あるSNSの投稿にこんな内容があった↓
その人はちゃんを飼っていて
ちゃんはかなりの高齢で看取りの段階だったらしく、ずっと付き添っていたと
だけど、ちょっと目を離したすきにちゃんは息を引き取ってしまった
ひとりで逝かせてしまってごめんねと後悔と苦悩が綴ってあった
その投稿を見た人たちはみんな温かく優しいことばを主さんにコメントしていた
"人間も動物も旅立つときを自分で選ぶといいます
ちゃんはあえて大好きな飼い主さんがいない間にそっと旅立ったのではないでしょうか?"
"飼い主さんに見送られるのがつらくて、そっと虹の橋に旅立ったのでは?"
などなど…
その中にこんなコメントを見つけた
は死期を悟ると身を隠す生き物だし、よく
や
や
や🐦をひとりで逝かせてごめんねと言う人がいるが、それらの動物は死に対して恐れも不安もなんの感慨もない(立証されている事実)わけだから、悔やむ必要はないし、それは人間が自分のいいように解釈しているだけにすぎないと
たしかにそうなのかもしれない
でもわたしは、
人も動物も"旅立つとき"を
自分の意思で選んでいる
やっぱりそう思えてなりません
家族が誰もいないときに、かわいくてきれいな看護師さんがモニターを見に来られたタイミングで息を引き取った父も(若いおねえさん大好きだったので)
"かっこつけ"だったから、家族に弱った姿も見せたくなかったのだろうし、おいおい泣きわめかれたらうっとうしいとおもったのだろうし
2年前に虹の橋に旅立ったの"のあ"は名前のとおり(名前の由来はここから↓)
ノア(Noah) 旧約聖書の創世記にある洪水物語の主人公。 最初の人アダムから10代目にあたり、正義の人と神に認められていた
12月25日に日付が替わってすぐに旅立った
出かけていた娘が帰ってくるのを待つようにして。。。
きっと人知では計り知れないなにかが働いているのだとおもう
わたしは、どんなエンディングを迎えたいのだろう?と考えてみた
今にも息を引き取ろうかという瞬間、
やはりたいせつな人たちの悲しみや絶望に暮れた姿は見たくない
かといって
誰もいない中でひとり逝くのも
それはそれで心細い
やっぱり、しっかり意識がある中で周りを囲んでいるたいせつな人ひとりひとりに
『ありがとう』と感謝のおもいを伝えて旅立ちたい
そうおもう。。。