元日本ハム監督の大島康徳氏が死去した。

私が子供の頃は野球に興味を持つと、巨人ファンになるかアンチ巨人ファンになるかが大きな別れ道で、私は後者だった。

1974年にはV10を狙う巨人と中日が優勝争いをしていた事もあり当時の私は中日ファンでした。

その中でも大島選手が特に好きで、1974年9月の土曜日にNHKで中継された首位攻防戦で大島の同点ホームランで中日にマジックが点灯したのは今でも印象に残っています。

私自身は1976年に中日が初の人工芝になった後楽園球場で全く勝てなかったことで嫌になった時に、招待券を貰って後楽園に通っているうちに日本ハムファンになり今に至ります。

そして1987年オフには中日と交換トレードがあり、正捕手を田村に奪われた大宮捕手と一時はエースでもあった田中富雄投手を放出しベテランの大島を獲得した。

当時の日本ハム打線は外国人選手しか打てなかったので実績がある大島が加わったのは凄く嬉しかった。

38歳だった大島は日本ハム移籍後4番も打ち2年連続全試合出場。

日本ハムのユニフォームでは初の2,000本安打も達成した。

1992年頃からは代打での出場が増え、当時の東京ドームの日本ハムファンが一番盛り上がるのは代打で大島が登場した時でした。

引退した1994年には西武球場での代打満塁ホームランも印象的でした。

そして2000年には監督に就任。

日本ハムの選手が監督になるのは唯一です。

初年度はビックバン打線が爆発してソフトバンク、西武との優勝争いは見応えありました。

翌年は最下位に低迷すると若手だった田中賢介、森本、高橋信二を信望強く起用、金村をエースにして建山をリリーフに転向して2006年からの連覇の土台を作った。

監督退任後は週間ベースボールで2年近く本人の歴史を連載。

当時の事を細かく描かれていたので毎週楽しみにしていました。

しかし4年前から癌であることを公表。

それでも不屈の闘士で最後まで評論家として頑張りました。

亡くなる直前までアメブロも更新されていました。

大島監督のご冥福を祈ります。