『ヴァチカンのエクソシスト』 実在のエクソシストの回顧録! | 悪食のシネ満漢全席

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ろくに情報知らぬまま、当たり屋みたいに突撃して、 しょーもない感想を言い合って、備忘録代わりに残します。 かなりの無責任、言いたい放題、無礼千万をお許し下さい。

 

悪食 75点
今年 60本目

監督 ジュリアス・エイバリー
脚本 マイケル・ベトローニ
   エバン・スピリオトポウロス
出演 ラッセル・クロウ
   ダニエル・ゾバット
   アレックス・エッソー
   フランコ・ネロ

カトリック教会、ヴァチカンのローマ教皇に仕えた実在のエクソシスト、ガブリエーレ・アモルト神父の回顧録「エクソシストは語る」の映画化。
新宿TOHOシネマズへ。

鑑賞結果、実在のエクソシストの話だから面白い。定番ホラー映画とは違う。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



先ずこの映画で悪食が好感を持ったのが、冒頭のシーンです。
ある村で悪魔に取り憑かれた男がいるから助けて欲しいと依頼を受けたガブリエーレ・アモルト神父(ラッセル・クロウ)が家に行くと、確かに通常では無い症状の男がいた。
アモルト神父は彼に対して悪魔祓いと思われる行動をとり、用意させた豚に悪魔を乗り移らせると、その豚を殺して男から悪魔を取り除いた。男は取り憑かれていたのが嘘のように安静を取り戻した。



エクソシストの悪魔祓いはこんな風に行われるのかと興味深く見えた。
これが振りだとも思わずに。

後日、アモルト神父(ラッセル・クロウ)はヴァチカンから出頭命令を受ける。

理由は許可無く、悪魔祓いをした事情聴取だ。近代の枢機卿は悪魔の存在を信じていないがゆえ、主席悪魔祓いであるアモルト神父が邪魔で、その座から引き摺り下ろそうと考えていた。
出頭したアモルト神父の答弁が面白い。
「あれは悪魔祓いでは無い。悪魔憑きと言われる事例の98%は精神疾患など科学的医学的に説明出来る。あれは精神疾患で、私は最も簡単な暗示という手法をとったに過ぎない。文句があるなら自分を主席悪魔祓いに任命したボスである教皇に言え」と。



ヴァチカンでも悪魔の存在を信じていない枢機卿もいるらしい。それでも説明の出来ない事例があるとエクソシストの出番があるのだと。
この冒頭のエクソシストに対する説明が、この話が単なるホラー映画では無いことを裏付けている。

掴みはいいですね。

ある家族がスペインの古い修道院を購入し、改築をしていた。

しかしその地下にはガス性鉱石がありガス爆発事故を起こした為に工事業者は仕事を降りてしまった。
途方に暮れている家族の息子に異変が起きた。様子がおかしいのだ。

医者に見せても埒があかず、母親は地元の教会のトーマス神父(ダニエル・ゾバット)に相談した。

トーマス神父が子供の部屋に入ると突然吹き飛ばされ「おまえではない」と言われた。
トーマス神父はヴァチカンに助けを求めた。
ヴァチカンからアモルト神父(ラッセル・クロウ)がやってきた。


アモルト神父は子供には悪魔が取り憑いていると判断した。しかしその悪魔の名前が分からないことには、祓うことが出来ないと色々と調べ始めた。ヴァチカンの教皇もまたその修道院について調べ始めた。


調べていくうちにその修道院は以前にヴァチカンによって封印されていることを知る。
アモルト神父とトーマス神父は、地下に封印されているものを見つけた。


地下には昔のエクソシストが悪魔を封印していた。
しかし改修工事により、その封印が解けてしまっていたのである。悪魔は主席悪魔祓いに取り憑きヴァチカンを内部から壊滅させようと目論んでいた。
悪魔はアモルト神父とトーマス神父の罪を暴いて、そこを攻撃してきた。そして子供の命を盾に戦い始めたのだ。


アモルト神父は子供の命を助ける為に自分に取り憑けと悪魔に言い放った。悪魔は子供から離れ、アモルト神父に取り憑いた。
悪魔が勝ったように思えたが、トーマス神父の協力でアモルト神父は自我を取り戻し、トーマス神父と共に悪魔に打ち勝ったのである。


その後、その修道院はヴァチカンによって新たに浄化された。しかし放たれた悪魔は200体。残り199箇所の浄化が必要だった。
アモルト神父とトーマス神父は、その役目についた。

この映画はアモルト神父の著書「エクソシストは語る」の回顧録から出来ている。
エクソシスト物としてはリアルを感じる。
果たして残り199箇所は特定出来、浄化はされたのでしょうか?
こんなホラーが怖いのかもしれない。

ラッセル・クロウがホラー映画初挑戦の様です。「グラディエーター」の時の様な鍛えられた身体ではなく、年老いた悪魔祓いの太った体つきが妙にリアリティを感じさせてくれた。
通常のホラー映画とは違い、ヴァチカンの主席悪魔祓いの回顧録による実際の話だというところが興味深い。
映画では悪魔というものが形として現れているが、実際にはどうなのであろう?
形としては現れず、現象として存在するに過ぎないのかもしれない。
しかしその現象が科学的医学的に説明出来ないものであれば、それは何か別な力が働いているとしか思えないであろう。
ヴァチカンはそれを悪魔と称している。
世の中に不思議な現象は数多くある。それが悪魔の仕業なのかは分からないが、そう定義することで納得させているのかもしれない。
この映画は、回顧録というものを通してリアルに悪魔を表現しているが、分からないものに対しての恐怖が悪魔と表現されているのかもしれない。
人は解らないものに対しては恐怖を抱くものだから。
それを浮き彫りにしている点が面白かった。

是非、劇場で。