必要なのは『患者力』。わかるまで、理解できるまで、謎が解けるまで、本当に聞いてみるということも大事かなと思う。

 

 あとは、周りの人、(自分に対する、ではなくてがん全体に対して)会社だけではなくて、ご家庭だったり、学校だったり、いろんなところで理解が深まれば・・・。深まることで私達が生きづらいと考えるような言葉とか感覚が減っていくのではないかと思うのだ。

 

行ったイベントの後、そのメールの女性から再びメールが寄せられた。

 

『阿久津さんのコラムにも取り上げて下さったこと(希望退職を募っていた人事リストがあったり、というお話でした)また、3月14日のイベントも拝見しました。私は2月19日に全摘手術を受け、エキスパンダーを入れたのですが、、、センチネルで微少転移が見つかり、病理結果待ちなのですが抗がん剤治療の流れになりそうです。この10年は欠かさず毎年検診を受けていてリンパ転移があるとは、この1か月、、本当に辛かった。

 

 ただ、今わかったことは後から転移がわかるより治療のスタートが早く切れると思い乗り切りたいと自分に言い聞かせています。抗がん剤となると会社に言わないわけにはいきませんので、この先また希望退職があれば今度は私がリストに載るんでしょうね。

 

 再建も治療後になりますし、手術前はステージ1の早期だと言われていて、想像していた人生とはかなり変わってしまったのですが、これも私の人生、今できることに専念したいと思っています。

 1日1日の積み重ねが1か月、半年、1年とどうやって生きるのか、また、やりたいことは先延ばしせずやり切りたいと思っています。

 

 私はもともと関西で働いていて10年前に関東に転勤してきました。この10年で結婚もし、父が亡くなり、いろいろありました。10年がたち。今は人生の絶望の淵をさまよっています。

 

 乳がんと診断された時は胸がなくなることへの抵抗が強かったのですが、それは取るに足らないこと、生きていればどんなにつらいこともなんとかなるもんだと強く思います。

 

 そう思うと私は「猛烈に生きたいんだ」なって。こんなところで死ねないって思っています。これからも発信し続けていただきたいです。乳がんでつらい思いをする人たちが1人でも減るように。』

 

 会社に言えず、会社からどう思われるのかを悩んでおられたのが、最初のメール。

 

私も会社に言うときが一番緊張していた。もう駄目だって思われるんだろうなとか、異動を打診されるんだろうな、とか。もう責任ある仕事などは任されることはないのだろうな、とか。昇進などもマイナスに働くんだろうな、とか。こう置いてみると、ネガティブワードばっかり。。。

 

 そう思われたくなくて必死に仕事をしていたかもしれない。

 

 彼女の『猛烈に生きたいんだ』と気づいた、というところが胸を打つ。

 

私の原点は『悔しさ』だ。予防もできなかったし、早くも見つけられなかった。27歳からずっと乳腺外科に通っていたのに。

前出の彰子先生からは『乳がんは個別化医療。ひとつではない。小さく見つけても進行する方もいれば、大きく見つかっても進行しない方もいます。これはどんどん解明が進めばわかるように、さらにそれに合わせた治療法が見つかってきます。なので、見つかった時がタイミングで、きちんと選んできちんと治療を、一日でも長く生きれば先が見える』と励まされた。

 

 そう、まずは生きるしかない!