花やしき(そにょ 1) | 横島 夢乃介の観測日誌!!

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今回は子供神輿で、気になった方々と、忍術武芸帖 天の巻 本編が気になったので観て来ました。


花やしきについて、調べてみると…。


~内容~


浅草花やしき(あさくさはなやしき)は、東京都台東区浅草二丁目28番1号にある遊園地。


1853年(嘉永6年)開園で、日本最古の遊園地とされる。ただし、一度取り壊された後、1947年(昭和22年)に復活した経緯があるため、断絶のない歴史としては前身も含めて1912年(大正元年)開業とされるひらかたパークの方が長い。

敷地面積5800m²。国産初、日本で現存最古のローラーコースターがある。現在はナムコの子会社である株式会社花やしきが運営している。


~歴史~


1853年に千駄木の植木商、森田六三郎により牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。当時の敷地面積は約80000m2だった。江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用され、唯一の遊具はブランコであった。


明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に木場の材木商・山本徳治郎(長谷川如是閑の父)とその長男・松之助が経営を引き継ぐ。翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。


この頃でも利用者は主に上流階級者であり、園内は和洋折衷の自然庭園の雰囲気を呈していた。しかし、徐々に庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示などを開始したり、五階建てのランドマーク奥山閣を建設し、建物内に種々の展示物を展示したりした。浅草が流行の地となるにつれて、この傾向は強まり、動物、見世物(活人形、マリオネット、ヤマガラの芸など)の展示、遊戯機器の設置を行うようになった。


大正から昭和初期には全国有数の動物園としても知られ、トラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。関東大震災の際は罹災民が集ったため、多くの動物を薬殺した。

戦時下において徐々に規模を縮小し、まず1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊された。


戦時中松竹の関連会社となる。戦後の1947年(昭和22年)東洋娯楽機との共同経営で再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名、2年後には東洋娯楽機に経営が委ねられ「浅草花やしき」と改名した。


そして1953年(昭和28年)のローラーコースター、1950年(昭和25年)のBeeタワーなど現在あるアトラクションが登場し始めた。長らく入園料を取らず、利用する施設ごとに回数券などで料金を支払う形を取っていたが、収益が上がりにくいことと、1985年(昭和60年)の風営法改正に伴い回数券とは別に入園料の徴収を開始した。


2004年(平成16年)にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社、株式会社花やしき(株式会社ピアザ・サービスより改称)が8月31日にその事業を承継した。


2005年(平成17年)、芸能スクール「花やしきアクターズスタジオ」が開設される。2007年(平成19年)3月10日には、10年ぶりの大型アトラクション「DISK-O」がオープンした。バンプレストの事業再編に伴い、2008年(平成20年)4月1日をもって直接の親会社がナムコに移行した。


同年3月には、花やしき通り沿いに、遊園地に入らなくてもショーが楽しめる「大江戸ステージ」がオープンした。


…歴史の重みを感じます。