ぶっちゃけ死んでもいいと思っていた

 

と話すのは、大腸がんサバイバーのうさこさん

 

うさこさん『口内炎がすごかった。それの対策で一応塩水でうがいする薬ももらってたんですけど、それでもできるからしゃべれないしご飯食べれないし。食べられるのはそうめんですよね、素麺。豆腐とかスープとか固形物入ってないスープとかなら飲めたんで。

 

そもそも大腸が完全につながって胃腸の機能が元に戻るまではあんまりご飯って食べちゃいけなくてかなり言われてたんで食べるものも制限かかっていました。その時は病院から処方されてた栄養剤を飲んで生きながらえるみたいな。

 

いよいろ体重もガッツリ落ちちゃったんでええやろうと思って、家族と相談して、看護師さんとも相談してもう食べたくないっていうときにカロリーとらなきゃない時って、もうお菓子とか食べていいですかって聞いたんですよ。”もういいです、何でも食べましょう”って言われて。食べなさいって言われてわかりましたって言ってポテチ食べました。。』

 

うさこさん『私、その病気になる前は正直ぶっちゃけた話、まあいつ死んでもいいかなって思ってたんですよ。今生きてても楽しくないしいいあって思ってたんですよ。家族もちょっとバラバラになったり、恋愛もうまくいかないし、仕事もしんどいし、もう嫌やと思ってたんですけど、死ぬかもしれないっていう現実を目の前にバンって突きつけられた瞬間に死にたくないって思っちゃったんですよ。ああ、私、生きたいたいんかと思って・・・。それで生きるって言うことに対してちょっと前向きに捉えられるようにはなりました。』

 

私の場合は翌朝の一口目のおかゆだったんですが、生きてるなと思った瞬間。みなそれぞれです。

 

うさこさん『私は病院から治療終わったって言われた時かなぁ。治療が完全に終わるとは知らず、常に再発の恐怖とが完治しなそうと最初から言われてたんで、1回目の手術とか2回目の手術でもね、全然なんかがんばれる気がしなかったんですよ。最後に数値が(腫瘍マーカー)いい感じになって、正常値になった瞬間です。』


『それこそ一番最初の時にあなたは若いから大丈夫よとがんなどありえないとか言われたけどでもそのときにもうちょっと詳しく調べてくれる人がいたらとかもっと早くわかってればうまくいったかもしれないし、でも札幌に帰ってきたからこその今の先生方に会えたのかもしれないし、それはもうわからないって感じです。』


うさこさんのその考え方、すごい大事な考え方です。

 

治療してるときにこれが正しいのか正しくないのかっていうのをやっぱり迷うことがたくさんあってその時にも今がタイミングなんだからっていうのを私の主治医はよくいいます。

両側見つかった、でも1年前に見つかったら、もしかすると左だけ見つかって、右は見つからなかったかもしれないじゃないかとか。右にもできてきている運命だったわけだから、それでも誰にも予見できないし、避けられないわけで。同時両側って、初発と再発一緒に来てるじゃん、と重苦しくなる気持ちをなんとか納得させて腹落ちさせてその治療に向かうのが重要でした。

 

うさこさんもとてもたくさんの量の抗がん剤のパンフレットを医師から渡されました。しんどいけど確率が上がる治療法、楽だけどとても時間がかかる可能性がある治療法。今までのエビデンスから考えると治療しても効果がない可能性もある、と緩和に入る道もある、と。

 

専門知識がないから選べない。それでもこれがよさそうな気がする、と話したところ、医師もそう思っていた、と治療が決まったそうです。

 

一緒にお母さんもいらしたそうですが、ああいう風にして逆によかったのかもしれないと話したといいます。

 

うさこさん『先生に決められたことをしたのではなくて、自分で選んだ目でこれをしたんだよっていうのがあるから、あれでよかったんじゃないって話すときはあります。』

 

そのためにやっぱり患者力って大事です。