乳がんになって・・・ 

 

 最初は冷静に受け止めていたはず、でした。両側だったことでいわゆる、初発と再発が一気に来ちゃったという事実、さらに自分が思い描いていた、同時再建ができなくなったころから心の中は右往左往になってしまいました。

 

ピンクリボン活動に携わったり、患者さんの取材をするなかでこれまでの知識が選択肢を増やし、不安を増やしていたのかもしれません。

 

18年前の母の初発の時期と今はまったく違うと感じています。母とは閉経後と閉経前の治療の違いもありますし、ここから生きていく年数も違う。母のホルモン治療の副作用も見てきたのでこのあたりも冷静になれなかった理由かもしれません。同じようなホルモン治療の方が副作用などで治療を断念されていく姿も見ているのでかえって知っていくと選択肢も増え、悩みも勝手に増やしていたのかもしれません。

 

 実は私は大切な友人を手術後すぐ、1か月後に亡くしました。診断された年の5月に一番最初に乳がんであることを伝えた4つ年上の友人でした。


 5年間、乳がんと生きた彼女は立派でした。同病の方を不安にさせるのは本意ではないのですがステージ1のルミナールタイプの方でした。それからまもなくリンパ節転移が発覚。以降は抗がん剤治療を足すなどして治療を続けながら、働いていました。

 

 最初に伝えた時、初期からスタートしてもあとは運だ、人間はどうやって死んでいくのか、知っておいた方がいい、できることは今のうちに、やれることは悔いなく、と私に諭すように話してくれました。これまでお父さんを見送り、お母さんや友達を見てきたゆきちゃんだからこそ言ってもいいよね、と言ってくれたストレートパンチ、でした。

(なのでみなさんまで巻き添えすいません)

 

 私は泣き虫なので、泣きながら聞いていました。冷静ではいられませんでした。その後、彼女はいろいろな整理をしてギリギリまで人と関わりたいと入院せず、入院後はあっという間に旅立ちました。

 

 もっといろいろ聞きたかった・・・彼女の残した言葉を振り返り、母が18年、私も取材を始めてから20年になりますが、知識で知ったことと、実体験がこんなに違うんだと。わかっていてもゆらいでしまう、自分の弱さをかみしめています。まだまだ学びが必要です。

 

 9人に一人。これだけかかる方がいるからこそ、研究・治療法の革新は日進月歩です。それを信じて、少しでもバタつかないように歩みを進めます。

 

高知のみなさま

福岡のみなさま

 

ぜひともお出かけください。