初日から食べたあとのお片付けも自分、全部もう自分。もうリハビリ開始のスパルタ教育。乳腺は内臓ではないので、復活が早いのだ。ドレーンから出る液の量が減ると退院の目安で、私は両側だから少しかかるかもと言われていた。病院によっては早い人は3日で退院のようだが、両側の私にとってはここからが本当の濃ゆい合宿生活のスタートだった。

 

 

  入院は合宿だ!

 

 

 手術の前の日、歯磨きしながら何人かにはこんばんは、と声をかけたものの患者さんには全く話しかけられなかった。食事をとったり、飲み物をとったり、部屋との単純往復のみ。これではいかん!とみなさんに私はこういうもので・・・カメラをもっておりますが、怪しいものではございません、、とご挨拶することにした。すると同じ世代の多いこと多いこと。子育て世代、働きざかりの30代・40代の女性が不安を抱えて入院されてきていたのだ。このクリニックには月曜日と木曜日に新しい入院患者さんがやって来る。

 

 自動販売機があるサロンがたまり場、だった。あの母が主のように座っていたところに自分が座ることになるとは感慨深い。

夕食後(もうなんなら一日中)消灯ギリギリまで話に花が咲く。自分の不安、みんなの不安。こどものこと、仕事のこと、話が尽きることはなかった。私だけじゃない、勇気づけられた。

 

 みんなそれぞれに事情を抱え、みんなそれぞれに悩んでいた。感じたのは"がんになったからもう終わりにしたくない。これをどう乗り越えるか』がみんなの共通テーマだった。

 

 早い段階でこうしてみんなで悩みを共有したことで私の復活が早かったことはいうまでもない。退院したらおそば食べて・・・元気になったらみんなで温泉行こう!と誓った。

 

 ステージが初期で温存で胸が残っている方もいれば、早期でも私のような両側全摘もいる。

 

 片側に例のインプラントが入り、今回、逆側の乳がんが見つかったという人も。2センチ超える腫瘍だったけれど、非浸潤がんだった方もいる。乳頭が残せる人もいればがんが乳頭にあって、失った方もいる。  

 

どこにどのようにがんがあるかは本当にその人による。手術の時点でみなさんそれぞれ、自分で決断、判断を強いられてここまで来ていることもわかった。

 

 患者さん以外にはあまり知られていないが、乳がんにはタイプがある。よくステージ1とか2とか、ステージ4は末期だ、などと進行度の判断が世で言われるけれど、それ以上に自分のがんがどんなタイプなのかで、その後の経過も違うし、まったく治療が違う。

 

 同じステージ1で見つかった人で、ホルモン受容体が陽性の人とそうでない人は治療方法の第一選択が違う。さらに乳がんには分子標的薬、というものが使える乳がんがあり、HER2というたんぱく質を持っている人には専用の薬剤が使用可能だ。

 

 ホルモン受容体もHER2たんぱくももっていないタイプのがんの方も10%程度いてその方々は抗がん剤がよく効くとされて第一選択。ホルモン受容体を持つ乳がんの方は統計上はおよそ7割。HER2タイプが2割。もちろんこれらを併せ持つ方もいる。これだけでも人によって治療が違うことがわかるはずだ。

 

 最近は術前に抗がん剤を使う治療も多い。最初からリンパ節転移がわかっている方や増殖が速いと判断された方などは抗がん剤を先にして、その奏効率を見ることもある。

入院する時点で、すでに抗がん剤の副作用の脱毛が始まっていて、悩んでいた方もいた。この治療を乗り越えれば、治る、そう信じないと前には進めないと。

 

骨転移でステージ4と言われて抗がん剤や分子標的薬がコントロールしてお元気な人も多い。

 

皆の声は自分にあった治療法とは何なのだろうか、わかるものならば、自分にとって効果のある薬を最初から教えてほしい。それならつらさも耐えられる。患者の切実な思いだ。