悪のBOSSのブログ

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映像・音楽・戯曲など手掛けてきた「悪の秘密結社」のBOSSが日常や思ったことを綴ります。

国家情報局設置、国旗損壊罪、皇室典範改正案、議員定数削減法案(少数政党締め出し)、スパイ防止法、緊急事態条項(ナチス法案)、「防衛」予算の突出、「スマホ農場」利用のSNS世論操作、大手メディアへの圧迫・統制……世界平和統一家庭連合(旧統一教会)解散命令の空洞化……

岸信介らによる『請来』以来数十年で、すっかり「(旧)統一教会」が君臨する政治に成り果てようとしている現在の「戦前日本」、無宗教・ノンポリを自認している方が多い私たち日本国民も、ようやく何かを感じ始めているのではないでしょうか?

人の信じている宗教は何であっても、それぞれ尊重されてしかるべきだとは思い、個人レベルでは全くそうしているのですが、事が国家レベルとなると、そうは言っていられない部分も出て来るのでは……とも思ってしまいます。

元々(現行の「集団結婚式」に繋がった)「教祖とセックスすれば浄化される」的な教義の「血分教」であった文鮮明の統一教会が米CIAやイスラエルのモサドと繋がるKCIAの梃入れで、海外工作機関として編成されたのは有名な事実です。

日本上陸(当時自民党と協力体制にあった立正佼成会の会長秘書・久保木修己を会長にヘッドハンティングし、仏教系である立正佼成会青年部員の大量宗旨替えも手伝って日本での宗教法人化に成功)以来、大学等での「原理研」サークルによる洗脳騒動、霊感商法、世界平和教授アカデミー、国際勝共連合、民社党(旧・同盟系労働組合)・自民党を始めとす国会議員への秘書派遣と政治家育成、桜田淳子さん(歌手)・山崎浩子さん(新体操)・徳田敦子さん(バトミントン)の国際合同結婚式参加、飯星景子さんの入信・奪回騒動、ハッピーワールド・コスモフーズ・一和・ワシントンタイムズ・世界日報・UPI・(設立当初の)ワコム・天宙平和連合・リトルエンジェルス・日本純潔同盟・日韓トンネル等々数知れずの傘下企業・団体設立、ジャニーズのジュリー景子代表取締役社長との疑惑(「一和高麗人参茶」のテレビCMに出演し、夫の井上梅次監督が統一教会の映画を2本、ジャニーズの映画を5本撮っている月岡夢路さんをジャニーズの舞台に起用、景子社長が井上・月丘映画財団の理事に就任)、と歩を進め、イヴ(悪魔に誘惑されたという原罪を負う母)の国日本は償わなくてはならないと、長年に渡り年間100億円以上の献金を韓国に送金して来ました。

「日本の富は信者のためのもの」「日本は母として子(他国)を養うために犠牲になれ」
「日本が過去の戦争責任を負い、再び試練(戦争や貧困)を経て贖罪・復興する」
という風に教義の中で日本が定義されている事も見逃せません。

*「日本が、もう一度戦争して…」というのは、第二次大戦後、朝鮮半島は朝鮮戦争で戦火に焼かれる悲劇に
見舞われたのに、敗戦国日本が「朝鮮戦争特需」で復興し平和裏に成長して大国づらをしていることが、「神の御業」として納得できなかったんじゃないかと考察します。


謀略機関である統一教会は論外としても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の原点になっている(本来ユダヤ教の聖典である)「旧約聖書」の描く「神」の姿に大きな問題があると私は思っています。
「ヨシュア記」https://www.wordproject.org/bibles/jp/06/1.htm や
「ヨブ記」https://www.wordproject.org/bibles/jp/18/1.htm を読んで、
皆すんなり納得出来るのかしら?  もちろん、キリストやマホメッド、後世の宗教者によってイメージが変えられた要素はあるとしても、土台としてヨシュア記の「異教徒への侵略・虐殺」や、ヨブ記の「悪魔との賭けに際し、神のプライドの為に行われた信者の家族への無益な殺生や信者への恫喝」を称揚する「砂漠で生まれた独裁的民族神」による一神教世界が,好きになれないのです。

旧約的一神教を背景に持つ欧米列強に対抗するため、明治政府によって作られた一神教的な「国家神道」はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と同じような「富国強兵の戦争が出来る国」を目指して形作られたものですが、本来、日本列島に棲む民の心の基層にはアイヌ民族のカムイノミのように「豊かで優しい森の国の八百万の自然神への畏敬」から始まる古石器~縄文のアニミズム、本来、「国家という形の支配システム=(広義の)奴隷制」とは相容れない原始的な多神教世界があり、それゆえにクリスマス、初詣、葬式、結婚式と、あらゆる宗教を(多神教的にそれぞれの神への儀礼として)信仰(?)してしまえる精神性にすらなっています。

そうした「受け入れる優しさ」=「和」が、本来の意味での「大和魂」=「大いなる調和のスピリット」ではないかと思います。

しかし、「国家」という支配システムによって「大和魂」は「何でも言う事をきく絶対的な忠義の精神」と読み替えられ、戦争国家たる大日本帝国時代に都合よく使われて来ました。「己の死すらも厭わない究極の奴隷」を「神として神社に祀られる国家の英雄=英霊」と呼び変え、量産したのです。

大日本帝国は侵略に差し向けた軍隊を万世一系の現人神である天皇の軍隊=「皇軍」と呼び、兵隊を「神兵」と呼び、「神の兵隊だから弾薬や食料・薬品が不足していても精神力で勝てるはずだ」と死地に追いやり、占領地に神社を建て、日本語を強制し、「大東亜戦争」という名の「宗教戦争」を戦ったのでした。

「国家」=「支配システム」が「宗教」を利用するのは「メリット」があるからに他なりません。

聖徳太子と蘇我氏が『仏教』を導入したのも、豊富な自然の恵みがあるため簡単に(兵糧や国家財産としての米・穀物を生産するための)「農奴」化が進まない「狩猟採集民」を(能の『鵜飼』に見られるような厳しい)「殺生戒」によって教化するためではないかと考えています。各地の神社には管理の為の神宮寺が建てられ、八幡神が「八幡大菩薩」と呼び変えられた様に、神は仏の化身である「権現」とされ神仏習合が進み、明治が来るまで日本の天皇は仏教を奉じて来ました。江戸時代、寺は幕府の末端行政機関として戸籍管理や治安維持、教育などの極めて重要な社会インフラでもありました。しかし寺や住職が「権力」の一端であるがゆえの汚職・腐敗ー神社や被差別民に横暴な態度をとったり、高額な布施を要求したり、戒名料を貪ったり、小作人から高い年貢を取り立てる事案も絶えず、それが怨嗟となって明治政府が『神仏分離令』を公布した際の『廃仏毀釈』という全国的な寺院の打ちこわし事件に繋がりました。

シッタータが作った仏教は本来、個人が不安や恐怖を消して平穏な心で暮らすためにはどうしたら良いか……という『哲学』でした。そのためには出家し、世俗と離れて暮らす事も必要だという考えだったようです。この考えは『小乗仏教』の中に名残をとどめています。一方、彼の死後に発生した『大乗仏教』は世俗のままの民衆に大いなる存在が救いをもたらす……という構造からして一神教の教義に近づいてしまいました。但し、禅宗は個人が瞑想により悟りに近づく道を示すという意味では小乗への先祖返りとも言え、最後のインド仏教である「密教」はヒンドゥーや周辺の宗教を取り入れて多神教的曼陀羅の世界観で日本古来の山岳信仰とも結びつくアニミズムとの親和性を育み、山伏の修験道など独自の信仰形態を生み出しました。

と、色々「国家と宗教」について書いてきましたが、私個人は【優しい宗教】【優しい国家】が好きです。

【優しい宗教】所有の概念が無く、人間や民族を「神の似姿」で地球の支配者であるなどと特別扱いせず、自然や環境への「畏敬」の念を持ち、大地や環境を「子孫たちの棲む未来からの借り物」として大切に扱う先住民的宗教観が好ましく思えます。

【優しい国家】先ずは犯罪・少子化等を生んでいる国内の貧困・差別・格差等の解決を優先した上で、国を守る軍隊に注ぎ込む世界10位の軍事予算を、災害や構造的飢饉、大事故などの危機に、迅速に駆け付けて救助や復興支援にあたる…アフガンに水路を掘って緑地化に貢献した中村哲医師のように…本当に現地の人々の為になる支援・援助のための組織『国際救助隊』『国際支援隊』に振り替え、戦闘機開発の代りに救命用の機械、山火事を迅速に鎮火するドローン、快適に過ごせる避難所用設備、井戸や水路、砂漠緑地化用等の装備・機材、等を開発・配備・活用して、世界中に感謝され、必要とされる国になることが、(1890年の海難事故での救助活動が発端で、1985年のイラン・イラク戦争時の邦人救難機支援に繋がり、今も続くトルコと日本の友好関係のように)憲法9条を持つ国として最善の「国家防衛策」だと思います。

未だ国家を変えられないとしたら、家族とか少人数グループでの自給自足を目指し、物々交換的に生きて行ける環境を作るのが最も平穏な生き方かも知れない。数十年前には現金収入があるのが学校の先生くらいしか無いような離島も存在したというし、屋久島のように飲めない流れがないような土地もある……「お金が無くても生きて行ける」が一番理想の世界かも。昔のヒッピーのような考え方かしら?