健康診断でいきなりがん告知

 

 

 令和になった5月の末、会社の健康診断でひさしぶりにマンモグラフィではなく、乳房のエコー検査を受けた。結果を診察室で聞いたら、『4年前のものとしか、このセンターでは比べられないけど必ず今年は再検査受けてくださいね、糖尿病とかあります??とにかく、左がまずい。』

 

健康診断でがん告知ってあるのか?と。ああ、これはいよいよ来ちゃったんだなと。車を運転して会社に向かいながら受け止められない不安感が襲った。3年前にPET検査を自費で一度受けた時、左に怪しい姿があったけど、そのあとの精密検査では3つも病院掛け持ちして「経過観察」で安心してたのに、だ。

 

 翌週、6月に入り、速攻、予約が取れた会社近くの乳腺クリニックへ。エコーの画像を見た先生はもう少し早く来れなかったですかね、とつぶやいた。見立てでは、左はほぼほぼがん、右も怪しい、と。まず検査予約。左は麻酔をかけて組織診断、右は麻酔ナシで細胞診にしよう、と決まった。検査後の結果が出るまでの2週間。

私も寝られない、オットも寝られない。二人で起きては顔を見合わせる感じ。患者だけではなく、家族も巻き込むのが「がん」。

『ああ、どうしよう、この先。』

『会社にも親にも言えないな』

不安だけが募る。ネットでいろいろ調べてしまう。また寝られないのループ。両側なんて調べたって出てこない。ありえるのか、と。

 

ごはんも食べられない。でも普通に仕事はしなくちゃいけない。夜が長い2週間。

 

 いち早く伝えたい、と先生からかかってきた電話。もちろん、がん告知だった。その日は東京で系列の報道デスクの会議、その後の懇親会の真っ最中だった。戻ったときに悟られてはいけない、と不思議と涙は出なかった。まったく誰にも気づかれていない。このまま時間が止まればいいのに、とも思った。2次会も3次会もいって気を紛らわせた。その方が正直楽だった。

 

 数日後、クリニックで受けた説明では、左はがん確定で、ホルモンに大きく影響を受けているルミナールA型。Ki67も低い値だった。しかし、右は細胞診だけでは診断がつかなかったとのこと。確定させるためにはもう一度右の組織診がいると。

でも両側に怪しい塊があることだけは間違いない。右の組織診の予約を入れて、2週間また待って両方わかってから手術するか。

まずは左だけとって治療を始めるかの選択を迫られる。

 

もしも右も乳がんで仕事休むのが何度も重なるのは迷惑をかけることになるし、今の立場を失うのではないかという不安。

母も乳がんということから遺伝性のがんも疑われ、そうなると(2019年6月当時は遺伝子検査と予防切除はまだ保険適用外)両胸をとってしまったほうがいいはず・・・。

 

一方で左側はリンパ節への転移がないか、がんの広がりを詳しく見るMRIなどの検査も始まる。手術日の目安も決まり、日がたつにつれて、胸にボリュームあるなし、は関係なく、胸を失うことに抵抗が出てきてしまう。リスクを考えると乳腺だけでなく乳首も全部とってまな板状態にするのが推奨されるからだ。

 

 悩んだ末に、まったく仕事とは関係のない、趣味でつながり、長年ピンクリボン活動にも一緒に協力してくださっていた札幌フィメールクリニックの院長・彰子先生に相談を持ちかけた。3年前のPET検査のあとのセカンドオピニオンにも乗ってくれていたこともあり、ある程度のリスクもわかっていて心配してくれた。ここで初めて人に、カメラを回している話をした。彼女は冷静に話を最後まで聞いてくれた。

 

 ”きのうまで普通に笑って、食べていたので、きょうも普通に笑って食べられます。乳がんと診断されてもあなたは何も変わりません。”

 

『診断される前は気にせず自覚症状もなく、元気だったのだから、不安かもしれないけど急に具合が悪くなることはない。明日からも、手術をしてもゆきちゃん自身は変わらないから。』と励ましてくれた。右側も確定させて、両側一気に手術、そして保険適用でもある同時再建(一次再建・ティッシュエキスパンダーを入れる)の選択肢を示してくれた。

 

しかし、乳房再建は形成外科が専門。総合病院やがん専門病院だと形成外科医がいるので同時再建は院内で可能だが、今のクリニックでは難しかった。

 

セカンドオピニオンとして、私はしばらくぶりに母が手術をした札幌乳腺外科クリニックに戻ることになる。

 

久しぶりに戻った札幌乳腺外科クリニック。理事長先生は相変わらずの笑顔だった。

一通り持って行った画像を見て、右もたぶんそうだね、と。すぐに細胞診をして結果を待つことになった。

 

健康診断での告知から1カ月以上たっているが、まだ会社には一言も話していない。