ちょっと前に話題になっていたニュースについて。





思う事は色々あるが、何から書くのか、どう書くのかまとまらず。

とりあえず書き始めるけれど、とっ散らかってしまったらスミマセン。(先に謝っておきます)




ニュースのコメント欄を読んで思うのは、障害に対しての『偏見』『差別』の理由は2種類あるという事。



ひとつは障害を『知らない』からこその偏見・差別。

人は知らない事を恐れるが、知ることで恐れは減る。

なので『知って貰いたい』という思いを私は持っている。

(知った上で生理的に無理な方もいるだろうとも思っている)



もうひとつは『知っている』からこその偏見・差別。

障害者・障害児によって不快な思いをしたり、不利益をもたらされた経験からくるものだ。


例えば、怪我をさせられたり、ストーカー行為をされたりなどの事例がコメント欄にあった。


こう書くと『健常者だってそのような問題を起こす人がいる』とおっしゃる方もいるだろう。


しかしコメントを読むと、問題行為そのものではなく『障害があるからしょうがない』と一方的に我慢を強いられた事が強い不快感に繋がっていると感じた。


コメントでは『あなたが刺激したからでは』と逆に責任を負わされそうになったり、自衛のため仕事場を変えなければならなかったり…との話があった。

そんな経験をしたら障害者を受け入れる事は難しいだろう。


そして何かあった時の『責任』はどこに?と不安になるだろう。




子の学校の話。


登校中に子ども達が遊びに夢中になり、整列が乱れ、信号を走って渡ろうとしたりの危険行動があった。


安全サポーターさんから学校に連絡があり、子ども達は指導を受けた。


指導の場で登校班の高学年児童は『低学年のお手本となる行動を』と叱責された。


そして特性のある高学年児童は『みんなと仲良く楽しく登校して偉い』とその場で褒められた。



酷い話だ。

子ども達が先生に対する不信感と『障害者』に対する『あいつらだけズルい』という不快感を感じても仕方のない出来事だ。



この話を聞いてすぐに学校へ事実確認をした。


指導をしたのは、普通級の担任教師と支援級の担任教師の2名だった。



健常児童への配慮のなさを指摘すると、後日児童へ謝罪があったらしい。


そして特性児に対して先生方がした指導は『楽しく登校出来れば登校ルールは守らなくてよい』という誤学習に繋がるためやめて欲しいとお願いした。



『インクルーシブ教育』は人間の多様性を学び理解を深める教育であるべきだが、このような日常の出来事で逆に溝を深めてしまうのでは…と思った出来事だった。




最後に


件のニュースにあった『視界に入れたくない』との発言は問題外だが、反対意見を一律に『差別』とするのも違うと思っている。