲。まあ調整には聴こえるし原始回帰感出てる。

・ルチアーノベリオ

1925年生まれイタリア人。
もともとはバルトーク・ストラヴィンスキーっぽかったという。

室内楽(1953)
ルチアーノベリオ28歳。
歌とハープ?が頭に出てくる。和音の積み方好き。リズム的な均一さを感じるところから確かに上記の影響を感ずる。空気感は薄いブルーでちょっと寒い視界といったところか。

セクエンツァI(フルート)
1958年、ルチアーノベリオ33歳。
有名なセクエンツァシリーズの一つ。古典と言えるし出来はいいのはわかるが面白いかと言われると・・・。杭をイメージさせるズルドイ単音、駆け巡る高速パッセージと研ぎ澄まされた力学的処理が魅力だろう。ソロ楽曲の教科書的立ち位置。

最初は組曲にする予定がなかったという。1990年代に本人が改訂、不確定記譜だったものを確定に書き直してしまったという。時代だなあ。ちなみにベリオ大先生のお言葉を引用。

「なぜなら、不確定性のプロセスに徴収が入っていない以上、それは彼らをだますようなものだからです。聴き手はなにも選択できません。不確定性であろうがなかろうが、なんらかの操作が行われた後にしか聴くことができないわけです。さらに、不確定性は一定の責任を作曲家が放棄することを意味しているのです。(ベリオ1981年、56歳)
70年代をすぎたあたりで不確定性の思想から離れたという。

水のピアノ 1965年、ベリオ40歳。
2分ないくらいの短い曲で、ドビュッシーもびっくりの調性音楽。静謐。

地のピアノ 1969年、ベリオ44歳。
和音は吉松隆っぽくて、強弱の音色が混ざったアルペジオ?旋律?みたいなのが入り乱れる。キャッチーだがひっかかりのある不完全さを残しているところが素敵。

セクエンツァXI 1988年、ベリオ63歳。
おなじみ11作目はギターのためのもの。
63歳でこの気迫はすごい。激しさもそうだし、技巧的に難しそうーっとうイメージがとても強い。同音連打や同じアルペジオ連打などをリズム的な交叉で持っていくのがやや無機的で粗雑な印象を持つ。攻撃表示の現代音楽としての姿である。




フランコ・ドナトーニ。
1927年生まれ。新古典→キュビズム風等の特殊記譜→1967年くらいからは模倣とオリジナルの研究、というふうに作風が変化。
ギターのための「アルゴ」は1977年作曲。
ちょこまかちょこまか。バンバンバン! ちょこまか。ちょこ。ちょこまかちょこまか。
フーム。

アルド・クレメンティ
1925年生まれのイタリア人。
ふら。ふらふらふらふら。 ふら。 じゃんじゃじゃじゃ!!!
これを繰り返す曲。単調すぎることへのフォローがなされてなくてちょっと無責任すぎて好きじゃないなあ。モチーフもそれほど突飛ではない(学生っぽさもある)し。

エグベルト・ジスモンチ
1947年生まれのブラジル人マルチプレーヤー・作曲家。
ポピュラー音楽家でありながら100人のオケなどにも手をつける、もはや唯我独尊な人。ピアノもギターもめっちゃうまい。そしてリリカルでちょっとブラジル風味も感じる音楽が魅力。みためはパイカリ。トリオやギターなど。