知多市歴史伝承シリーズ3 昔の佐布里池と伝承 | 郷土を愛そう!散策しよう♪ウォーキングブログ

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このブログ記事は
の時知多市民族博物館で調べたもの

またこのテーマの前記事はこちら右矢印知多市歴史伝承シリーズ2左矢印

※知多市歴史伝承シリーズ3

佐布里池
建設中の佐布里池


現在[2019年]

工事の為水を抜いた佐布里池
建設中の佐布里池に戻った感じだ👀


愛知用水が出来て佐布里池が出来る前は、加世端(かせばた)池と上池があり山二つと田園が広がっていた。



上矢印地図見ると分かるが、上池と加世端池の左にある山が二つ削られ、その土砂で堤防を作り水を溜めた。


建設中の佐布里池
分かりにくいが、写真の中の奥の白い部分が山二つ削った土砂で作った堤防部分。


佐布里池が完成するまではこんな田圃風景だった。


過去画像

満水時の佐布里池
500万立方㍍の貯水量を誇るアース型ダム


水没前には家もあった👀
貴重な写真だなぁ😆

良かったら右矢印佐布里池紹介ブログ記事左矢印見て下さい♪


櫻鐘地蔵尊
昭和30年頃の櫻鐘地蔵付近の道路で亥新田と佐布里の村境。

古文書によると、佐布里櫻鐘地蔵尊は三河湾と伊勢湾の分水嶺で、景色の良い所に祀るとある。


現在の櫻鐘地蔵尊
同じ位置とは思えない変貌ぶり。


清龍と白蛇の伝承
清龍伝説

現在の佐布里池の中に加世端池と伝われる池があった。その奥に滝の水と呼ばれる暗い樹木の茂った森があった。

その真ん中に清龍権現という小さな祠があり、加世端池を守っている青い龍が祭神だと伝えられている。
その神様は雨乞いの神様で、大和国宝生山龍穴神社の分神であると言われている。

部落のお百姓は日照りが続いて畑の栗や豆がしなびて枯れかかったり、田んぼの稲がしなびたりすると、誰れ伝うこともなく雨乞いの相談が始まる。

太陽が西に沈み暗闇になる頃、村人達は御供物を持って、笛を吹きながら御参りを続ける。

すると必ず御利益があり雨が降ったという。

現在清龍神社は工業用水の佐布里池の中に入ってしまったのでその跡に石碑が建てられている。

また権現様は多度神社に合祀されている。

リポート記事右矢印佐布里多度神社左矢印良かったら見て下さい♪


こちらは清龍が白蛇バージョンの話

清龍の伝えと内容がほぼ同じ。

略………太陽が西に沈み暗闇になる頃、村人達は御供物を持って、笛を吹きながら御参りを続ける。

雨乞いをすると白蛇様が天にのぼり雨を呼んだと言われている。

白蛇様は滅多に現れず、姿を見たものは驚きと恐怖のあまり仕事も手につかず休んでしまい、熱を出し床に伏せたという。

善人は家運益々繁盛し子孫も栄え、悪人はそれから不幸が続いたと伝えられている。

以上


要するに

二つのお話から考えると…

その神様のお姿が青龍様に見えたり、白蛇様に見えたりだったのではないでしょうか??

青龍様もしくは白蛇様がいらっしゃったと言うことです。

火のない所に煙は立たない。

待池(まちいけ)
待池地蔵尊


待池は、江戸時代の地図に載ってる昔からある雨池。

亥新田の村から常滑の大野町へ通じる道はとてもさびしい山道でしたので、この道を行こうとする人たちは、なるべく沢山集まって通行しようとしました。

それで村はずれのこの池の辺りが、その待ち合わせ場所になっていたので、待池と呼ぶようになったそうだ。

自分の住んでいる地域にこんな伝承があるなんて知らなかった👀

昔の佐布里池が見れて良かった😆