今回はAYA世代(40歳未満)の患者さんのお話。

 

  『気持ちが悪くなる』と彼に言われた

 

つらかったのはパートナーとの関係と見た目の変化だそうです。

 

『私にとって、髪が抜けることが予想以上につらくて髪がものすごい抜ける、コロコロをしているときがむなしくて片胸ないし、まるでアンドロイド。体もうまく動かず、サイボーグにさえ思えてなさけなかった。』

 

『女性としての魅力がないと感じてないよね?と何度もパートナーに言うことで自分自身も精神的に落ちていって・・・。 パートナーは診断されたときは支えるといってくれて、私よりも泣いていた。抗がん剤の最初のほうはそうでもなかったけれど、しんどい、魅力ない、とネガティブな言葉ばかり言ってしまうのでもっと明るい話をしなよ、とよく言われた。そんな暗い私が自分自身でもどんどんいやになって。』

 

すると、夜に彼と連絡が取れない日が増えてきました。 パートナーが浮気しているのかもと思い込み、そう思う自分をますます嫌になっていました。 抗がん剤が終わった後の初の外食。うれしいはずのその帰りに一つ目の事件が起きました。

パートナーからの一言でした。

 

『”うんざりなんだ!一緒にいても楽しくない!”と叫ばれたのです。 その後しばらくして音信不通になりました。連絡はいつしか一か月に一回になり、結局、去年お別れしました。』

 

がんと診断される前に結婚の話をしていたこともあり、実は抗がん剤前にパートナーとの受精卵の凍結をしていました。

 

  相手は自然消滅を狙っていた?

 

『女性としての見た目の変化がきつくて、唯一、彼と会うときが女性としてのプライドを取り戻せる瞬間でした。 だから彼の前で明るくいるために、笑顔を心がけたり、明るい映画みたりしたけれどまったく気分が上がらず、苦しかったです。』

 

『最終的にお別れするまでも、徐々に音信不通になっていくのも、もやもや。抗がん剤終了からさらに半年後、別れた方がいいといわれたときも原因や改善点を聞いても答えない。彼的にはこのとき支えてあげられないといったので別れた気分になっていたようなのです。』

 

『その後、いつのまにか別の人と付き合っていて・・・受精卵凍結もしていたので物事には分別つけねばならないのでパートナーとの話し合いの場を設けると、ちゃんと別れ話を言えなかったのは会いたくなかった。 はっきりいって申し訳ないけど、会うと気持ち悪くなるから、と。』

 

『胸がないというのが耐えられない、女性として見れない、というのです。』

 

『凍結している受精卵の画像写真は、それを見ると治療がつらくても頑張ろうと思えた。その経験があるから、受精卵はいのちにしか見えない。でも廃棄しなくてはいけない。申し訳ない。』

 

なんと表現したらよいのかわからないほど、衝撃的な経験。記憶をたどり、次の誰かのためにとこのお話をしてくださったことに感謝しかありません。

放射線の副作用で放射線肺炎にもかかり、 がんの治療が終わった燃え尽き、さらにパートナーとの別れ。

 

 食事ものどが通らず、つらい日々が続きました。 仕事があったから無理にでも外に出る必要があったから、壊れそうな心をなんとか持ちこたえることができました。

 

『”患者の周りの人も第二の患者”と言われるように、私の知らないところで彼なりに苦しんだ部分があるのだとはずっと思っています。もちろん言われた言葉で傷ついたことに変わりはありませんが。 しかし「病気になった私が悪かった」とも言えません。患者だけでなく周りの人にもケアが必要なんだと思いました。』

 

私が同じ立場ならどう答え、どう先へ進むのか・・・。傷つきながらもきちんと相手のことを思って言葉を紡いでくださったことに感謝します。

 

患者以外へのココロのケアや知識の共有も重要な課題だと思います。

 

  今、やりたいことは?

 

『自分が話せたり、その話を聞ける場所、AYA世代のリモートでのお話会。 がん教育などもしたいです。 がんになって、ヘルプマークをつけていたのですが まったく席譲ってもらえたこともないし。人間をフラットにみるというか、弱みも強みもあるし、人間の見方をちゃんと考えてもらう機会を作りたいなと、小学校の教員なので。

現場にいるからわかるけれど生のサバイバーの声を聞かせるのとがんのこと知らない人が教えるのは違うと思う。キャンサーサバイバーの声を届けてほしいと思います。』