私はアラフィフなので『詰め込み教育』の世代だ。
授業風景を思い出すと
先生が説明。
『この問題分かる人!』と聞かれ、児童は挙手。
当てられた子が答える。
こんな感じだった。
暗記で知識を増やす事を目指す教育だったのだろう。
子の学校での授業風景は
先生が説明。
『この問題分かる人!』と聞かれ、児童は挙手。
当てられた子が答える。
ここまでは同じだが、その後問題について児童同士で話し合う時間が設けられる事が多々ある。
『他の解き方』『なぜその答えになったのか?』だけでなく、国語であれば『主人公は〇〇と思ったが自分だったらどう思うか?』などを話し合う。
席の配置をコの字型(児童全員が顔を見合わせ、ディスカッションがしやすい配置)にしていた授業もあった。
稚拙でも何でも良い。
自分の意見を言い、他者の意見を聞く。
これが大事なのだと思う。
これは、単なる知識の習得と共にソーシャルスキルも向上させようとの意図があるのだろう。
社会に出てからは『知識』や単なる暗記による学力で得た『学歴』だけでなく『ソーシャルスキル』が無ければ円滑な生活(仕事)が難しい。
学力だけでなく『ソーシャルスキル』を向上させる教育に変化したのだと感じた。
運動会などのイベントも『ソーシャルスキル』を育てる大切な場だと思っている。
他者とコミュニケーションを取りながら作り上げる場だからだ。
運動会はリレーなどの単なる競争だけでない。
皆で準備をし、協力・相談しながらダンスや応援合戦などを作り上げていく複合的な学びだと私は考える。
学年普通級支援級問わず交流し、ソーシャルスキルを育む大切な場だと思う。
そういえば以前『様々な環境の子と交流することで学ぶことを大切にして欲しい』と書いていたブロガーさんがいたが、その方が『運動会は必要ない』と書いていた。
学年普通級支援級問わず交流する場を『必要無い』と言うのは上記の『様々な環境の子と交流することで学ぶことを大切にして欲しい』と矛盾しているのでは?と私は思うのだが、ご本人の中では辻褄が合っているのだろうか。
不思議に思う。