権力構造と政治改革: 日米比較 3の3
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ameba, Yasukuni, 20060527

“靖国神社参拝論争と日中関係”
窪田 明
2006/05/25


日本の首相が靖国神社に参拝すると言う事に関する日中の政治紛争は、どうやら、
その終幕に近ずいた様だ。 小泉首相が今年の九月に退陣する事は、ほぼ確実の様だ
し、そして、その後継者が、此の慣行を継承する可能性は少ない様だ。 小泉氏自身
の言明では、此の問題は、後継者自身の裁断するものであって、彼の考え方を次の人
に押し付けると言う意向は表明して居ない。

若し、その様な形で、此の紛争が処理されるとすると、其れは、日中両国にとっ
て、大変望ましい結果だと思う。 国際政治はでは、面通は思ったより重要な要素で
あり、日中と言う二大国が、面目を潰さずに、両者共に、引き下がる事は、大変望ま
しい事の様だ。 日本側、そして、特に、日本の政府とか自由民主党(自民党)に
とって見れば、「小泉さんが首相を辞めたので、参拝は停止になった」と言う姿勢を
保てるとすれば、「中国政府の圧力のお陰で政策を変えた」と言う「具合の悪い」弁
明の立場をある程度回避出来るであろう。 

それと同時に、筆者の憶測では、中国政府の首脳の本当の考え方は、或は、現在の
対日強硬策の停止乃至廃止を内心では喜んで受け入れるのではないかも知れない。 
 現在の中国政府の小泉攻撃政策は、様々な国際政治的な効果をもたらし、その全部
をまとめて評価して見ると、或は、その一部は、中国の首脳が最初に予想して居たも
のとは多少異なってっ出現して居るかもしれないからである。 その一例は、世論調
査によると、日本に於ける中国の人気が顕著に落ちて居る事である。 第二には、靖
国参拝に関しては、日本のマスコミとかエリート層は相当に批判的であり、財界も批
判的になって来たが、日本の草の根の平均市民は、その半数近くが小泉氏を支持して
いるのである。 第三には、2005年9月の総選挙では、小泉連立政権は、議席の三分
の二以上を確保し、中国に対して意地悪い、多少無理な解釈をして見ると、或は、中
国の対日強硬政策が、日本国内での小泉氏の人気を押し上げると言う結果を招いたの
かもしれないと言う説である。 中国は、「小泉氏を叩いて居た」積りでも、実際
は、小泉氏を助けて居たのかも知れないと言う皮肉な結果なのである。 一般に、一
国の政府が、外国の宗教問題に余り強く介入する事は、「薮蛇」的な結果を起こす可
能性が高い。 尤、共産主義者のエリートには、宗教問題の深い客観的な評価・分析
は難しいかも知れない。

それから、外交技術的にも、中国の方針には問題があり、その一つは、一定の政策
とか慣行に反対すると言う立場と、一国の首脳が、外の国の首脳との会見を拒否する
と言う事は、必ずしも、論理的な結び付かないのある。 「会う事を拒否する」と言
う条件を使って、一定の立場を相手に強要すると言う事は、一般には、西欧の先進国
間の外交では用いられない手段なのである。 勿論、外交関係には、「国交断絶」と
言う状態もあるが、それは、戦争状態とか其れ直前の非常に異常な外交関係なのであ
る。

中国は、国際外交的には、比較的に新しい国である。 それから、共産主義の理論
は大変立派なイデオロギーであるかもしれないが、それを実際の西欧的国際外交の世
界で如何に実務的に適用するのか言う問題は又別の話で、過去の一例では、ボルシェ
ヴィッキ政権は、革命直後、国際外交で大変苦労した。 元中国滞在の西欧外交官の
一部の解釈では、日本の外交官団は、極めて西欧的で、熟練し、有能であるが、中国
の現在の外交官団は、発展途上諸国的だと言う。 手探り外交とも言えるのか。 少
なくとも、中国政権の約一年前に使って居た若者のデモによる反日宣伝工作は、大
体、打ち切られた様である。

それから、日中関係を考える際に、「覇権」と言う問題を考える必要がある様だ。
 東洋の長い歴史を考えて見ると、明らかに、アジアの西欧化以前では、大筋では、
中国は日本より高い立場を保って居た。 その様な相互関係が、日清戦争
(1894-1895年)の結果、逆転され、1945年迄は、日本の方が、優越性を誇った。 
或は、現在でも、経済其の他の面で、日本は、未だ、中国に完全に追い越されて居な
いかもしれない。 ただ、オリンピック、産業化、核兵器所有、宇宙開発、国連安全
保障理事会の拒否権、資源などに関する国際貿易等に関しては、中国の発展は大変目
覚しい。 従って、中国が、その新しい国際的に優れた地位を日本に対して明示する
ことも、政治的に避け難い事の様である。 基本的な力関係が変わりつつある際に
は、どうしても、それが目前の態度に表れ、その一部として、やや、露骨な形で、相
手国の首脳の行動に対して、指示等を出さざるを得ないのではないか。 迅速に成長
して行く息子が父親に指図まで出す事は、遅かれ、早かれ、避け難いのではないか。
 一般に、“親分”は、親分にふさわしい行動方式を好む様だ。

筆者の意見では、この様な日本の対中国関係の基本問題は、ある程度は、避け難い
ものであって、仮に、靖国神社問題が解決した後でも、日中間に依然として、存在す
るであろうと言う想定である。 東シナ海のガス田の問題とか台湾に付いての米中関
係等が、依然として残るのではないかと思う。 勿論、国際貿易量が急速に増大する
と、其れに関しての日中間の意見の対立とか紛争も増大するかもしれない。

と言う事は、全般的に、今後、中国の対日要求が強くなる事はあっても、弱くなる
事はないかもしれない。 ただ、此の点で、多分、中国の首脳が充分考慮する必要が
ある問題は、日米同盟の存在である。 日米関係は、現在の処、かなり、順調円満で
あると言われて居る。 その様な背景を考慮に入れると、若し今後中国が、対日強硬
政策を取り続けたとすると、日米の絆を更に強化し、日本の立場をより強いものとす
るかもしれない。 と言う事は、あまり、日本を虐め過ぎると中国自分自身の国際的
な立場を弱めると言う不幸な結果に陥るかもしれない。 日米軍事同盟は世界政治的
に大変大仕掛けなものだ。 ロシアと比べると、中国は今までの処、その近代化、西
欧化に、比較的に、順調に成功して来て居る。 大変素晴らしい。 しかし、世界政
治は、基本的に同じ様な政治経済状態を非常に長く続けるものとは考えられない。 
その様な意味でも、現在及び今後の中国は、かなり大きな対外戦略的な問題を抱えて
いるのではないか。

以上








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Akira Kubota

伊勢雅民氏と人権擁護、2006・05・07

題目 伊勢雅民氏が書かれた人権に付いての記事
Common Sense: 「人権」派の「人権擁護」法案による人権弾圧、2006・05・06に
hotmail で送られて来たmelma 00152467
著者 窪田 明
期日 2006年5月7日


この記事は、小生だけでなく、現在、欧米に居住する多くの日本人、日系人にとっ
て理解し難いものである。 尤も、筆者は、似た様な外の記事を日本で、時々見た事
があるが。

この記事の趣旨は、人権擁護法は悪用される可能性が強いもので、例えば、少数民
族が、その様な制度を逆手に使って、多数民族を迫害するのかも知れない言うものら
しい。 筆者は、人権問題の専門家ではないが、北米の人権擁護制度について、多少
の調査をした事もあるが、前記の様な悪用が北米で大きな問題になって居るとは聞い
て居ない。 従って、非専門家の憶測として言える事は、海外の人権擁護制度を学ぶ
とか応用する事によって、日本は、上記の様な問題を大部分避ける事が出来るのでは
ないかと言う可能性である。

どんな制度でもある程度の悪用は避け難いのではないか。 悪用の可能性を極度に
誇張する事によって、人権擁護の社会的な国家的な責任を事実上回避して居る事にな
らないのか。

少なくとも、筆者の聞いた限りでは、現行の北米の人権擁護法制度の主な苦情は、
被告(迫害して居ると想定さえる当事者)の保護的傾向が強過ぎて、原告(迫害され
て居ると想定される当事者)の権利が充分に守られて居ないと言うものである。 北
米の人権擁護問題の専門家で、日本語の読める人は少ないであろうが、若し、彼等
が、伊勢氏の記事を読んだとすれば、その多くが首を傾げるのではないかと思う。 
尤も、北米の保守的な政治家の多くは、一般に人権擁護法の強化に激しく反撥する。
 この様な制度が立法化される過程で、その一部が、骨抜きになる可能性は何処の国
でも高い。

以上








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Akira Kubota

小泉、遺産、アメーバ、20060506

小泉政治の遺産をどう評価するか
在カナダ 窪田 明
2006/05/05

先日、インターネットを通して、若泉啓文氏が書かれた�風考計 総裁選とアジア
 「角福」以来、波乱の予感”と言う記事を読ませてもらった。 其の説明による
と、どうやら、此の記事は、五月一日付けの「朝日新聞」に発表されたものの様だ。


日本の政治通であり、代表的なメデア人であり、知識人で有る方のお考えととし
て、大変興味深く検討させて頂いた。 其の論旨は、日本の政界の派閥の動きとか日
本のアジア外交を中心的要因として、今秋の自民党総裁選の展開に関しての分析とか
見通しの紹介である。 ただ、通常、海外から日本の政治を観測して居る者達の一部
としては、あるいは、その視角が国内の研究者のそれとは、多少、異なるのかもしれ
ず、そして、その一つの点が、所謂「小泉劇場政治」の総裁選に対する影響の問題で
ある。 多くの日本の政治研究者が、どうやら、小泉政治改革の意義をそれ程高く評
価して居ない様である。 因みに、若泉氏は、此の記事で、「小泉流の政治が九月の
総裁選を一色に塗りつぶす」と言う様な形で熱弁を振るって居る訳ではない。

政治は一般的に直線的には進化しない。 進歩と後退が入り混じる事が多い。 
従って、小泉改革が一時的に後退するとしても、その全部が永遠に抹消される可能性
は相対的に少ない。 小泉内閣の下で、永田町の政治権力構造は、かなり、変革され
た。 内閣の人事は、派閥から、首相の独立裁定課題に変わり、税金其の他の面で、
党の組織は、その力の大部分を経済財政諮問会議を中心とする官邸に対して失った。
 勿論、小泉改革は、郵政民営化だけに限られて居る訳ではない。

小泉内閣はその最初から型破りであった。 2001年4月に、小泉氏が、党総裁に当選
した時に、彼は、当時の最大派閥である橋本派(旧田中派)からは支持されて居な
かった。 近年、最大派閥に支持されないで、総裁選に勝った人は、小泉氏以外には
まず居ないであろう。 小泉氏は、永田町以外の全国的な党組織の草の根のレベルで
強い人であった。 筆者は、安倍晋三氏が、小泉氏と同じ程度に例外的に世論に強い
人であるとは思わないが、少なくとも、大体、永田町に限定された古い派閥組織が、
2006年秋の総裁選の際にも、小泉時代以前の様な力を発揮するとは、考えられない。
 派閥は、やや必然的に、世論の前にその力を暫時失って行くのではないか。 勿
論、現在の日本の政界に存在する様な形の派閥は、世界的にあまり例の無い慣行でも
ある。

「以上」






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Akira Kubota

Ameba,国会議員、20060424

国会議員の役割: 比較文化的分析
窪田 明
2006・04・24


日本の国会議員に相当するカナダの政治家群と言う事になると、カナダの連邦議会の
下院議員であろう。 両者共に国の法律を作成すると言う重要な役割を担って居る。
 その点では、確かに共通して居る。 しかし、それ以外の面では、全てに於いて、
此の二者は必ずしも同一に機能しては居る訳ではない。  一般的に言うと、日本の
国会議員の地位の方が、カナダの連邦議会下院議員の地位より相対的に高い。 その
一つ実例が、議員とその他の一般国民との格差の問題である。 

日本では、大雑把に言って、或は、特に、日本の保守政党の場合には、国会議員し
か、党の総裁なれないのである。 此れに対して、カナダでは、原則として、市民で
あれが、供託金さえ納めれば、殆ど誰でも、総裁選挙に立候補出来るのである。 し
かも、日本の場合には、約20名の議員の推薦が無いと立候補も出来ないので、事実
上、永田町で、かなりの地盤を持った人物で無い限り、正式に、総裁選に出馬の出来
ないのである。 首相になるのには、一般に、その前に、政党の総裁になる事が必要
であり、日本とカナダでは、その総裁選で戦う際に、本人が議員であるか否かによっ
て、出馬出来るか否かと言う事が、既に、二国の間では、異なった形で、自動的に決
まってしまうのである。

多くの評論家が、21世紀の日本は例外的に「平等」な国だと主張する。 一部の社会
科学者は、「経済的には、日本は、多くの共産主義国より、貧富の差が少ない」と言
う。 一部のビジネス研究家は、日本と米国を比べると、一定の会社の平均工員とそ
の重役との間の給料の差は、日本の方が、格段に少ないと言う。 しかし、少なくと
も、戦前では、日本では、社会に於ける格差は非常に大きかった。 そして、敗戦と
占領軍による本格的な民主化と言っても、現実的に考えて見ると、ある意味で、日本
の社会の片隅に、多少の格差が今でも残って居る事はある意味で当然な事なのかもし
れない。

「国会議員しか党総裁戦に立候補出来ない」と言う「差別」も、その様な例の一つに
過ぎないのではないのか。 もっと目立った大きな日本特有の差別の例は、女性に対
する差別であろう。 女性の政界進出に関して、様々な国際統計が発表されて居る
が、その多くの例で、日本は、大抵、先進国の中で、最下位を占めて居る事が多い。
  日本では、カナダと異なり、政党の主な役職は、殆ど、その全部が、国会議員
で、占められて居り、そして、日本の政党の場合には、対政府的に力があると考えら
れて来て居るので、日本の国会議員は、その集合体として、カナダの連邦議会下院議
員の集合体よりも権力がある。 現在でも、日本の主権の保持者である日本国民は、
確か、日本の国会の正門から、正式に、入る事は出来ないが、その門は、新しく選ば
れた議員、天皇、外国の大使、その他の特別の人々の為には、問題なく開けられる。
 日本の国会の正門は、通常は、厳重な錠前が掛かって居る。 これも民主主義国と
しては変な慣行である。

日本の全国党大会では、国会議員は、舞台の上の特別場所に着席する事が多く、外の
地方からの代議員の様に、一般席には座らない。 筆者の出席した米国の全国党大会
では、雛壇には、多くても、五席とか十席位しか用意されて居らず、連邦議会の議員
は、その殆ど全部が、一般席に、座って居た。 日本の国会議員は、金のバッジを付
けているが、少なくとも、カナダ、米国の連邦議会の議員はその様なものは付けて居
ない。 日本の憲法では、国会は「国権の最高機関」と定義されているが、それは、
国会が纏まった特定の機関として機能する場合の事を指し、必ずしも、個々の国会議
員が、別々の形で、国権の最高機関として機能すると主張して居る訳ではないであろ
う。 しかし、上記の様々な例を総合して考えて見ると、或は、個々の国会議員はそ
の様な考え方に多少影響されて居るのではないかと言う疑いを持たされる。

2001年4月に小泉内閣が出現して以来、日本の政治は、様々な面で、大幅に、改革さ
れた。 例えば、組閣は、首相の一存で、人事が決まり、派閥はこの面での影響力を
失った。 権力は、党組織から、内閣官邸に大きく移動し、例えば、自民党税務調査
会のインナー等は、その権力を失った。 長老である中曽根、宮沢両元首相は、運動
をしなくても当選できる比例代表制を利用する権利を捥ぎ取られた。 老人崇
拝の儒教的思想が大きく揺すぶられた。 2005年9月の郵政選挙で、古来の派閥は、
その勢力の三分の一とか半分位を失い、綿貫民輔、亀井静香両氏は、小泉内閣に反抗
し、その領袖の地位を失うという前代未聞の敗退結果に遭遇した。 にも拘らず、筆
者の知る限り、「自民党を更に平等化し、非議員にも総裁選立候補の権利を与えよ」
とか「米加に倣って、二十人の議員の推薦の要件は廃止せ」と主張する様な日本の国
会議員、平党員、評論家そして学者は、今の処、余り居ない様だ。

それから、やや別の次元の問題であるか、日本の政治が、北米の政治と異なる一つ
の面は、その排他性と言うか開放性と言うものであろう。 日本では、今迄、反対側
の大政治家と思われた人物が、味方の一員となる事を私的に決意し、その総裁選に勝
手に出馬する様な事は殆ど無かった。 一つの党から、簡単に出て行き、今迄反対し
て居た党に参加し、しかも、その最高司令官になって、指揮を取らせて貰うと言う大
胆な目算である。 確かに、日本の近代の政治史でも、様々な党派が、様々な形で、
かなり頻繁に、集合、解散して来て居り、現在の民主党代表の小沢一郎氏の党歴等
は、かなり複雑である。 しかし、小沢氏の場合でも、最初に新しい党に入党し、そ
の数年後に、其の党の代表の地位を求めている。 カナダのBob Rae氏の場合には、
どうやら、内心での立候補の決意が先で、其の後に入党して居る様だ。 2006年三月
に、Liberal党が正式に、全国党指導者選出大会の開催を決め、其の翌月の四月に、
Rae氏は入党し、そして、法的に立候補して居るのである。 Rae氏は元々New
Democratic Party の党員であり、オンタリオ州の首相迄勤めた人である。 どうや
ら、Liberal党員総員の考え方は、「その様な多党乱脈的な政治行動の倫理性は、最
終的には、Liberalの全国党大会が自由に評価、裁定する問題であって、党則の上
で、その様な人物を始めから締め出す必要なない」と言うものらしい。 日本の永田
町政治では、この様な軽業師的な芸当は無理であろう。 伝統的には、日本文化で
は、家の制度とか派閥制の影響が強く、忠誠心が強調され、敵側の陣営に入って、そ
の最高司令官になる様な事を考える様な人物は、社会的に、指導者として、全然、相
手にされないのではないか。 そして、若し、仮に、日本の政治団結性がそれ程強固
なものであるとすれば、少なくとも、総裁選に関する党規則をもう少し「開放的」に
改正出来ないものか。 政治改革も其処迄追求する事は困難なのであろうか。

二つ又はそれ以上のかなり異なった政治文化を同時に比較研究し、そして、それぞれ
の政治文化の改革の余地を探求する事は有効な作業ではないか。

以上



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Akira Kubota

日系人に対しての補償、2006・03・25

日系米人に対する補償: 三つの問題点
東京福祉大学名誉教授 窪田 明
前半、1-7頁、二の一、始まり
草稿

日系米人に対する補償: 三つの問題点
東京福祉大学名誉教授 窪田 明
2006/03/24


北米合衆国のレーガン政権は、1988年に、「1988年自由民権法」(Civil Liberties
Act of 1988)と言う法律を採択し、第二次世界大戦中に米国政府の行った日系米人及
び日系米国長期居住者に対しての人権侵害事件に関して、公式に謝罪し、そして、そ
れに対して金銭的に償う行為を実践に移し、歴史的に、非常に大きな意義のある第一
歩を踏んだ。 その解決策の骨子は、個々の被害者に対して、其の後、十年に亘っ
て、米2万ドルを支払う事であり、そして、その企画全体に対して研究、教育費とし
て米5、000万ドル支払らう事だった。

その様な解決策を、実際に、目前に提示されるとすれば、それに対して、我々は、
勿論、基本的に好意的に反応するのが当然であろうが、しかし、正式に、歴史的な、
客観的な最終的な評価を下す前に、幾つかの問題を提起する必要もあるであろうし、
そして、その様な問題点に沿って、この補償問題全体をかなり注意深く検討、分析、
評価する必要があるであろう。 その中で、三つ程の大きな問題点をやや恣意的に選
んで挙げてみると、(1)補償の額は充分であったか否か、(2)補償されるべき人々
が全員漏れなく事実上補償されたか否か、そして、最後に、(3)現在、日系人、日
本人は、北米社会に於いてとか、もっと広く国際的に、完全に、尊敬され、平等な人
間として扱われ、問題なく、その人格を本当に認められて居るのか否かと言う諸点で
ある。

日本語には、「国際人」と言う表現があるが、恐らくその一つの意味は、「世界的
にその人格とか尊厳性を完全に認められて居り、その全部の権利を行使出来て、問題
のない世界市民である」と言う事かも知れない。 人種的には欧米人でない日本人、
そして、日系人も、今の時代では、欧米人と肩を並べて国際社会的に、同等に、効果
的に活躍出来るであろうか否かと言う事は、その様な補償支払いの一つの大きな付随
的な究極的な目標ではないのかと思われる。 確かに、過去の誤りを矯正し、そし
て、償う事も、勿論、無視出来ない大きな国家的な仕事である事は間違いないが、単
に、金銭的な埋め合わせに留まらず、我々の究極の目標としては、最後には、真にお
互いの人間性を尊敬する事が出来る様な完全な人類社会を設計したり、整備したり、
確立する事ではないのか。 

良く知られて居る歴史的な事項であり、指摘する必要もない事柄であるかも知れない
が、年の為に繰り返すと、此の様な様々な点に関しては、その達成は、今迄の処、か
なり困難であった事は間違いないのである。 比較的最近の1919年の第一次世界大戦
後のベルサイユ会議でも、日本の代表の努力にも拘わらず、国際社会は、此の様な基
本的な人権の諸側面を完全に保障する事を公式に拒絶して居るのである。 米国社会
内に於ける黒人の投票権その他の権利の確立に関する公民権関係の法律は、1960年代
になって始めて正式に設定され、南アフリカの隔離制度(アパータイト)は、1991年
になって始めて、公式に廃止されて居るのである。 と言う事は、2000年の時代に
なっても、この様な事柄は、必ずも、遠い過去の問題ではなく、おいそれと軽視出来
ない人間の尊厳性に関する根本的な問題なのである。

先程挙げた三つの点をもう一度振り返って見るとすると、確かに、米国の社会自体
では、最近、その様な面で、大変大きな進歩を示した。 基本的に、大変喜ばしい結
果である。 しかし、其れと同時に、我々が正直に認めなければならない事は、生き
た社会の現実の問題としては、目前の具体的な解決策が、相対的に、不充分でありが
ちである可能性もあり得る事であり、或は、残念ながら、実際上は、多少不完全な面
もあるかも知れないと言う問題もあるのである。 「人間が人間であり」、そして、
「人間が不完全にある」限り、その様な様々な複雑な問題から100%完全に脱出する事
は、多くの場合に、出来ないかも知れないのである。 例えば、具体的な一つの実例
を挙げるとすれば、米国の司法省の幹部の一部の役人達の日系被害者に対しての政
策、方針、そして、態度は、必要以上に柔軟性を欠き、ある意味では、残念ながら、
かなり冷酷な様なのである。 その結果、どうやら、2006年の時点で、新しい、第二
波の是正の運動が必要になるのかもしれないのである。 本文の残りの紙面を使っ
て、その様な不十分な部分を多少なりとも説明させて頂こう。 

補償額の2万ドルと言う数字は、米国政府が1981に設立した審議会の引き出したもの
であり、その審議会の正式な名前は、「戦時中の民間人の移動及び収容に関しての審
議会」(Commission on Wartime Relocation and Internment of Civilians、
CWRIC)である。 その報告書の正式な題目は、「個人の権利の否定」(Personal 
Justice Denied)であって、最初は、二巻に分けられ、1982年と1983年に出版され
て居る。 そして、此の報告書は、それ以外にも、此の事件に関して、教育と研究の
為に、米国政府に支出せよを勧告して居る。 1988年に、「1988年自由民権法」が採
択された際に、前者の2万ドルの方は、政府によって、その侭受け入れられ、そし
て、後者の研究と教育の為に、5,000万ドルと言う額が認められた。 しかし、後者
の方は、1996年に、「自由民権公民教育基金」(Civil Liberties Public 
Education Fund、CLPEF)が設立され、その予算が割り振られた際に、その90%が削
減され、其の後、実際には、500万ドルしか支払われなかった。 

恐らく、個人補償額の2万ドルと言う数字は、多くの関係者にとって、元々象徴的な
ものと意図されて居た様であって、現実的な実質的な弁済額ではなかった様だ。 
CWRICの一審議員であり、著名な人権法学者であるRobert Drinan神父等が残した記録
によると、彼らの了解は、実際の被害額は、其れを悠に超えるものであった。 被害
者は、開戦直後、比較的な短期間の通告の下で、鞄一、二の程度の持ち物以外は現住
所に残して置かざる得ない形で、収容所に向かって立ち退かなければならなかった。
 自動車、家具、商品その他に付いては、精々「火事場処理」的しか出来なかった。
 家、土地、商店、工場、銀行預金、証券、債権、その他の物件は、必ずしも、全部
の場合に、即時全額損失と言う形に終った訳ではなかったが、その様な場合も、全然
存在し無い訳ではなかった。 それ以外に、勿論、収容所に入れられると言う事は、
通常の家庭の収入を失う事であり、勿論、多くの場合に、教育の機会を失った。 米
国の商務省の統計によると、1988年現在に於ける米国内での一人当たりの収入は、
$16,491である。 自動車とかその他の動産の一人当たりの損害も、数万ドルに当た
るかも知れないし、それ以上に、不動産に関する損失も、数万ドルに当たるかも知れ
ない。 日系人の不動産は、政府とか債権者によって、自動的に接収される事はな
かったが、日系人の収入の激減に伴ない負債の定期的返却に遅れ、債権者によって没
収された例も多くあった様だ。 それ以外に、この様な違法行為の場合には、罰金的
な金銭も、合わせて、加害者から被害者に支払われるのが通例である。 そう言った
幾つかの部門を全部合わせて合計額を算出するとすると、2万ドルどころの額ではな
いだろう。

此処で、数少ない巨額な損失例に立ち入る事は、ある意味で、問題の理解を混乱さ
せる危険がるかも知れない。 しかし、第二次世界大戦中に北米でも南米でも、巨大
な資産を失った日系人は多少存在するのである。 その一つの場合は、現在のカル
フォルニア州のワインのメッカであるNappa Valleys での事で、約2,500 acres の
土地で、遺産相続問題で揉め、結局、日系人の手から取り上げられて仕舞った。 そ
の価値は、現在の評価では、数十億ドルとも言われて居る。 此の農園の中心人物
は、薩摩出身の人で、長沢鼎と言う。 又、全然別の形での極く最近の米国政府の補
償金の支出の例を挙げてみると、中近東系の人の場合で、無実でありながら、9・11
事件で、誤って、米国の監獄に一年弱拘束された人で、当時の米政府法務長官を相手
にとって訴訟を起こし、2006年02月28日迄に、300,000ドルの損害賠償を払う事を条
件として和解したと伝えられて居る事件も存在する。 此の場合と日系人の補償の場
合に比べて見ると、その数字上の差は、少なくとも、一桁以上のものである。

それでは、第二の点の、補償の対象者の件は、どうか。 当然に支払われるべき
人々全部に対して、必ず、間違いなく支払われて居るのか。 残念ながら、筆者の知
る限り、そうは言えないのでる。 少なくとも、此の補償に関しての対米国政府との
交渉の仕事に、実際、関与した日系人の代表の人々の意見によると、満足出来る回答
が得られていないと言う。 三つ位の大きな型があるのである。 其の一つは、日系
米人とか日系で米国長期居住者の場合であっても、法律の定義の技術的な適用の問題
で、杓子定規的に適用すると、一部の極く少数の人々が明文化された法律に規定され
て居る基準を完全に満たさないと言う理由で、支払いを拒否されて居るのである。 
日本式の表現を使うと、米国官僚の扱いが、「重箱の隅を突付いて居る」様なのであ
る。 米国政府側は、残念ながら、場合によって、最高裁判所迄に持ち出して頑強に
抵抗し、大変勇ましく、闘って居るのである。 

第二の型は、日系南米人の場合で、実質的人権侵害の内容の面では、日系北米人の場
合と余り変わらないのにも拘わらず、米国政府は、今の処、5,000ドルまでは支払う
が、2万ドルは支払えないと一貫して主張して居るのである。 第二次世界大戦中
に、米国政府は、その代表を南米迄に派遣し、当時、南米に居住して居た日系人の一
部を拘束し、北米に強制収容し、その当時、日本に抑留されて居た米国市民とか俘虜
の交換の材料に使ったのである。 米国の多くの憲法学者は、米国憲法の人権法典
は、米国市民にもそれ以外の外国人にも同様に適用されると主張しているが、現在の
処、米国政府はそれを実行に移す事を明確に拒否して居るのである。 従って、2006
年2月15日に、ダニエル・井上上院議員(民主‐ハワイ)とザヴィエル・べチェラ下
院議員(民主‐ロスアンゼルス)は、南米日系人補償を検討する審議会を設立を要求
する法案を米国議会に提出した。 約1,500名の南米日系人がその様な不幸な取り扱
いを受けたと考えられている。 此の第二回目の2006年提出の法案の究極的議会可決
の課題は、1981年のCWRICの場合に比べて、一段と強い米国議会の抵抗に遭遇するか
も知れない。

補償の対象に関して、第三の型の問題は、補償は、生存者のみに支払われると言う
極めて強い限界のある性質のものなのである。 詰まり、1988年8月9日又はそれ以前
に死亡した人々には、補償は、全然、支払われて居ないのである。  又、その様に
既に死亡された被害者の人々の子孫にも支払われて居ないのである。 米国政府の政
策を、被害者の立場から、一方的に解釈させてもらうとすれば、どうやら、「被害者
の死亡と共に、人権侵害と言う行為の事実は消滅するらしい」のであり、それに伴な
い、「その様な不法行為に対する米国政府の法的責任は消滅するらしい」のである。
 勿論、死んだ人は発言出来ないし、苦情も述べられない。 政府の方からは、政治
的に、都合の良い処理方法かも知れない。 筆者は、損害賠償の専門家ではないが、
恐らく、その様な理論は、一般の損害賠償の法理論を逸脱して居ると思う。 1988年
の時点では、強制収容に付いての日系被害者の総数の内で、ほぼ半数に近い人々が死
亡して居り、従って、2万ドルと言うかなり限られた補償額であっても、それを事実
受け取った人々の数は、実際に被害を受けた人々の半数を多少超える程度に過ぎない
のである。 一方では、米国政府は、日系補償問題を通して、その人権擁護の立場を
国内的国際的に効果的に宣伝する事に成功したかもしれないが、その反面、米国のマ
スコミは、或は、もっと広く、世界のマスコミは、その立派な企画から、実は、非常
に多数の人々が、本当は、漏れて居ると言う重要な事実を、明確に、間違いなく、報
道して居ないのである。

それから、既に、触れた問題であるが、此の日系補償問題に関連した項目で、もう
一つかなり気になる面は、日系補償に関しての研究・教育費の予算の割り当ての問題
である。 もっと具体的には、米国議会はその立法、予算振り当て過程で、その予算
を大幅に削減して居るのである。 1988年に、「1988年自由民権法」が成立した際に
は、研究・教育費は、5,000万ドルと予定されて居たのであるが、1996年に、「自由
民権公民教育基金」が設立された頃には、驚く事に、その90%が削減されて居るので
ある。 現在の時点でも、此の5,000万ドルの内の4,500万ドルは復活されていないの
である。

従って、我々のその次の設問は、「何故その様な大幅な削減が起ったのか」と言う事
にでもならおうか。 其れに対して、様々な接近方法が考えられるが、その一つの形
は、米国議会の日系補償全体に対する態度を、もう一度、再分割し、始めから最後ま
で、徹底的に検討し、評価する全面的な再作業であろう。 大事な点は、必ずしも、
当時の米国議会のその全議員が、CWRICの勧告に対して100%熱意を持って賛成して居
た訳ではない事であって、その様な少なくとも部分的に懐疑的な基本的な姿勢は、立
法過程の様々な面で、現実な形で現れて来て居るのである。 更に付け加えるべき事
は、米国議会が、正式に立法作業を始める以前に設立された審議会の時代からその様
な兆候が明白なのである。 その一つの形が、CWRICの副審議会長のDaniel E.
Lungren 下院議員(共和-Calif.)の意見であり、彼の戦時中の日本政府の北米本土
内の諜報活動と日系人との関係への関心は、書面の形としては、Personal Justice
Deniedに見出される。 その上に、彼は、2万ドルの補償金を払う事自体にも反対し
て居る。

それ以外で、一見に値する否定的反応の例は、補償該当者の定義の解釈と巡って、司
法省の役人によるやや硬直した態度の表示であり、死亡者が対象から除かれている事
とか、日系南米人に対しては、四分の一額しか与えられないとか、解釈に付いての被
害者の提出する異議は、裁判所に提訴する事を事実上強要さる立場に追いやられ、そ
して、その様な否定的な側面の最高点の一つが、研究・教育費に関しては、90%の削
減である。 勿論、政治家は、政府の費用で、自分達の意見以外の内容のものが広報
される事を好む筈がないし、その当時、日系補償に対して懐疑的な態度をとった政治
家は米国社会には多少なりとも存在した事は間違いない。 生存して居る被害者への
補償金を露骨に削減するとか抹殺する事は、そして、それが特に米国市民の場合に
は、潜在的受益者は、強く反発するであろう。 その様な、真正面からの挑発的な、
目に見えた形の政治的行為を取る事は、政治家にとって、将来“面倒な”政治問題に
繋がるかもしれない。 此れに対して、研究・教育費の削減は、平均人には比較的に
理解し難い問題であろうし、日系補償に関して、元々熱狂的な支持者でなかった政治
家にとっては、立法、予算割り振りの過程で、その様な項目の除去とか縮減は、大変
都合の良い実現性の高い政治目標になったのではないか。 米国議会を含めて、多く
の国の議会で、議員達は、一般的に、この様な事で、最後の立法段階で、かなり重要
な取引とか駆け引きを行って仕舞うし事もあるし、その様にして、政治家は自分達の
個人的な政治目的を達成しがちなのである。

そして、最後の第三点の日系人とか日本人が北米とか世界の社会で、現在、本当に
認められ尊敬される存在になって居るか否かの問題に移って行こう。 勿論、その様
な問題は非常に大きな問題であり、それだけでも一冊本が書けるのかもしれない膨大
な問題であるが、少なくともその一、二の側面とか一、二の要素だけでも、取り出し
て、触れてみたい。 筆者の意見では、その一つは、「メデアに認められる」と言う
事である。 又、別の言い方をすれば、1930年代1940年代に日系人が北米社会で迫害
された一つの理由は、メデアが日系人を保護しようとしなかった事である。 北米の
メデアが日系人を正常な人格者として相手にして居なかった事である。 もっと直接
的な表現の仕方をして見ると、当時の北米のメデアの一部は、日系迫害の先棒を担い
でおり、その他の穏健な北米のメデアでも大体、その他のもっと極端な北米のメデア
の権力の乱用の現状を傍観して居る程度であって、その様な非倫理的な非合法的な傾
向に、正面から、反対したり阻止したりし様とはしなかったのである。 勿論、メデ
アの支持の無かったと言う事は、一面では、社会全体に支持の無かった事の反映かも
しれないが、一部の優秀なメデアは、一定の状況の下では、社会の多数の意見に挑戦
する事を必ずしも憚らない事もあるのである。

日本人とか日系人が、北米とか世界のマスコミの分野で指導的な地位を占める事は
難しい事であろう。 英語圏の人々などと比べて、日本人とか日系人の人口の世界の
人口に対する割合も小さいし、その文化的な影響力ももっと限られて居る。 筆者
は、かって、BBCの国際テレビを大体定期的に鑑賞して居た事もあったが、BBCの世界
的なニュースの番組などで、日本の事が殆ど報道されない事には強く感銘させられ
た。 その点では、英国のマスコミは、米国のマスコミより、もっと強く偏って居た
のであった。 国連関係などでも、非西欧圏のマスコミ進出は難しい。 数十年前の
事だが、発展途上諸国の指導者達が、ユネスコの幹部として納まった事があり、彼等
がユネスコの編集方針を大幅に、非欧米的な方向に切り替え様とした事がある。 此
の試みは、其の後、米国の強い反対に遭い、それ以外の経理、経営の問題等も絡ん
で、発展途上諸国の代表はユネスコから駆逐され、其の後、日本の外交官と日本から
の援助資金が基盤となって、ユネスコは、現在、再建されつつある。 或は、日本
は、国際的には、米国の様なやや保守的で、巨大国と、その反対側の革新的な発展途
上諸国との間の紛争の中に入って、その二者の間を旨く調整するのがお得意なのかも
知れない。 それから、日本の「朝日新聞」は米国のHerald Tribuneとの合弁で、欧
州と日本で、英語、日本語併用の新聞を同時に発行し始めて居る。 その様な英字新
聞は、日本国内に長年存在しているJapan Timesとかその他の日本の従来の英字新聞
とは異なる持ち味を発揮して居るかも知れず、日本のマスコミの「国際化」の一つの
有力な突破口になるのかもしれない。



日系米人に対する補償: 三つの問題点
東京福祉大学名誉教授 窪田 明
前半、1-7頁、二の一、終わり


日系米人に対する補償: 三つの問題点
東京福祉大学名誉教授 窪田 明
後半、7-12頁、二の二、始まり


当分の間、日本が、世界で二番目に大きな規模の経済力を保持する国であると言う事
実は変わりそうもない。 確かに、埋蔵資源の保持とか人口とか領土の大きさの面で
は、日本は、世界の多くの国に劣る。 しかし、製造工業とか国際貿易では、日本
は、世界一流だ。 どうやら、自動車生産の分野では、間もなく、日本が米国を超え
て、世界一になりそうだ。 それから、どうやら、欧米の多くの指導者や知識人が、
余り神経質になって居ない様であるが、鉄道、製鉄、造船、工作機械、スポーツ用
具、娯楽用具、その他の分野では、日本は世界の最先端を驀進して居る様だし、日本
のお得意は、もっと、目に見えたエレクトロニックスの世界だけに限られて居る訳で
はないのである。 それから、商社と言った形態の商業活動も、今の処、日本のそれ
を模倣する事に成功した外国は存在しないのである。 その様に、経済に強い日本の
様な国は、行く行くは、マスコミの世界でも、ある程度、成長、成功せざるを得ない
のではないか。

第二次世界大戦開戦直後の特別な時期以外の場面でも、北米の社会で、反日の感情
がかなり強くなった時期も存在しなかった訳ではない。 その一つの例は、1970年代
前期頃から始まる「日本の“不正”な貿易」に関しての北米のマスコミの大攻勢で
あった。 筆者は、その当時、米国の中部の自動車産業のメッカに近い処とかその近
辺のカナダの都市に居住して居たので、此の問題を身肌をもって感じた。 その一つ
の象徴的な事件は、1982年6月19日に起ったデトロイト市郊外でのVincent Chin氏の
殺害事件であった。 中国系の米国市民が、白人系米国市民によって、誤って、日本
人又は日系人と受け止められ、日本製自動車の北米輸入の問題で、酒場で、口論を始
め、それが暴力沙汰に発展し、酒場の外で殺害されて居るのである。 この事件の裁
判は、1987年迄続き、結局は、加害者は、体刑に処される事もなく、罰金刑に留ま
り、その様な米国政府の司法的取り扱いは、北米在住のアジア系の市民の多くを激怒
させた問題である。 この事件に関しては、今迄に、多くのビデオとか書物が出版さ
れた。 勿論、一部の日系人は、此の様な事件を目撃して、真珠湾攻撃時代の再来で
はないかと恐れた。

その反面、この「不正貿易」論争は、それ以前の「真珠湾攻撃」とは、三つ位の点
で大きく異なって居た。 重要な点なので、説明して見よう。 その一つは、
Vincent Chin事件は、此の種の事件としては、唯一のそれだけの突然異変的な事件で
あったのであって、別に、この様な事件が、米国の自動車工業地帯で、連続的に、頻
繁に、大規模に、起こった訳ではなかった。 此の社会科学的統計的な点が、約
120,000名の日系人と言ったかなり大きな数字の人間の集団を強制収容した1942年の
事件とは本質的に異なって居た。 第二の点は、1970年代とか1980年代になると、所
謂、イヤロー・ジャーナリズムは、大体、米国のマスコミから消滅して行って仕舞っ
て居た。 非常に露骨に大衆の人種差別観に訴える様な、1940年代のハーズト系の様
な新聞論調は、1970年代、1980年代には、北米の言論界から大体姿を消して居た。 
1940年代とは、異なり、1970年代、1980年代には、評論家でWalter Lippmannの様
に、公然と、人種差別的政策を弁護する人は殆ど存在しなくなって居た。  そし
て、第三番目の点は、北米の政治、経済、労働の指導者が、日本のビジネスに現実的
な抜け道選択肢を与えた事であり、それは、日本の自動車工業の対米直接投資であっ
た。 そして、読者の多くの方々がご存知の様に、結果的には、日本の自動車工業
は、此の選択肢を選んだ訳である。 しかも、日本の自動車産業は、北米では現在大
変に成功して居るのである。

日本の対米直接投資と言う“現実”な政策は、GATT-WTOの経済、貿易理論と旨くな
じむものかどうかと言う法律問題は一応別として、今迄の処、“不正貿易”と言う大
衆の不満の爆発を抑える蓋としては、大体、成功して居る様なのだ。 ブッシュ大統
領などは、日本の自動車工業が、彼のお里のテキサスに工場を建設して就職口を開発
して居る事に大変好感を抱いて居る様だ。 ただ、筆者に良く分からない点は、その
“蓋”が、今後、どんな形で吹っ飛ぶのかと言う可能性だ。 少なくとも、日本のト
ヨタの幹部などは、この点に関して、大変神経質の様だ。 何処の国でも、花形産業
の第一位の企業を外国に明渡すは、好まない筈だ。 学問的な経済学の競争の理論
が、“生の”形の人間の伝統的な価値観とか欲望をどの程度まで抑える事が出来るの
かと言う様な設問は、今迄の処、政治学では、あまり徹底的に研究されて来た課題と
は言えそうもない様だ。

此れ迄に述べて来た様々な事柄から明白であろうが、米国とか世界のマスコミは、此
処50年とか100年間に大変に大きな進歩を示した様だ。 その中でも、「ニューヨー
ク・タイムス紙」等の活躍は目覚しい。 米国領土外で、米軍、又は、米軍に協力し
て居る国々によって拘束されて居るイスラム教徒の人権問題に関して、かなり勇敢な
報道を続けて居るし、米国本土内に於ける裁判所の許可のない政府による個人通信の
盗聴の問題等を堂々と報道して居る。 マイケル・ムアー監督の作成した反イラク戦
映画は、米国内でも、どうやら、大衆興行的に成功して居る様だ。 少なくとも、現
在の米国では、全体主義的なマスコミの制限とか抑圧は、目で見える形では実施され
て居ない。 もっと厳密に言うと、事実問題としては、米国社会でのマスコミと政治
の相互関係は複雑だ。 或る意味では、マスコミが政治に影響を与え、ある意味で
は、政治は、マスコミを殆ど無視したり、又、政治は、隠れた形とか巧妙な方式で、
マスコミを操作したりして居るかも知れない。 総括的には、或は、今でも、政治の
方がマスコミより強いのであろうか。 ブッシュ政権のイラク政策は余り米国のマス
コミの影響を受けて居ない様だ。 日本でも、事情はそれ程変わらないのではない
か。 “闇将軍”といわれた田中角栄氏が牛耳った日本の数十年前の政治構造は、文
芸春秋社とかその他の日本のマスコミの大手の大変勇ましい総攻撃を受けたが、それ
にも拘わらず、結局、彼の支配体制は基本的に安泰で、彼の病状の悪化した時点とか
死去して仕舞う時点まで続いた様だ。 そう言う各国に於ける因縁的な「政治」と
「マスコミ」の関係の本質を考えて見ると、米国政府が日系補償の問題に関して、そ
の研究、教育関係の予算に付いて、90%と言う大鉈をふるって、削って仕舞って居る
事は、「人権擁護」と言う「全人類の福祉の促進」の面から考えると、大変残念に思
う。

北米の、そして、世界のマスコミの分野で、日本人とか日系人が、正確に、完全
に、真剣に取り扱われて居ると言う事は、ある意味では、日本人とか日系人に関する
情報が完全に伝えられると言う事であり、その様な形の完全な情報を扱う能力の保持
と言う事になると、その一つの要件は、充分な日本語の操作能力と言う事になるだろ
うか。 筆者は、長年、米国とかカナダの様々な日本研究の組織に末端的に関与して
来たが、ある種の日本研究の組織では、その最高責任者になる人物であっても、殆
ど、日本語能力をち合わせて居ない場合にも遭遇した事もある。 北米の社会は、基
本的に、英語、そして、カナダの一部では仏語、が主な言語で、一般には、それ以外
の外国語の操作能力は、其の人の人材的資格の評価には、余り、問題にならないので
ある。 ただ、その様な人事政策も、ある特別な場面では、問題であるのかも知れな
いのであって、それは、日本の問題を専門に扱う地位の場合である。 その様な限ら
れた特殊な場合に、日本語操作能力を完全に無視する事は非現実的なのである。 グ
レン・フクシマ氏の述懐では、彼が、米国の対日通商交渉組織で働いて居た頃、その
組織の中で、日本語の新聞を読める人は、彼以外に誰も居なかったとの事だ。 他の
場合の日米交渉でも、言語の比較的完全な収得は問題の様だ。 筆者の判断では、米
国は、現在、沖縄を中心として、基地問題で、日本の草の根の一般住民との対話で大
変困って居る様な印象を受ける。 そして、筆者の憶測では、長年、米国の軍隊は、
第一線で、日本の住民と直接接触する責任者に対して、充分な日本語教育とか文化教
養案内を施して来て居なかった様であって、或は、その様な過去の手抜きの蓄積が、
現在の大きなツケとして、回って来て居るのではないか。

もう随分古い話であるが、米国の大将軍が、アジアから帰国し、米国の首府で、
「日本人は十二歳くらいだ」と発言し、大変な話題になった。 しかし、それは、過
去の事で、現在、米国の要人が、本国に帰国し、その様な“不節操な”発言をする様
な事は先ず無いのであろう。 ただ、此処でも、上述した言葉の学習と関連した問題
で、その背後の態度の問題であって、当然の事ながら、言葉の出来る人は、その話相
手に対して、親近感を持って居がちだと言う内情があるから。 それは、言葉を習う
と言う努力と同時に、大抵の場合に、習得の為に、相手に対して好意的な態度の意識
的無意識的実績的蓄積が起るから。 筆者は、長い事、北米の社会に居住した体験が
あるが、時々、欧米人と彼等の対外文化的な感受性の事を深く考えさせられ事もあっ
た。 もっと、具体的には、「王様と私」とか「蝶々夫人」等の筋書きの意義を分析
して見ようとした事もあった。 前者は、タイの王様を主人公とした英国の女性の家
庭教師の物語であって、現在、その米国版の映画は、タイ国内では、発禁になって居
ると言う。 少なくとも、映画では、王様は、お世辞にも、大変上品で高貴な人物と
しては描写されていない。 小生は、「蝶々夫人」を観劇した際に、何か違和感を感
じ、ある程度“これは、非日本的”だと思えてならなかったし、そして、或は、”や
や歪んだ日本文化の解釈“であり、”もしかすると、日本の女性を侮辱している”の
ではないかと思われてならなかった。 尤も、事実問題として、明治以降、イタリア
に音楽留学などして居た日本の女性にとって、現地の舞台で、「蝶々夫人」を演じる
と事は、大変な重要な登用門の様であった。 東洋人とか日本人の文化的反応の問題
は、一応、別として、筆者は、欧米の文化評論の大家が、「この様な出し物を欧米の
娯楽の世界から締め出せ」と熱心に主張したと言う話は今の処聞いて居ない。

一般の欧米人にとって、日本人とか日系人を本当に理解する事は、かなり難しい事
ではないだろうか。 少なくとも、極く最近迄、非欧米人と欧米人との間の基本的な
関係は、理解の方向に関しては、その大部分の責任の重荷は、非欧米人側にあって、
欧米人側には無かった。 詰まり、「非欧米人が、欧米人から欧米人の言語、文化そ
の他を熱心に学び、その結果、日本人とか日系人が、なるべく、忠実に、欧米人見た
いな人間になり切る」事が期待されて居た様だ。 一時は、この様な文化的な努力の
一面を「文明開化」と呼んだのではないか。 筆者は、数十年に亘って、欧米(実
は、北米)社会に住んだ体験があるが、筆者の周囲に居る欧米人から、「筆者から、
一生懸命に日本の事を学ぼう」と言う形で、接近された例は、希であったし、あった
としても、極めた短期間的な断片的なものであった。 その際に示される、日本文化
に対する熱意とか尊敬の念と言うものは、極めて、限られて居た。 一般とか特別の
団体から、日本に関して講演を依頼される事も少なかった。 又、別の表現をして見
ると、日本文化に関しての知識とか研究方法に関して、筆者が個人として、非常に強
く尊敬されて居ると言う個人的な印象を受ける場面は基本的に少なかった。 筆者
は、自分では、日本でかなり立派な教育を受け、その当時、日本に関するほぼ一流の
研究を北米のほぼ一流の学術研究機関で行って居た積りであったが、その研究の最初
の時期は、研究組織上の上司との関係は、殆ど独立的な、最低限の連絡的なものが続
き、研究作業は、筆者がその実態をほぼ全面的に自主的に管理した。 しかし、研究
の後半の時期には、事情が急転回し、研究の内容の余り理解のない人から、かなり高
圧的な干渉を受ける様になった。 詰まり、その後期では、専門家として尊敬され、
効率的に働ける状態と言うものではなく、その逆に、地位的にはかなり低いものに下
げられ、かなり効率の悪い作業状態を押しやられた。

筆者の意見では、大学レベルの高級な研究では、「一般的に、研究者同志の間のお
互いの誠実な尊敬的態度が基本的な土台となるべきである」と言うものであり、その
尊敬的態度の実体は、「研究遂行の為の能力」なのである。 その逆に、それが存在
しない場合には、研究の構造は必然的に脆弱なものであり、崩壊し易いのである。 
そして、その研究の場合には、残念ながら、其の後、崩壊してしまったのである。 
実は、前半の研究環境を、後半も保持したなら、その研究は、簡単に、成功、完了し
たものである。 研究機関内でも、欧米社会の一部には、残念ながら、必ずしも、本
当に、研究能力を持って居るとか、知的に文句無く尊敬出来る管理者が常に存在する
訳ではなのである。 母市は、飛躍するが、1940年代の日米開戦当時に、米国政府
が、日系社会への基本的な対応政策を開発、展開、決定、そして実施して行く際に、
本当に正確に日系社会を理解し得る能力を持って居た様な人物は、実際は、充分に活
用されて居なかったらしいのである。 その当時でも、少数ではあったが、米国政府
内に、日系人全員の強制収容に反対する国家安全保障の専門家も存在した事はほぼ間
違いない様なのである。 話は、更に飛躍するが、現在のブッシュ政権は、その対イ
ラク政策で、同じ様に専門家を尊敬する点で困難に陥っているのではないか。 イラ
ク人であったとしてもそれ以外の人々であったとしても、本当に統治能力の面で、優
れて居る人々を心から尊敬し、活用していないのかも知れないのである。 何か欧米
人の非欧米社会に対する基本的な理解力がある面で相当に欠けて居る様な気がしてな
らない。 2004年5月頃、世界的に話題になったイラクのアブグレブ(Abu Ghraiv)刑
務所での暴行事件等は、その様な基本的な態度の欠陥から生じている「氷山に一角」
に過ぎないのではないか。 何か欧米社会の基礎的な文化的な組織的な問題から発生
しているのではないのか。 

今迄、此の小文で説明して来た様々な事柄を総合して、最終的な結論を出して見ると
すると、日系人とか日本人が北米社会とかもっと広い世界の舞台で、今後、充分に理
解され活用されて行く事はかなり難しい過程の様に思えてならない。 そして、何故
その様に考えるのかと言う事に付いて、此の小文の最後に時点で、二つ程の具体的な
理由を掲げて見たい。 その一つは、米国の最高裁判所は、未だに、判例として、特
定の民族全員の強制収容の違憲性に関して、その解釈を表明して居ない事であり、も
う一つの点は、2003年9月11日直後に施行され、そして、2006年春に延長された「愛
国法」(Patriotic Act)による、米国の全法制度内に於ける人権擁護の弱体化であ
る。 多くの米国の憲法学者の意見によると、米国の最高裁判所は、日系人の強制収
容に関して、幾つかの判例を出して居るのは事実だが、その何れもが、「米国憲法の
特定の条項を引用し、そして、それに基いて、正式に違反であると言う意見は出して
居ない」と言うのである。 詰まり、使って居る理由が、「政府の使った諜報情報が
誤って居たので、命令が誤りであった」と言った様な形もので、強制収容の違憲性本
体そのものには直接触れて居ないのである。 又、別の形の表現を使って説明して見
れば、厳密な憲法学的な考え方としては、今の形の侭では、理論的には、米国の最高
裁判所は、今後、突然に、「憲法の現存の条項にも拘わらず、強制収容は合憲であ
る」と言う判決を出し得る立場にあるのである。 憲法学的に、大変危険な状態なの
である。 

もう一つの点は、「愛国法」であるが、「国家安全保障」と言う「伝家の宝刀」を効
果的に活用して、此の法律は、其れ迄米国に大体存在して居たと考えられる基本的人
権のかなりの面を骨抜きにして居るのである。 しかも、此の法律は、最初に2003年
に可決された時には、議会で、殆ど議論される事もなくアッサリ可決されたものであ
る。 最初は、時限法であったが、2006年春には、その一部は、四年延長され、残り
の部分は恒久化されて居る。 一般に、官憲が民間の個人を逮捕する場合には、裁判
所の命令が必要であって、仮に、現行犯等で、逮捕された場合でも、その容疑者は、
裁判所に出頭して、其処で、判事から、正式に、どのような理由で逮捕されたのか聞
く権利があるのである。 判事から、理由が告げられない場合には、容疑者は、即
時、釈放されなければならないのである。 此の制度は、英米法では、「人身保護
法」(habeas corpus)と呼ばれ、主に、英国で、王様の警察、検察権の悪用を防ぐ為
に発達した制度である。 一部の英米法学者は、「人身保護法」は、英国民主主義体
制に於いて、一番大切な基礎であると迄主張する。 処が、残念ながら、「愛国法」
では、その原理が崩されて居るのである。 詰まり、米国政府は、「国家安全保障」
と言う大義名分の下に、判事からの礼状が無くても、容疑者を逮捕出来るし、正式な
告訴が無くても、ほぼ無期限に拘置出来るのである。 それから、米国の行政府は、
最高裁判所とか「人身保護法」の介入を嫌っての事であろうか、実際の拘置の場所を
なるべく米国領土外を選んで居るのだ。 拘束の対象人物は、民族的宗教的色彩が濃
く、差別的な印象を与える。 しかし、重要な点は、日系人の場合と異なり、今度の
対テロ戦の場合では、個人が対象で、家族全員とか婦女子供は含んで居ない。 勿
論、対テロ戦の場合には、一定の地域に在住する一民族全員の拘束ではない。 米国
の民主党の議員の多くは、此の「愛国法」に反対して居るし、米国の日系の多くの団
体も、此のテロ対策に強く反対して居る。

確かに、総括的には、少数民族の民権に関しては、米国社会では、第二次世界大戦終
了以降、今迄の処、ある程度、又は、大幅な、進歩が認められる様だ。 ただ、その
反面に、逆転して居ると考えられる面も残念ながらある様だ。 民主主義の歴史を勉
強した人なら、直ぐ気の付く事であるが、民主主義体制の保持とか育成の為には、多
くの場合に、弛まざる努力が必要なのだ。 「これで仕事は全部終ったので、これか
ら先は、休めるし、楽になるだろう」と言う形には、「問屋が下ろさない」かもしれ
ない。 北米合衆国は、既に、大変立派な国かもしれないが、別に、100%完全な国で
はないのだ。 北米社会とか世界に於ける日系人、日本人の将来の地位に関してもそ
れ程簡単な政治課題ではないかも知れない。 或は、かなり長い、ある程度の苦悩を
伴なう道になるかも知れない。


以上

日系米人に対する補償: 三つの問題点
東京福祉大学名誉教授 窪田 明
後半、7-12頁、二の二、終わり












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Akira Kubota

権力構造、アメバフログ、3の1、20060227

One out of three, pages 1-8, beginning
権力構造と政治改革: 日米比較
東京福祉大学名誉教授 窪田 明著 
2006・02・27 

日本では、2005年9月11日の郵政民営化総選挙を中心として、小泉内閣の下に、かな
り大規模な政治改革が起った。 少なくとも、筆者の判断よる限り、此の政治変革の
結果、日本の政治の基礎的な権力構造がかなり大きく再編成された。 所謂、党組織
と内閣との間に存在した二重構造が、大体、後者中心の一重構造に変わって仕舞った
のだ。 そして、今回の本稿の主な目的は、米国連邦政府の政治構造と比較しなが
ら、その様なかなり大仕掛けな日本の権力構造の再調整の過程の詳細とか意義に関し
て、やや本格的に再評価して見ようと言うものである。  そして、此処でも、参考
になるとすれば、カナダの政治にも触れよう。

尤も、此れまで、既に、筆者は、日本の政治改革を語る際に、しばしば、米国とか
カナダの政治の実例に付いて触れて来た。 何故、北米の政治と日本の政治を比較す
るのか尋ねられたとすると、その際、考えられる答えの一つは、或は、それは、研究
者としての筆者の無意識的な反応であると言えるかも知れない。 比較と言う事は、
筆者の根底にある基礎的な政治学思想かも知れない。 或は、大体、筆者にとって、
自然に与えられて居るものかも知れない。 長年、北米に住み、北米とか日本で、政
治学を勉強して来たし、そして、北米の政治現象を身近に毎日観察して来て居れば、
或は、そうならざるを得ないと思う。  そう言う形で、「検証・小泉政治改革」
(碧天舎、2004)を書かせて貰ったが、其の後に、“日本の政治改革とカナダの実
例”(http://kubota2006.exblog.jp/)と言う小文も紹介させて貰った。 そして、
今度は、日米の政治を正面から比較しようと言う段取りに入った訳である。 そし
て、今度の場合には、前者の二回の場合に対比して、権力構造に、重点を置いてみよ
う。

それから、日米加政治の比較の為の二つ位のもっと意識的な理由を挙げさせて貰う
とすれば、その一つは、少なくとも、歴史的には、米国とかカナダは、民主主義の面
では、日本の先輩にあたり、或は、現在でも、日本が米国とかカナダから学ぶ事が多
少あるかも知れないと言う基本的姿勢である。 もう一つの研究方法論的な理由は、
異なった国の政治制度を注意深く観察し比較する事によって、一国中心の研究では、
気の付かなかった様な政治の特別な側面が、かなり大きな研究課題として新しく浮上
するかも知れないと言う事である。 その様な形で、一国だけの研究の研究焦点とか
基準だけでは、政治の勉強は、不充分かも知れず、その様な研究とか判断の基礎の調
整の必要性が暫時生ずるかも知れないと言う問題である。 

具体的な一、二の例を挙げて説明して見ると、日本には、議員の間に派閥が存在し、
日本の政党には、政務調査会長と言う様な重要な地位が存在するが、米国とかカナダ
には、その様なものは全然存在せず、従って、何故その様な違いがあるのか言う事が
当然研究上の大きな問題になるのである。 筆者の知る限り、現代の政治学で、この
様な問題を正式に取り上げて居る研究は、比較的に希の様な気がする。 派閥の存在
の理由については、前回のカナダに付いての小文で多少説明したが、或は、一般的
に、日本の社会集団は、「家族主義的傾向」が強い事によるからなのかも知れない。
 親族を除いた場合の人と人の間の結び付きの問題で、その程度が、日本以外の国で
は、日本程強くないと言う事である。 例えば、終身雇用制は、日本程、尊重される
国は、世界に余り無いらしい。 詰まり、議員と議員の個人的な関係では、日本の方
が、外国より強いのである。 何故日本の自民党には政務調査会長と言う様な要職が
有るのかと言うと、日本の自民党は、少なくと、最近迄、国家レベルの基本的な政策
を決めて居たからであるから。 米加の政党は、選挙管理中心で、一般に、政府の政
策問題に日本程、深く介入しないからである。

本題に入る前に、研究の方法論に付いて一言述べさせても貰おう。 第二次世界大
戦後、米国を中心として、世界的に、社会科学の研究では、積極的に、自然科学の研
究方法を取り入られる傾向が強くなった。 所謂、行動科学と言う新しい研究分野が
多くの国でかなり繁栄した。 心理学的実験、対人面接、社会調査と資料の収集とそ
の統計的分析、数学的表現、シミュレーション、コンピューター依存の研究その他で
ある。 筆者は、元々、その様な行動科学の分野で特別な訓練を受けた研究者なので
あるが、少なくとも、筆者の知る限り、今の時点で大体判明している事は、権力構造
と言う様な大きな政治問題に関しては、自然科学的研究方法は、一般的に、完全に効
果的で、意義のある形で適用出来ない様なのである。 国際政治の研究等の場合も大
体同じなのである。 世界の大国間の大きな力関係の研究には、今の処、多くの場合
に、実際的な結果を、余り長く無い時間内に引き出そうとすれば、古典的な研究方式
に頼らざるを得ないのである。 詰まり、高価な測定の器具を使い、データを集め、
其れを統計的に分析すると言う様な行動科学的な形の研究方法ではなく、頭の中で考
えただけの様な分析方法を基礎として行う研究方法なのである。 実際問題として、
多くの国際政治の著名な研究は、現在でも、その様な大体非実証的な分析だけに基ず
く結果が、最終的な結論として引き出されて居るのである。 もっと具体的には、此
の様なものは、ヘンリー・キッシンジャー教授式の研究方法なのである。 

ただ、キッシンジャー式の「古典的な」研究方式には、色々な弱点があり、その一
つは、大量の資料の駆使とか厳密な証拠の立証と言う方法を使わないので、研究者の
間で、完全な同意が得られる様な最終的に確定的な結論が出せないかも知れない事で
ある。 もう一つの点は、一つ、一つの研究上の小さな結論が、其の後、大低、全体
的に、集積出来ないので、長期間に亘って得られた研究結果を全体的に積み上げ、体
系的に拡大して行く事が難しいのである。 一人一人の大学者がお互いの間で、余り
に相互関係のない独立した形で、全然別な体系を築き挙げ続けて居るのかも知れな
い。 或は、一定の時が過ぎると、その様な体系のあるものが、砂上の楼閣に帰して
しまうのかも知れないのである。 

此れに対して、行動科学的研究は、一つ一つの研究題目の規模は比較的小さいものだ
としても、極めて限られて居るものであるとしても、其の分野全体の研究結果は、ど
ちらかと言うと、相互調和的で、集積的なのである。 学者が代わり、役者が代わる
ごとに、零の地点から再出発する必要がないかも知れない。 勿論、そう言う研究を
非常に長い間、続けて行けば、大きな政治問題も、漸時、解決出来る状態に突入する
様になる筈であると言うのが、行動科学信奉者の想定の様なのである。 現在出来な
いとしても、将来は必ず出来るものなので、別に、あくせくして、心配する必要なな
いと言う姿勢の様である。 大きな問題の実例の一つを挙げて見るとすれば、それ
は、2005年9月11日の日本の総選挙の際の小泉内閣の基礎的な選挙作戦案の考案であ
る。 そして、その様な大仕掛けの問題に対する対策は、仮に、勝手に、外部から、
小泉首相とかその側近の当時の考え方を憶測させてもらうとすると、どうやら、行動
科学研究者の様な先端的研究学者の人々の研究結果に頼っては居ないだろうと言うも
のである。 詰まり、「自分達の長年やって来た選挙の実地の経験に基ずく、やや無
体系的な、やや非学問的な、カンによるしか方はないだろう」と言う実践方針であ
る。 少なくとも、筆者の知る限り、全部纏めて見て、行動科学の研究の結果は、未
だ未だ、その様な目の前の現実的な実際的な切実な政治問題の解決の為に、余り役立
つ様なものを創造し得る様な時点には達して居ない様だ。 行動科学的研究は、一般
に、極めて込み入ったものなので、多額な費用がかかり、多量な労力がかかり、その
割りに、比較的少量の結果しか出ない研究なのだ。

さて、本題の権力構造についての分析の仕事に入って行こう。 しかし、其の前
に、権力構造の一つ重要な土台の一つである憲法とかそれに関連した基礎的な問題に
付いて簡単に触れて見よう。 多くの人々が熟知している様に、米国政治では、大統
領制が存在し、連邦議会と行政府は、比較的に相互に独立し、拮抗している。 此れ
に対して、日本の場合には、議院内閣制が存在し、議会の下院(衆議院)の総議員の
過半数の議決で内閣を罷免出来るし、逆に、内閣は、議会の下院をほぼ何時でも、ほ
ぼ勝手に、解散出来ると言う権利を持って居り、此の二者の間には、相互間に、強く
攻撃、反撃出来る微妙な力関係が存在する。 これに対し、米国の場合には、連邦議
会と行政府の間には、相互に、決定的な依存関係は無く、寧ろ相互に独立的で、別々
の選挙過程で選ばれるので、憲法構造的に、どうしても、多少の意見の差が発生し易
いし、しかも、議会の最大多数党と大統領の属する政党が異なる場合には、その間の
調整が大変な事になる。 それから、一般的には、議会に於ける議員間の上下関係は
比較的に弱いものであり、少なくとも、軍隊式の紀律式ではなく、それから、議会内
の党の紀律も、米国の場合には、一般的に、弱い。 日本と異なり、米国では、議会
の外に存在する全国的組織の党本部は、大体、選挙中心的で、議会の本会議とか個々
の委員会の決定に大きな影響を与える事もない。 それから、連邦議会に対して、行
政府内の構造の場合には、かなり事情が異なり、その幹部の間に、もっと明確な上下
関係が存在し、行政府全体の纏まりは比較的良い。 それから、大統領は、一人しか
居ないので、メデアに対する影響力が強い。 少なくとも、メデアを操作すると言う
点では、議会は大統領には一般的に対抗出来ない。 この様な事柄を全部纏めてみる
と、米国では、大統領と議会の関係は、その構造上どうしても、その一部は、二重構
造的の様だ。 米国では、議会と大統領が国家予算を巡って、正面衝突し、予算が通
らない事が有り、その場合には、多くの諸政府機関は閉鎖される。 日本の場合に
は、国家予算が切れた為に、政府が閉鎖されると言う話は聞かない。

米国に対して、日本の場合は、議院内閣制が存在する。 理論的には、日本の「国
会は国権の最高機関」なのである。 従って、民主主義の理念から憶測すると、国会
が一番強い権力を持って居そうである。 しかし、実際の「現実的な政治力学」では
そうではない。 その一つの理由は、国会---そして、他の多くの国の議会---はその
構成員が大抵、数百名から成り、余りに議員の数が多い過ぎて、少なくとも、その本
会議は、余り、効果的な実質的な審議が出来ず、意義のある議決を下す事が物理的に
困難であるからである。 余り人数が多いと、法案の中核的な内容を、意義の或る形
で、充分に審議し、その骨子とか詳細を組織的に纏められないのである。 日本の国
会の本会議の場合は、大抵、万事が、内閣とか与党によって、既に、実質的に、ほぼ
完全に、決められた後に、始めて、それを案件として取り上げ、その内容を殆ど変え
る事がなく、ゴム印を押す様な形で、それを処理して仕舞う。 又、別の説明の仕方
をしてみると、日本の国会では、米国の議会の様に、議会が、生の、そして、大体、
“未完成”の案件をその初期の時点で始めて取り上げ、議会の内部に於いて、其の様
なものを丁寧に検討し、最終的に法案化をしたり、その内容を院内で、大きく修正、
改定、編集して、其の様な“完全化”の後に、初めて、議会の本会議に提出すると言
う訳ではないのである。 

此の点、列国の議会の内でも、米国の連邦議会の立場は比較的強い。 相対的に明確
な三権分立制の下の米国では、白亜館の一部又はその延長として、予算を正式に編纂
する機構が存在するが、それ以外に、議会の中にも、又、別個の予算局が二重の形で
存在し、議会は、大統領の作成した“完成した筈”の予算案を、受け取り次第に、特
に、遠慮する事もなく、大胆に、再編成して仕舞うし、最終的には、かなり別の形の
予算案を議会の下院と上院が可決して仕舞うのである。 予算に関して、日本の国会
はそんな独立的な権力は持って居ないのである。 何処の国でも、予算は、議会が扱
う項目としては、大変重要な項目なのである。 その様な重要な案件に関して、日米
の国家レベルの議会の持つ実質的権力は相当に異なる。 尤も、此の点に関し、政党
の役割の問題は、又、別の事項で、日本の与党の場合は、多分世界的に例外的で、米
国を其れとは大きく異なり、予算に関して、かっての小泉内閣以前の時代では、与党
は、相当の影響力を持って居た。 

日本の野党は、最近、乱闘とか審議拒否と言った様な極端な戦術を余り使わなくなっ
て仕舞ったが、その様な無理な戦術に訴えざるを得なかった一つの実態的な理由が、
日本の国会の本会議の審議の実質的な無意義さなのである。 「話の内容」は、
「家」に着く前に、殆ど全部決まって仕舞って居り、「国権の最高機関」にとって、
あまりする実質的な仕事は残って居ないのである。 此れに対し、米国の議会は、比
較的に、日本の議会より力を持って居り、時には、大統領に対抗しようとするが、そ
れでも、本会議の力はどちらと言うと、議員の数の問題で限られて居り、逆に、委員
会の方が、そして、特に、委員会の委員長の方が、相当に力がある事があるのだ。 
米国では、上院議員の総数は僅か100名であって、一議院としては、比較的に少な
く、その様な事が一つの理由で、一般に、上院の方が、下院より、政治的に効果的
で、相対的に政治権力が大きい。

カナダでは、日本と同じ様に、議院内閣制で、その様な理由で、カナダの連邦議会
の権力は、その限界がかなり明白であると言う意味で、日本の国会の場合とそれ程大
きくは、変わらない。 しかし、事が、党の果たす役割と言う事なると、カナダと日
本は相当に異なる。 カナダの場合には、党の役割は、大体、総選挙、党総裁選挙そ
してその他の選挙を旨く運営し、候補者の世話をする事であって、日本の様に、党
が、組閣人事、その他の重要な政策立案の過程に実質的に参加する事はない。 日本
では、小泉内閣以前では、大体、その様な事は、主に、党の派閥を通して為されて居
た。 カナダでは、組閣とか主な政策の立案は、大体、内閣とか、又は、少数内閣の
場合には、それを支持する他の与党の議員との間の協議によって決まる。 与党の役
割に関しては、大統領制の米国の場合でも、カナダの場合とほぼ同じである。 興味
ある点は、憲法的にどうであっても、議院内閣制であっても、大統領制であっても、
米加の党の閣僚人事とか基本政策に関しての役割は極めて限られて居る事である。 
どうやら、憲法的な基礎権力構造に関係なく、日本の政党制度は、国際的に顕著に異
なる様だ。 

尤も、此処で党と言う場合に、全国的な組織を持ち、原則として、議会の外に存在す
る政党を指す。 便宜上、一応、此の組織を、選挙党とか選挙管理党と呼ばせて貰お
う。 それ以外に、議会の内部の個々の院の中とか委員会の中にも、もっと小さな党
組織が存在する。 便宜上、後者を議会党と呼ばせて貰おう。 此の二者を区別する
一つの目安は、後者で投票出来る党員は、議員だけに限られて居るのに対し、前者で
は、投票者は、議員以外の役員とか一般党員も含み、米国とかカナダでは、一般に、
その大多数は非議員である。 議会党の管轄は、通常、議会内にしか及ばないので、
此処では、議員以外の人に投票させても意味がないのである。 この議会党の場合
は、米国では、議会の中の各院の本会議とか各院の様々な委員会に於ける投票の際
に、党の紀律に関して重要な役割を果たす。 しかし、此の後者の立場は、派閥の存
在とかその他の理由の為に、日米間では、多少の差が存在する。 米国では、議会の
党派的な影響力は、党本部と言うよりも、議会内的で、院内総務とかその他の院内の
党幹部から発祥する。 これに対して、日本の場合には、国会内の党幹部は、独立し
た影響力を持たず、国会内の党は、その国会内の行動に関して、外部の党組織又は派
閥の影響下にある。  と言う事は、与党の中央本部の権力は、日本の方が、米国よ
りも強い。  米国では、憲法的に、三権分立と言う土台があり、恐らく、その分裂
的な権力の土台の為に、党内の権力関係を一元化する事が難しい様だ。 尤も、同じ
議院内閣制であっても、そして、三権分立的でなくても、カナダの場合には、その選
挙党と議会党の権力関係の基本的構造は、日本型より、米国型に近い。

さて、本題の小泉政治改革の分析の作業に入らせて貰おう。 筆者の判断では、此
れ迄の時点で、詰まり、2001年4月に、小泉純一郎氏が、内閣総理大臣に就任してか
ら、2006年春迄の約5年間の期間のうちで、小泉内閣が達成した政治改革の多くの成
果の中で、一つの大きな面は、日本の政治権力の一元化の達成である。 其れ迄は、
二重構造が存在し、小泉内閣成立後、そして、特に、2005年9月11日郵政民営化総選
挙の結果、それが大体一重化に変革された。 便宜上、前者を田中角栄構造方式と呼
ばせて貰おう。 と言うのは、田中角栄氏の全盛時代に君臨した制度なのであるか
ら。 此の田中構造方式の下では、一応、首相とか内閣がある程度の権力を持って居
たが、それでも、多くの問題に関して、最終的には、与党の派閥の承認が必要であっ
た。 重要な決定は、与党の政務調査会とか総務会の満場一致の可決が必要なので
あって、其処での可決は、大体、派閥の連合が抑えて居り、首相の一存だけでは完了
しなかった。 田中角栄氏は、最後には、与党から離党し、行政府での職も持たない
一国会議員の地位に留まったのに過ぎなかったが、それでも、派閥を通して、国単位
の重大な政策決定を影響し得る異常な能力を持っていた。 詰まり、首相でも大臣で
もない一個人の政治家が、「闇将軍」として、現役の首相に対抗し、国家的レベル
で、怱々たる影響力を行使して居り、そして、その当時の日本の権力構造は、内閣と
党の二重権力制であった。 

一部の外人記者が、“日本には「政府」とか「国家」が存在しない”と批判して居た
が、その様な苦情の実質は、或は、此の二重性に基ずく、権力行使の混乱状態を指す
のかも知れない。 判り難い混乱した政治状況であり、そして、特に、語学に限界の
ある外国の記者とか学者にとっては、かなり理解困難な状態であろう。 英語的な表
現を借りるとすれば、この様な政治権力的な実態状況は、「非憲法的」
(unconstitutional)と迄は言えなとしても、「脱憲法的」
(extra-constitutional)であると言えるのではないか。 少なくとも、憲法的とか
民主主義の理念の上から判断すると、完全に正常とか健全な状態ではない。 

其の後、日本の自民党の派閥は、その多くの権力を失った。 従って、日本の権力構
造は、大体一元的になった。  大きく分けて、派閥は三つ位の重要な機能を田中構
造方式時代には果たして居た。 その第一は、閣僚の選任、第二は、政治資金の調
達、そして、第三番目は、国家の主要な政策の決定であった。 その様な三種の過程
で、首相は、ある程度の指導力を発揮したが、それは、既に、決められた選択肢の中
で、一つの最終案の選定とかその修正、調整の作業の様な形のものが多く、ブロー
カー的で、仲裁者の様なものであった。 閣僚の最終人選は、派閥の提出したリスト
の中から首相が最終的に選択すると言う形であった。 少なくとも、勇ましく、皆の
先頭に立って、全体を引っ張って行く様な形の強い指導者ではなかった。 その当時
の日本の税制は、政府と党が二重の委員会制を通して、取り扱って居り、最終的決定
は、大体、党の委員会側が下した。 勿論、必要があれば、或は、一定の事情の下で
は、派閥とか派閥の領袖は、現役の首相を罷免し追い出す権力を持って居た。 小泉
権力構造方式の下ではでは、閣僚の選任は、2001年4月以降は、既に、大体、小泉氏
の個人的な独断で処理されて居り、政治資金---そして、特に,、選挙運動費用---の
大部分は、現在では、国庫によって賄われ、そして、重要な政策問題は、閣議とか経
済財政諮問会議で処理されて居る。 此の後者の両組織の人選は、小泉氏一人によっ
て為されて居り、此の両組織の議長は、小泉氏なのである。 現在では、派閥の威力
は急激に没落して居り、与党の政務調査会とか総務会は、殆ど、派閥の影響下から脱
し仕舞い、党総裁の小泉氏の直接影響下にある様なのである。

詰まり、少なくとも、2005年9月11日以降の時点では、日本の政治は、権力構造の面
では、同じ議院内閣制であるカナダの場合と余り異ならなくなって仕舞ったのであ
る。 小生の判断する限り、カナダの政治権力構造は、大体、常に、一重的なのであ
る。 尤も、日本の政治構造が、完全にカナダのそれと同じになって仕舞ったのかと
言うと、必ずしもそうでもない。 自民党の派閥は、完全に消滅された訳ではない。
 綿貫民輔と亀井静香の両氏の属する派閥は、総選挙の公認の過程の際に、大変激烈
な打撃を受けたが、森 喜朗氏の派閥は、大体、安泰の様である。 未だ、政務調査
会長とかその他の党の重要な地位は今でも残って居る。 加藤紘一、山崎 拓、古賀
 誠等の諸氏は、郵政民営化総選挙後でも、様々な形で、小泉氏に挑戦する様な政治
的見解を発表して居る。 それから、引退した長老で、中曽根康弘、宮沢喜一の両氏
も、小泉政治手法に、特に、感激して居て絶賛して居る訳ではない様だ。 大きな改
革の後には、ほぼ必然的に、多少の全社会的な底力的な反動が遅かれ早かれ出現す
る。 ローマは一日では建設出来ない。 現在、カナダの大政党には、派閥は存在し
ないし、それから、政務調査会長の様な要職も存在しない。 此の面で、現在、日本
がカナダから学ぶ事があるとすれば、それは、日本の政治が、再度、二重構造の田中
権力構造方式に、転落、逆転する事を防ぐ事であろう。  

筆者の意見によれば、日本の永田町政治の権力の一重化は、日本の近代政治史上かな
り重要な事項であると言う事である。 三つ位の理由が挙げられるであろう。 その
一つは、組閣の人事に関しての党とか派閥の関与は、民主主義とか政府の効率と言う
面から考えると恐らく、不要であり、害のある事であろう。 内閣の目的は、個々の
大臣の在籍中に一定の顕著な業績を挙げる事であろうし、その様な目的達成の為に、
総理大臣自身による候補者の資質、経験、党派的忠誠度の判断が多分最も適当であっ
て、かって、日本で行われて居た様な派閥のバランスを考え、年功中心の盥回し式の
人事は不適等であろう。 第二には、他の国には、存在しない様な余計な別個の大仕
掛けの党内の私的な政策審議の過程を設立すると言う事は、政治献金を絡んだ特別利
権の介入の可能性を増大し、政策立案過程が、更に歪曲される可能がある。 党の政
務調査会を中心としての政策調整活動は、その多くの面で、所謂「族議員」を養成し
腐敗の温床になりがちである。 恐らく、多くの利益団体にとって、個人的な議員と
折衝とか行政府の各省構造を通しての政策調整作業で、大体、充分の筈である。 そ
の様な入力の多くは、通常、次官会議等を通して、内閣に昇って来るのである。 最
後に、第三の理由としては、田中角栄氏の場合に実際起った様に、脱憲法的な政府構
造を作り上げ、多分、民主主義の常道から逸脱して仕舞う恐れがある事である。

勿論、日米加と言う比較基盤を研究作業上に首尾一貫して維持するとすれば、研究上
考えられる多くの質問の大部分は、限られた時間内では、未処理で、未回答の侭に
残ってしまうだろう。 具体的な質問の幾つかを此処に列挙して見よう。 党関係に
搾ったとしても、相当数考えられる。 何故日本には議員の間に派閥が存在し、米国
とかカナダのそれには存在しないのか。 派閥は一体どう形で定義したら良いか。 
何故、日本の与野党には、総裁以外に、幹事長、総務会長、そして、政務調査会長と
言った要職が存在し、又、逆に、米国とかカナダの場合にはその様なものは存在しな
いのか。 それから、既に、指摘した命題であるが、日本の場合に、米加と異なり、
何故、与党が、組閣とか国の基本的な政策立案に直接関与して来たのか。 こう言っ
た違いを注意深く考慮に入れて、日米加の政党を比較して見たするとすると、一体、
日本の政党は、米国とかカナダの政党に比べて、より近代的で、より民主的なのか。
 或は、その逆なのか。 この様な政党の様々な特質に関して、日本の政治を更に改
革する必要があるのか否か。

(続く)
権力構造と政治改革: 日米比較
One out of three, ending, pages 1-8






Please use two different e-mail addresses when you send me important
messages. Examples of such addresses are: akubota@uwindsor.ca and
a_kubota@hotmail.com

Akira Kubota

権力構造、アメバブログ、20060227

(続く)
権力構造と政治改革: 日米比較
Two out of three, beginning, pages 8-16


その様な問題を回答する前に、政党の本質を簡単に考えて見よう。 政党の、そし
て、特に、大きな政党の主な目的は、大体、何処の国でも、政権又は政治権力の獲得
であり、その為には、民主主義の下では、選挙に勝つ事であり、そして、選挙に勝つ
為には、有能な人材を集めたり、政治資金を充分に集めたり、無償奉仕者を集めたり
し、効果的な選挙運動を行い、出来だけ多くの選挙民の支持を獲得する事である。 
政党の役割として、その点迄は、米加日は皆同じであるが、小泉内閣以前の時代に
は、日本の自民党の場合には、米加の政党の場合とは異なり、それ以外に、組閣の人
事とか政府の政策立案に、かなり顕著に参加して来た。  米国の二大政党の大統領
指名全国大会では、通常、綱領は一応審議され、そして、それは最後に正式に、採択
されるが、一般的に、此の様な綱領は、間もなく出現する予定の新しい政権を束縛す
るものではないと一般の政治家、メデア関係者、そして政治学者から見なされて居
る。

日本の場合に、政党が、選挙以外の事柄---詰まり、政党に直接関係のない事柄であ
る内閣の人事とか国の政策---に積極的に関与すると言う意味では、田中権力構造方
式の下の日本政治の実質的内容は、意外な事に、共産党のそれに多少なりとも似て居
たのである。 尤も、自民党のコチコチの反共主義者の大政治家にとっては、その様
な描写は完全に受け入れられないものであろう。 政党が、学校、病院、工場その他
の一般的な社会組織等の内部の問題に、介入すると言う政治体制は、共産主義諸国共
通の基本的な現象であったし、少なくとも、行政府に関してのみの、非常に限られて
た形の関与ではあったのが、日本の田中権力構造方式の特徴でもあったのである。 
その様な意味で、弱い形ではあるが、日本の与党の政治的影響力は、共産主義型の方
向への若干ずれて居た。 少なくとも、その点では、大体、選挙だけを中心として居
る米加の形の政党とは明らかに異なって居た。 それから、 現在の中国では、共産
党の国民生活への直接関与は、近年、顕著に削減されて来たが、それでも全然消滅し
た訳ではない。 背後に於いてとか、潜在的には、中国社会では、共産党の権力は、
未だ、相当に残って居る様だ。

政党が、人材を集める為の努力をすると言う事は、既に、述べたが、その際に、政党
が一般的に行う指導者登用過程の一つの重要な行為は、「指名」(又は、日本の政治
用語では、「公認」)である。  選挙の際に於ける、共倒れを防ぎ、票の集中化に
よる効果な勝利の獲得を狙う為に、党が公式に支持する候補者を絞る行為であり、小
選挙区制の場合には、個々の選挙区に於いて、一人の特定の候補者だけを公式に後援
すると正式に決定する事なのである。 政党自体は私的な団体であったとしても、そ
の様な「公認」行為自体は、選挙管理委員会とかその他の公共の団体によって、公式
に認められて居り、多くの国では、支持政党の名前は投ずる投票用紙とかその他の投
票所の中で容易に注目出来る場所に明記されて居るのである。 立候補する政治家に
とって、公認は極めて重要な政治的要素である。 公認される事によって、一定数の
票がほぼ自動的に集まって来るのであり、その上に、個人の支持票を積み上げる事に
よって、選挙での最終的な当選はかなり楽になって仕舞うのである。 その逆に、万
一、公認が取れないとすると、かなり人気のある政治家の場合であっても、落選する
かも知れないのである。 2005年9月の小泉「劇場」総選挙では、造反した自民党の
議員は、皆全員、党からの公認を得られなかったのであり、その多くが、落選して仕
舞ったのは、我々の記憶に新しい。 その際、造反議員の配分が、派閥構造に繋がっ
て居たので、その結果、日本の派閥制度に、大変大きな打撃を与えたのであった。 
又、公認の政治的意義の問題に戻ると、選挙区によっては、一定の党に対する支持地
盤が非常に強固な事もあり、その様な場合には、其の党が殆ど誰を公認しても、其の
人は殆ど確実に当選するかも知れないのである。

日米加の政治では、共に、立候補者にとって、政党の指名(又は公認)が、彼または
彼女の政治生命にとって、極めて重要な事項である言う点では、共通なのである。 
それから、此の三国で、大政党は皆、総選挙をひかえて、候補者を指名すると言う作
業を全国的に必ず完了すると言う点でも、お互いに、共通して居るのである。 しか
し、興味深い点では、日米加で、その指名される候補者を選ぶ具体的な手続きな方式
が顕著に異なるのである。 或は、その様な選出方法の決定的な差が、此の三国の政
治文化の差を顕著に表して居るのかも知れない。 新人の候補者にとって、大政党に
よる指名を得る事は、新めて議員になる為の全作業の半分位かそれ以上のものを達成
した事になるかも知れない様な其の人の政治歴にとって大変重要な過程なのである。
 そして、その過程が、日米加の三国の間で相当に異なるのである。

具体的には、米国の場合には、該当選挙区の通常の投票場を使って、一般党員全員に
よる選挙の方法又は該当選挙区に於いて開かれる特別な党大会に於ける一般党員全員
による選挙の方法である。 前者は、予備選挙(primary)と呼ばれ、後者は、党大会
(party convention)と呼ばれる。 そして、カナダの場合では、後者のみが使われ
る。 最後に日本の場合は、大体、主に、該当選挙区に於ける「地方の有力者」の非
公式な決定なのである。 即ち、米国の一部の選挙区に於いては、本当の総選挙の前
に、もう一度、個々の党内で、正式な党支持の候補者を決める為の全党員による選挙
が行われるのである。 此の場合、党自体は私的なものであっても、予備選挙の費用
は、一般に国民又は州民の税金で賄われる。 それから、米国では、大統領指名の為
の全国党大会に出席する代議員が選挙で選ばれる場合があり、此の場合でも、その様
な選挙も、又、「予備選挙」と呼ばれて居るが、此の場合には、直接関係して居るの
は、大会に出席する代議員の確定行為であって、大統領候補自身の指名行為自体では
ない。 もっとも、代議員の一部は、自分達が選出される際に、全国大会場での最終
的な行為として、どの大統領候補に投票するかと言う事を前もって明言している人々
も居る。 そう言う約束が前もって必要な州の場合もある。 米国の二大政党の大統
領選挙候補者指名大会に関する規則は極めて複雑で、その詳細は、此処では、簡単に
は説明出来ないが、総括的には、実質問題として、大体、大会の開催の大抵数ヶ月前
から、ほぼ確定的に、大会での最終投票結果が予測出来て居る。

米国の一部と、そして、カナダでは全国的に、党の候補者指名の為には、その該当選
挙区で、特別な党大会が開かれ、其の地区に住む其の党に属する人々は全部が招か
れ、其の大会で、一人又はそれ以上の数の候補者が指名を受ける為に立候補し、秘密
投票をして、その中の一人を党の正式な党の候補者として、選出する。 米加では、
原則として、小選挙区制しか存在しない。 一般の選挙の場合では、学校区域等を
使って、一つの選挙区に、複数の投票所が存在し、近所であるので、出頭し易いが、
党大会は、一選挙区で、一箇所のみで開かれるせいか、「予備選挙」に比べると「選
挙区党大会」の出席者の数は少ない。 前者に比べると後者の方が、政治に本当に関
心のある人がのみ多く出席し、その質は、比較的に、政治エリート的である。 尤
も、規則的には、党員であれが、誰でも同じ価値の一票を投ずる事が出来る。 一般
に、米加では、党員になる事は、極めて簡単である。 日本の自民党の様に、其の前
に間違いなく二年連続して、党費を納めたと言う様な厳格な基準は適用されない。 
詰まり、少なくとも、一部の米加の選挙区では、即席党員も可能なのである。 党費
を始めて払って、その場で、即時に、党大会に堂々と通常党員として参加する事も可
能なのである。 

カルフォルニア州の予備選挙等の場合で、少なくとも、一時可能であった方式は、勿
論、党費など一度も治めた事が無く、全然、党に関係の無かった人が、突然、始め
て、予備選挙投票所に出頭し、投票機械の前に立ち、共和党か民主党のどちらかのレ
バーをやや恣意的に勝手に引き、其処で出て来る候補者の一人を気軽に適当に選ん
で、其の人に一票を投ずる事が可能であった。 日本と異なり、政治参加過程が、極
めて開放的に設立されて居るのである。 どの民主主義国でも、平均人は、政治には
余り関心を余り持って居ない様だし、そして、特に、自分の財布から、相当額を定期
的な形で出して、党費を納めると言う様な行為は、かなり面倒だし、とちらかと言う
と苦痛なのである。 もっと簡単に言うと、そう言う事は、大多数の市民はしないの
である。 米国の予備選挙は、その様な「草の根」的な大衆の政治的特徴を充分に考
慮に入れて設計されて居り、ある意味では、極めて民主的なのである。  又、別の
日本的な評価をすると、手続が全体的に、極めてズサンなのである。 本当は我々の
仲間(詰まり、党員)かどうかあまりはっきり分からない人物でも“ウチ”の行事に
かなり気前良く参加させるのである。 日本の場合には、どちらかと言うとその逆
で、党員の資格その他がかなり厳密に審査され、万事キチンとやり、“他人”見たい
な感じのする人は、容易に、“ウチ”の中に入れて呉れないのである。 少なくと
も、日本の社会では、比較的に、家族(本社員)と非家族(臨時)の区別がかなり厳
格で、2006年初めに、自民党の幹部の一部が、予備選挙を導入する事にかなり強く反
対したのも、どうやら、その一つの理由は、「“ウチ”の中だけで、選挙をやれば良
い」と言う考え方が根拠らしい。 そして、その“ウチ”とは国会議員団が過半数を
占め、且つ、圧倒的な地位を保つ或る集団の事なのかも知れない。

日本の場合には、党の公認の過程は、実際は、多少複雑だが、多くの場合に、実質的
には、大体、該当選挙区内で活躍する政治の有力者の合議によって決まるようだ。 
此の場合に、所謂、日本の古典的な「話し合い」と言う形で決まり、投票用紙を使っ
た正式な無記名投票選挙の形は取らない様だ。 自民党の党則によると、総選挙の前
に、党の本部に、公認の仕事を担当する専門の委員会が作られ、其の作業過程は、勿
論、党の役員によってかなり影響される。 田中権力構造方式の時代には、派閥の公
認作業に対する影響力がかなり強かった。 公認授与過程自体が、将来の個々の派閥
の大きさに大きく影響するので、現実な生残りの問題として、派閥は、公認作業に、
少なくとも、非公式に、参与せざるを得なかった。 しかし、最終的には、該当選挙
区の有力者の効果的な支持実体が存在し無いと選挙に勝てないので、自民党の中央党
本部は、地方からの推薦を、大体、其の侭受け入れる様な事が多かった。 田中角栄
氏等は、派閥の力を利用して、自分の支配化にある候補者の公認取得を強く押したか
も知れないが、其れと同時に、田中氏の優れた政治才能は、日本の地方の個々の選挙
区の事情に、驚く程通じて居た事であり、その様な地方の政治家とも直接的な交流関
係を保ち、個々の選挙区自体にも、相当の直接的な影響力を持って居た。 

地方の政治有力者と言うと、県会議員、市町村長、その他の名士、大実業家とか大
地主等と言う事にでもなろうが、数の関係とか、ほぼ常時に政治関係で、一緒に仕事
をして居ると言う事情によるのであろうか、県会議員等が衆議院議員候補者の公認過
程に相当の大きな役割を果たして居る様だ。 候補者が、国会議員に当選した後、又
は、それ以前でも、日本の多くの場合に、その候補者の為に作られる「派閥」には、
かなり忠誠心の高い一群の県会議員が正式に加入して居る様だ。 米加と異なり、日
本の自民党の平均的な一般党員は、候補者の公認の過程には殆ど参加して居ない。 
此れに対して、自民党の総裁選の場合には、平均的な党員も参加して居るが、彼等の
投ずる一票の荷重は、国会議員の投ずる一票の荷重の少なくとも約1000分の1とかそ
れ以下なのである。 党則にそれに必要な計算方法がかなり詳細に記述されて居るの
である。 一党員が、現在、自分が選挙で選ばれた一定の公職に就いているか否かに
よって、彼又は彼女の投ずる一票の重要性がかなり大きく変わると言う形の選挙制度
を使用して居ると言う話は、米加の政党では先ず聞かない。

党の支持候補者指名過程に、選挙制を適用する方式、詰まり、予備選挙制度は、米国
のウイスコンシン州で、1903年に始めて、導入された。 その理由として、一般的に
使われている説明の一つは、「決定過程を、(多分葉巻の煙に満ちた(多分狭い)部
屋に集まった(多分少数の)政治ボスの手からから取り上げて、もっと広い部屋で、
キレイな空気の下に持って行き、“草の根”の人民の手に渡す」と言うものである。
 米国の古い政治漫画を見ると、大抵、“政治ボス“と言うと、中高年で、頭が半分
位剥げて居り、多少太って居り、下腹が出張って居り、葉巻を吸って居る様な格好の
人物である。 別の日本語的な表現を使うと、”政治屋“さんと言う事にでもなろう
か。 そう言う古い時代的な、やや反民主主義的な政治のヤリテから、次の連邦議会
の議員を選ぶ過程の一つの急所の支配権を取り上げて、もっと民主主義的な過程に改
定して、平均的な一般人民の処に届けようと言うものである。 それ以来、米国で
は、予備選挙制度は、順調に成長して来て居り、全部の党の指名の過程に於いて使わ
れて居る訳ではないが、かなり広く使われて居り、とうやら、大体成功した政治慣行
と言えるのではないか。 米国で、現在使われて居る主なもう一つの党の指名過程の
方法は、既に述べた様に、特別の党大会での選挙による議決によるものである。 い
ずれにしても、現在の米国では、”少数の政治ボス“による指名決定方式は、は殆ど
使われて居ない様だ。 又、現在の予備選挙制度とか党大会制度を破棄して、又、元
の”少数の政治ボス“による指名決定方式に戻そうと言う様な動きの話も余り聞かな
い。

カナダの場合には、党による候補者支持指名の過程は、全部、党大会方式による様
で、カナダでは、現在、予備選挙制度は使われて居ない。 筆者にとっては、此の米
加の違いは、大変意義ある特徴と思われてならない。 或は、この様なカナダの意識
的な政治的選択は、カナダ市民による彼等の独自性な対外的主張の一例なのかもしれ
ない。 詰まり、カナダの言わんとして居る事は、「我々カナダは何でもかんでも、
米国の真似をする訳ではありませんよ」と言う宣言なのかも知れない。 何処の国で
も、ある程度の自国に対する誇りは持って居り、殆どの面で、他の大国と同一視され
てはたまらないと思って居る様だ。 一方では、現実的に、米国文化の大変強力な影
響下に住み、多くの面で圧倒され、どうにもならない状態にある様なのである。 米
国の映画、TV、その他の大衆文化のカナダへの影響は強い。 カナダで、連邦政治
での党の総裁を選ぶ過程は、米国で、大政党が、大統領候補を指名する過程とかなり
良く似て居る。 其の反面、カナダでは、それに反抗する底辺の流れも同時にある様
だ。 カナダの連邦議会の下院の議席の配分は、極めて、英国式で、米国のそれと
は、非常に異なる。 「権利章典」の内容は、米加の間でそれ程変わらないが、其の
正式な名前は、カナダではcharter of rightsであるが、米国ではbill of rightsで
ある。 日本語の「姉妹都市」は、カナダ英語に訳されると、twin city となり、米
国英語では、 sister cityと言う事になる。 又、話を党の指名の問題に戻すと、
「政治のボスによる取引」方法が、最早、使われて居ないと言う意味では、米加は、
同じ政治的な立場にある。 ただ、予備選挙を重視するという点で、米国の方が、よ
り民主的なのか。 カナダの方が、「ドブ板」を避けて、多少の高貴制を保とうとし
て居るのか。

上記の日米加の三国の例を纏めて見ると、指名に関しては、次の様な形に要約できる
のか。 米国では、多くの場合に、予備選挙の形が使われ、一般党員の相当数が参加
出来るので、最も民主主義的で、カナダの党大会方式は、一般党員は、仮に、全員と
か大多数でなくても、少なくとも、高い関心を持って居る少数の人々は殆ど参加出来
るので、其の次に民主的で、日本の場合には、指名過程の参加者が、政治のボスに限
られているので、最も非民主主義的であり、此の三国のうちで、大衆参加の点では、
最下位と言う事になる。 多くの米国人とかカナダ人が、此の点の実情を充分説明し
てもらったとすると、この様な比較分析の結果に賛成するのではないかと思う。 尤
も、党の指名と言った様な政治過程に焦点を当てた日米加政治の比較件研究の文献
は、英文でも、日本文でも、極めて少ないので、此処で述べる様な大衆的判断の仕方
に付いての記述は、大体、筆者の憶測にしか過ぎない。

ただ、筆者の此の点に関しての予感を此処で紹介させて貰うとすれば、上記の様な暫
定的な説明に対して、一部の自民党の幹部等からは強い反対論が出されるかも知れな
いと言う事だ。 そして、その様な論調の主な点は、次の様なものかも知れない。 
地方の政治エリートの県会議員等は、多くの場合に、選挙で正式に選はれた人々であ
り、従って、その様な人々は、一般党員の少なくとも数千人位に理論的に代わる立場
に居る人々であって、その様な代表者だけで候補者を指名する事は、民主主義の理屈
の上では、特に問題はないのだ。 それから、自民党の総裁選挙で、一般党員と国会
議員との間の一対数千の荷重の差は、後者は、選挙で、少なくとも、数万票の票を得
て居る事実を考えて見ると、別に不思議な事ではない。  実際問題として、日本の
政治では、自民党の内部の討議としても、野党の与党に対する党派的な攻撃の形とし
ても、この様な間接選挙と荷重値の大きな差の問題に関して、余り、活発な論争は
起っていない様なのだ。 どうやら、日本の大政治家とか知識人にとって、この様な
代表権とか間接選挙の問題は、余り大きな議論の対象にはなって居ないらしい。

しかし、筆者の憶測では、この様な問題は、或は、日本の政治の将来の一定の時点で
は、避けて通る事が出来ない問題に発展するかも知れないと言うものである。 其の
一つの理由は、日本国内でも国際化進むと、対米対加政治比較が避け難い知的課題と
なるかも知れず、日本だけの特有な政治慣行を独断的に固守する事はますます難しく
なる可能性の問題だ。 もっと具体的には、数百年に亘る米加の政治史は、その一面
では、政治決定権の上部構造から下部構造への移転の過程であり、政治権力をなるべ
く「草の根」の方向に持って来た継続的な努力なのである。 間接選挙の一つの弱み
は、比較的に人民から離れた第二段階のレベルとかその他の高いレベルの別個の決定
過程が存在する事で、再度の別の決定が行われる事で、最底辺に存続する人民の側に
取って見れば、その第二段階とか其の後の高段階の際に、ある程度の「裏切り」が行
われて居るのではないのかと言う疑いが生ずる事なのである。 米国の連邦議会での
議決は、人民側から解釈すると、その様な再決定一例であるが、恐らく、その様な理
由によるのであろうが、米国の世論調査の結果を調べると、連邦議員の一般米国選挙
民の間の評判は極めて低いのである。 日本でも、国会議員に対して、大変皮肉な態
度を持った人々は相当多数存在する。 田中角栄氏以外の人でも、選挙民から疑いの
目で見られている大政治家は相当数居る。 日本の国会議員の中でも、相当数が実際
逮捕されたり、刑事事件に引き掛かったりして居る。 恐らく同じ様な理由であろう
が、米国では、政治過程全体を通して、間接選挙方法が、歴史的に、徐々に、直接選
挙方法によって取替えられて来て居るのである。 その様な変遷の典型的な例の一つ
が大統領の選出方法であって、現在でも、形式的には、手続き的には、間接選挙の形
を留めて居るのであるが、実質的には、既に、直接選挙になって仕舞っていると殆ど
の専門家が認めて居る。

それから、間接選挙から直接選挙への進展の必要性の問題は、それと共に、エリート
と大衆の間の交歓の質の向上の問題にも関係して居る。 高いレベルの政治家と一般
大衆との間の相互関係が深まり、政治過程がダイナミックになり、それに伴う政治の
民主化の過程の質的な向上があるのである。 日本の政治用語を使うとすれば、「劇
場政治」と迄は言えないとしても、大衆を政治過程に引きずり込む事により、政治
が、単に、理念的とか哲学的なものではなく、抽象的なものでなく、生きたものとな
り、其処で創造される大衆のエネルギーが、政治指導者を強く支え、政治改革全体を
更に強く推し進めて行く原動力になるのである。 米国とかカナダで、過去、成功し
た大政治家の多くがその様な資質をもって居たと言うのが筆者の意見なのである。 
現在の日本の自民党の一部の幹部は、その国会議員団の中にのみに、その政治権力を
恩存し、制約しようと考えているのかも知れないが、(そして、その理由で、予備選
挙制に反対して居るのであるのかもしれないが)それは、長い目では、誤りであろ
う。 権力をエリート側に限定し、固執する方針を出来るだけ避け、その逆に、もっ
ともっと、「草の根」側に権力を解放して行く事によって、又は、権力行使過程に参
加する機会を与える事よって、自民党の将来を築き上げて行く事が望ましいと思う。
 優れた指導者は、権力行使の可能性を大衆の前に放出し、その様な公開性を巧みに
利用して、自分の大衆に対する影響力を増やすのではないか。 その点では、小泉純
一郎氏は、最近の日本の政治家としては、異例の才能を発揮したと思う。 しかし、
問題は、その将来で、ポスト小泉時代の問題で、今の処、自民党内には、その輝かし
い業績を旨く継承して行き得る様な潜在的な資質を明らかに持って居ると考えられる
指導者が現れて来て居ないのではないか。

しかし、自民党に比べて、もっと深刻な問題を抱えて居るのは、民主党であろう。
 野党第一党でありながら、2005年9月の郵政民営化総選挙で、大衆の不満を旨く吸
い上げ爆発させる事に成功しなかった。 其の逆に、小泉「劇場」政治に、完全にし
てやられて仕舞った。 どうやら当時の党首の岡田克也氏の基本作戦は、大学の教授
が学生に講義する様な格好で、コツコツと真面目に大衆に訴えると言う形の選挙戦術
の様だった。 せいぜい良くて、「誠意」とか「献身」を売り込もうと言う作戦だっ
たのかも知れない。 と言う事は、大衆心理の特質を見抜き、選挙民の願望とか不安
に旨く調子を合わせたダイナミックな指導者対大衆のやり取りと言う事ではなかった
様だ。 1995年4月の青島幸男氏東京都知事当選とか2000年10月の田中康夫氏長野知
事当選の時の様な、「草の根」的な政治エネルギーの発散の強い流れを受け継いで居
ない様だ。 2003年4月の石原慎太郎氏東京都知事再選も、自民党から距離を置いた
ものであったし、70.2%と言う驚異的な大量の票を集めたものだった。  にも拘わ
らず、其の後の2005年9月の総選挙では、民主党は大撤退をして居るのだ。 そし
て、筆者が表面的に観測、分析した限りでは、その一つ理由が、民主党の誤った間接
選挙中心主義的な選挙戦術にある様に思えてならない。

詰まり、現在の処、2005年9月の総選挙後を含めて、最近の民主党の党首は、大体、
国会議員の支持のみを中心として選ばれて居り、広く「草の根」の一般党員を直接に
代表する人物ではないでのある。 尤も、菅 直人氏等は、一時、その流れから、多
少外れて居たのかも知れないが。 言い変えれば、民主党では、最初に、一般党員が
中心となり、その他選挙民の支持を得て、国会議員を選び、---と言う事は、総選挙
を行い---その次ぎの二段目の段階に、国会議員が、党の総裁を選ぶと言う二段構え
であり、間接選挙方式を使って居るのであり、その二つの選択の為の段階の闘争を、
全然別個な政治状況で行って居るのである。 そして、此の間接選挙方式が、少なく
とも、大政党の総裁の選出に関しては、カナダとか米国では、長年の歴史的民主化の
努力によって修正され、排斥され、除外されて来たものなのである。 2006年1月23
日の総選挙では、カナダの与党である自由党は敗退し、その当時の首相であったポー
ル・マーチン氏は、早速、党総裁の地位を辞任して居る。 此の場合には、カナダで
は、連邦議会の自由党所属の全議員103名が、其の数週間後に一堂に集まって、その
場で、直ぐに、議員だけで投票して、次の総裁を選出する事は出来ないのである。 


言い換えると、日本式のやり方は、少なくとも、現代のカナダでは通用しないのであ
る。 3ヶ月とか6ヶ月位の長い時間を掛けて、「草の根」から、全部の諸段階の選挙
過程の手続きを、初めから全部繰り返さなければなないのである。 地方の党支部
が、総裁選出の全国大会に出席する為の代議員を選び、その選ぶ過程で、党の総裁候
補は、全国的に個々の党支部を回り、遊説し多くの平均的な党員を説得し、選ばれる
代議員を支持を得る必要があるのである。 カナダは広いので、連邦下院の殆ど全部
の選挙区を網羅する様な全国遊説となると、数ヶ月はかかるかもしれない。 其の間
に、勿論、総裁候補者と一般党員の間に、直接的に、政策上の意見の交換があるので
ある。 その様な過程の後に、始めて、全国的な党大会が開かれ、そして、やっと最
後の過程として、党の総裁が選ばれるのである。 その様な形でカナダの大衆の政治
エネルギーを吸い込む様な大規模な政治過程は、日本の大体国会議員中心だけの形
で、一、二週間の間に、余り、多くの平均的な党員を騒がせる事もなく、簡単に済ま
せて仕舞う総裁選出過程とは、政治的に、その内容が非常に異なるのである。 少な
くとも、米加の人々の眼には、そう写るのである。 カナダの党大会依存型党総裁選
出方式は、或る意味では、間接選挙方式であるが、日本の場合とは大きく異なる点
は、焦点が、新総裁選出だけに絞られ、その闘争過程が、連続的に、相当の期間に
亘って、全国的に続き、大衆の間に盛り上がりを創造する可能性が高いのである。 
此れに対して、総選挙の場合には、カナダでも日本でも、大衆の注意が複数の政策問
題等に分散して仕舞って、人物の選択だけに集中し熱中しないのである。


(続く)
権力構造と政治改革: 日米比較
Two out of three, ending, pages 8-16







Please use two different e-mail addresses when you send me important
messages. Examples of such addresses are: akubota@uwindsor.ca and
a_kubota@hotmail.com

Akira Kubota

権力構造、三の三、20060227

(続く)
権力構造と政治改革: 日米比較
Three out of three, beginning, pages 17-24



米国では、大政党による大統領候補の候補の指名の大会が開かれるが、その過程が、
此の今説明したカナダの大政党の総裁選出の過程に匹敵するのである。 これも、約
6ヶ月かかる大変大規模な全国的に繰り広げられる行事なのである。 大変な労力と
金銭的支出が伴う。 それから、カナダの大会に比べて、米国の場合には、テレビと
かその他のマスコミの報道は、もっともっと広範である。 筆者は、日本の自民党の
党大会に実際出席した体験があるが、その時に得た印象を多少誇張して述べれば、日
本の卒業式とかお葬式の様な厳粛のものであった。 それから、米国の党大会にも出
席した事もあるが、これも、多少誇張してみると、大変な人出があり、お祭り騒ぎの
様なものであった。 若者も多く出席して居たし、ロックの音楽も演奏されて居た。
 日本の田舎の文化とか浅草の文化では、お祭りがかなり大事の様であるが、やや誇
張すると、米国の政党の大会は、米国の日常生活に深く融合されたものの様で、平均
人とか中産階級の生活の大事な一部そ成して居る様な印象を受けた。 残念ながら、
日本の場合には比較的に近寄り難い印象を与えるのである。 多くの人々の予想で
は、此の次の米国の大統領選挙では、クリントン元大統領夫人が出馬する様で、前記
の説明で、多分明白な如く、一部の専門家の予想が当たるとすれば、クリントン夫人
支持の政治運動は、大変な大衆の政治的なエネルギーによって支持されたものになり
そうなのである。 日本では、想像の付かない様な盛り上がりが起るかも知れないの
である。 日本の民主党の岡田克也氏が、郵政民営化総選挙の際に、日本の大衆から
受けた反応とは、かなり違うものになりそうなのである。 尤も、事実は、日本の多
くの政治家は、米国の学者の意見などを取り入れて居る様であって、確か、岡田氏
は、前回の米国の党大会にも出席して居ると聞く。 にも拘わらず、彼の米国に関し
ての知識は、日本の民主党の選挙成果には余り直接的に繋がって居ない様なのだ。

筆者は、日米加を含めて、かなり文化の異なる国にかなり長期な亘って住んだ体験が
ある。 そして、その際に最初に気のつく事は、情報は、水の様には自然な形で自由
に流れず、逆に、情報は、ある程度、改定され、変更され、促進され、阻害され、
色々な屈折を通して、流通して居る様なのである。 新聞等に投書をした事もある
が、明らかに誤って居る様な情報でも、その改定文は必ずしも、簡単には、主要なマ
スコミの機関には即時反映されないのである。 勿論、無意識的に、情報が押さえら
れて居る事もあろう。 その一つが、日米加の間の間接選挙に対する態度の差であ
る。 もっと具体的に説明すると、現在の新しい民主党党首の前原誠司氏等は、著名
な米国の政治学者とかなり親しい関係を持って居ると伝えられて居るにも拘わらず、
米国式に、直接に大衆に近ずく選挙戦略に関しては、実際は、かなり消極的の様で、
国会議員とかその他の高いレベルの政治を主な対話の対象として居る様なのである。
  例えば、前原氏は、国家安全保障問題とか日中関係に関して、かなり頻繁に発言
して居る様であるが、多くの場合に、その様な話題は、一般大衆には無理な問題なの
である。 此れに対して、小泉純一郎氏の「自民党をぶっ壊せ」と言う様な簡潔な表
現は、知識人とってはあまり意義に無い宣言と写るかもしれないが、「草の根」の
人々に良く理解出来る事柄の様だ。 政治家にとって、常時大きく流動して居る大衆
心理を的確に読む事は、至難の業である。 小泉純一郎氏の様な人でも、2006年9月
の郵政民営化の総選挙の快挙に付いては、「多分今後再現出来ないだろう」と認めて
居る。

現在、自民党の内部では、ポスト小泉を巡って、次代の指導者の選出が行われて居
る。 どうやら、小泉氏は、複数の候補者の間の真剣な競争を強く奨励して居る様
だ。 筆者は、民主主義の理念の立場から、その様な競争過程の充分な活用に対し多
いに賛成する。 米国では、予備選挙では、複数の候補者が、大体一緒に、一団と
なって、全国各地を回り、同じ場所に同時に現れ、党員の支持獲得を相互に競争す
る。 アイオワとかカンサスと言った農業の盛んな地方にも回り、一部の人々は、そ
の様な「品定め」を「家畜品評会」(cattle show)と揶揄迄して居る。 筆者の率
直な意見は、日本の民主党等も、国会議員の間だけの支持を乞うだけではなく、永田
町から離れて、もっと広く働きかけ、「家畜品評会」をもっと頻繁にやったら、「草
の根」の政治的エネルギーをもっともっと動員出来たであろうと思うし、そして、小
泉「劇場」総選挙で、あれほど、ひどい負け方はしなかったと思う。 しかし、残念
な事に、総選挙直後の党首選出作業では、民主党は、大衆とのダイナミックな直接対
話の過程を省略して仕舞った。 其の後、日本のマスコミに於いて、それに関して、
特に強い批判は、出て居無かった様であるが、多分、その様な「国会議員中心主義」
が、日本の政治文化の“正常”な形なのであろう。 恐らく、外国政治文化の影響を
受けた一研究者が、その点に関して別の意見を提出して批判したとして見ても、或
は、日本の政治の大勢には余り大きな影響はないかも知れない。

米国、カナダに比べて、日本では、国会議員が政治過程でより重視されて居ると言う
事は、別著の「検証・小泉政治改革」で、かなり詳細に説明した積りなので、此処で
は、その大部分を省略させて貰うが、一、二核心的な事項を繰り返えして見ると、そ
の一つは、「国会議員が尊重されて居る」と言う事は、必ずしも、「一つの政治機関
としての国会自体が尊重されている」と言う事にはならないのである。 寧ろ、上記
した様に、実質的な決定に関しては、日本の政治では、国会は、あまり中核的な役割
は果たして居ない。 自民党にとっては、連立の場合もあるが、一般的に、国会の両
院で、多数の議席を握っているので、少数群の野党と政策の細かい内容に関して深く
協議しても、法案の内容の確定に関しては、多くの場合に、余り意義が無い。 寧
ろ、実質的には、国会の本会議の前の時点で、多数集団の与党連合の内部とか自民党
だけの中で決まるのであって、極く最近迄、大体、自民党の内部だけで、本格的で、
充分な議論がなされて居た。 此の場合に、奇妙な点は、自民党は、本当は、私的な
団体なのである。 国会の直ぐ隣りの建物の中に割拠する組織で、厳密には、その住
所は千代田区永田町1-1-23である。 そして、更に、奇妙な点は、その組織の総裁を
含めて殆どの主な役員は、全部が、自民党所属の国会議員なのである。 そして、そ
の総裁職は、大体、議員団が握って居るのである。 詰まり、日本の自民党は、一方
では、全国的な大衆的な組織かも知れないが、その半面、実質は、国会議員が支配し
て居る私的組織なのである。 此の日本式の国会議員支配の政党形態方式は、米加に
存在しない。 米加では、全国的な党組織は、一般に議会とは余り関係がなく、選挙
の管理がその主な仕事で、通常は、連邦議会の議員はその様な組織の中核的な役員に
は、一般的に、就任しない。 そして、筆者の判断では、此の点に、日本の自民党の
突出した特権的地位の基盤の一つが見出されると思う。 勿論、日本特有の派閥制度
が、この様な党の既に強大な権力を更に補強して居る事は間違いない。

筆者は、長年、小泉政治改革を観察して来た。 其処で一つ気の付いた事は、小泉氏
とか彼の側近等が、新しい改革を示唆するとすれば、その際に、「欧米でやって居る
ので、日本も、その様にやるべきだ」と言う様な形の論調は大抵使って居ない事だ。
 その具体的な例を一つ挙げるとすれば、今年の2006年の初めに、武部 勤自民党幹
事長が、自民党総裁選に関して、予備選挙の試行の可能性を検討した事がある。 そ
の際に、武部氏を含めて、自民党要人は、「予備選挙は、米国で頻繁に活用されてい
るので、日本も是非その例に倣うべきだ」と言う様な意見は誰も述べて居なかった。
 恐らく武部氏はその様な米国の事情を熟知して居たであろうし、其の様な事を発言
しようと思えば、簡単に出来た筈であろう。 この現象に関しての筆者の意見を述べ
るとすれば、「その様な小泉対処政策は、基本的に「政治的に」「正しい」と言うも
のである。 と言うのは、それに付いての政治的逆効果の可能性は避けるべきである
から。 

何処の国にでも、ある程度のナショナリズムは存在し、そして、その国それなりの特
異性に関しての誇りは持って居り、単に、外国で、そして、先進国で、採択されて居
るからと言って、一国の政治家が自分の国の国民に対してその様な慣習を機械的に押
し付け様とする事は、政治的に誤りだから。 カナダの対米ナショナリズムとか対米
カナダ独自性の主張の件で、予備選挙の紹介の際に既に説明した様に、カナダにも
思ったより強い、愛国主義が存在するのである。 日本の場合にも、戦前のナショナ
リズムはかなり激烈だったし、戦後でも、今日、靖国神社参拝、皇室典範改正、拉致
等の問題で、国家主義の問題がかなり大きなものとして持ち上って来て居る。 年号
に関しては、日本では、今でも、今上天皇の即位の時点から起算して居る方式を使っ
て居り、世界でも、公式に、西暦を使わない非常に数少ない国の一つだと思う。 と
言う事は、日本の政治改革には現実的な限度があると言う事かもしれない。 カナダ
と言う国が、非常に強力な米国の文化攻勢の中に生きて居ながら、その反面、外部か
らは見逃し易いかも知れないが、カナダは、古く且つ力強い英佛の政治文化遺産に強
い誇りを持って固執して居るのであり、そして、日本政治文化の場合にも、その一定
の側面に付いては、外国の政治文化に対して、禁制的な形で対応するのかも知れな
い。

「ある一定の種類の政治学体系を築き上げて見たとしても、それは、或は、結局、砂
上の楼閣に終るかもしれない」とは既に述べた。 政治学研究では、物理学の様に、
その測定は完全に厳密でなく、そして、若し、多少誇張するとすれば、「痘痕が笑
窪」の様に判定されるかも知れないし、又、その逆の場合もあるかも知れない。 丁
度、映画の「羅生門」の一部のシーンの場合に様に、事実としては、一つ解釈しか存
在しない筈のものだが、目前には、其れが数個のかなり別のものとして提示されて居
るのかも知れない。 一つ一つの議論の白黒が決まり、そして、キチンと片ずけられ
て、その様な個々の議論が、集積的に要約されて行けば、全体的に、建設的である
が、政治の分析の為の議論の場合では、その逆の場合も多く、所謂、水掛け論とな
り、全体的に、内容的に、余り、前進しないかも知れない。 とにかく、政治の勉強
は大変だ。 その様な理由で、小泉政治改革も、日本のマスコミでは、様々な異なっ
たシロモノとして解釈されて来た。 日本の大新聞の社説等で、小泉政治改革に対し
て、手放して的に肯定的なものは、比較的に少ない。 日本のマスコミの小泉政治改
革に対する反応は、一般に、現在の筆者程は、絶賛的ではない。

もっと具体的な実例を挙げてみよう。 確か、元首相の宮沢喜一氏は、少なくとも一
時は、どうやら、次の様な意見を発表されて居た。 現代の政治では、年金問題、対
外援助、景気の回復、その他の大きな問題が山積して居り、郵政民営化の様な小さな
問題に政治エネルギーを集中的に注ぎ込む事は、誤りだ。 此処で、或る程度、筆者
の憶測が入るが、宮沢氏の基本的な考え方は、どうやら、次に様なものらしい。 郵
政民営化は、其れのみとしては、小さな単純な政治問題であり、別に、その裏に、権
力構造の再構成とか、官邸の下に権力を一重化すると言った大政治改革を伴う訳のも
のではない。 従って、此の郵政問題に執り付かれる必要はない。 此の宮沢氏の解
釈とも想定される立場は、勿論、筆者窪田の現在の解釈と大体反対の立場だ。 
ニューヨーク・タイムズ紙によると、一米国政治学者も、郵政民営化を過小評価する
点では同じ様な議論を展開して居る様で、更に、此の学者によると日本での真の改革
促進者は、民主党であって、小泉内閣ではないと言う。 勿論、客観的な事実とし
て、民主党は、全員、2005年夏に、郵政民営化法案に反対投票し、小泉内閣とその支
持者は其れに賛成投票を投じて居るのであるが、それでも、或は、無理りに、理屈を
通す方法もあり、それは、小泉郵政民営化法案はインチキとか不完全なものだ判断す
ると言う論法を動員する事である。  ヨーロッパ出身の新聞記者で、2005年9月の
総選挙を意義を確定しかねて居る人も居る。 とすれば、此の人物の日本政治に関す
る判断は、小生の其れとは異なり、此の選挙の結果を日本政治基礎構造の一重化に結
び付けては居ない様なのである。

小泉政権が最初に2001年春に出現した時には、最初から、世論調査の結果等では、小
泉内閣は、極めて、人気が高かった。 その状態は、或る程度、今でも続いて居る。
 小泉氏は、大衆に対しては、何時も、大体、旨く対応して来て居るのである。 し
かし、その反面、小泉氏は、マスコミ、そして、特に、知識人の受けが悪かった。 
日本の多くの著名な新聞記者等が、小泉内閣を短命なものと予想した。 当初は、新
聞雑誌等は、多くの場合に、小泉氏に対して、パーフォーマンスとかポピュリズムと
言う表現を適用した。 そして、大抵、悪い意味に使われた。  ”パーフォーマン
ス“とは、どうやら、”見せ掛け“とか”不誠意“と言う事らしい。 詰まり、本当
は悲しくないのに、涙をながしたり、本当は楽しくないのに、笑ったりして、大衆の
ご機嫌をとるのである。 ポピュリズムとは、迎合主義と言うか、必要以上にやや人
工的に大衆におべっかを使う事で、そして、その支持を獲得する事に成功する事で、
此処でも、やはり、急所は、”不誠意“と言う事らしい。 うっかり、「踊らされて
いけない」と言う警戒論だ。

その頃、日本では、多くの学者が政治指導論の本を刊行して居り、パーフォーマンス
とかポピュリズムを対象として、大攻撃をして居るのである。 大抵名指しはして居
ないが、小泉純一郎氏が標的になって居る様なのである。 そして、どうやら、その
多くの場合に、その根拠は、「非儒教的」だと言う事らしい。 確かに、小泉氏は、
日本の過去の偉大な政治家に比べて見ると余り儒教的な印象を与えない。 寧ろ、小
泉氏は、お祭り騒ぎ的な指導者である。 儒教の基準から評価するとすると、「軽る
過ぎる」のである。 しかし、米加的な政治価値から憶測して見ると、ケネデイ的な
お祭り騒ぎ的な指導制は、大衆の間に政治エネルギーを創造し、そのエネルギーが改
革に繋がるのである。 少なくとも、西欧では、その様な表面的なものが、政治的に
有意義なのである。 そして、多分、孔子と言った様な高潔で、深遠で、哲学的な人
物は、多くの場合に、小泉式なお祭り騒ぎに対して、かなり懐疑的だろう。 

筆者が此処で今迄本文で展開して来た議論は、完全に、「無軌道な」「水掛け論」で
はない。 多少なりとも学問的な筋金が入って居るかもしれない。 三種類位あるの
ではないか。 その一つは、ヴィッケンスタイン哲学と、そして、その言語の意味の
研究。 その第二は、Juan J. Linz 教授の権威主義と全体主義政治制度の研究の方
法論。 そして、第三には、人生の四、五十年を掛けて読んだ莫大な政治学関係の書
物とかその他の研究資料である。 五年か十年続けて毎日ニューヨーク・タイムス紙
を購読した頃もあった。 勿論、自然科学研究で作り上げられる体系の様に、その骨
組みは強固なものではない。 せいぜい、半信半疑で、一生懸命になって、掴まろう
とする建造中の未完の骨組みに過ぎない。 或は、集めた資料は、その一部はかなり
利用価値があったとしても、別の一部は的外れのものかも知れない。

小泉改革のほぼ確定した成果を列記して、此の小文を終らせて貰おう。 その第一例
は、組閣の人選である。 此れは、明らかに、小泉内閣下で大きく変わった。 此れ
は、「羅生門」的な幻の映像とか掴み処のない現象ではない。 閣僚の人選は、能
力、経験、首相との政治関係等によって決まり、在職は、半年とか一年といった短期
間でなく、出来れば首相の全期に亘る。 此の方式は、大体、英、米、加で使われて
居る方式だ。 第二に、派閥が大打撃を受けた。 郵政民営化総選挙の於いては、或
る意味では、郵政民営化自体が、政治闘争の正式な焦点であったが、又別の或る意味
では、又は、その陰では、本質的には、派閥戦争であったし権力闘争であった。 と
言うのは、此の闘争での反乱軍の二大指導者の一人は、亀井静香氏で、当時、彼は、
かなり大きな派閥の領袖であった。 もう一人は、綿貫民輔氏で、彼は、別の最大派
閥に属し、その当時、領袖の席が空席であったので、その代行の様な役を果たして居
た。 結局造反者は、その指導者を含めて、全員、公認されなかったので、党を去る
ことになり、従って、派閥も脱退せざるを得なかった。 自民党の派閥の一部は、未
だ残って居るが、それが、総裁選とかその他の場で果たす役割は、少なくとも、小泉
内閣以前の期間に比べると、顕著に下がった。

第三に、自民党の総務会とか政務調査会の場合には、その力は、その大部分が官邸に
移され、その様な党の中核的な機関は、予算とか法案の内容の決定には、余り大きな
役割を果さくなって仕舞った。 それから、税制の年毎の様々な調整の作業も、大
体、官に移った。 年末の予算復活の為の大デモは殆ど永田町から姿を消した。 た
だ、この様な、権力構造の再編成が、一時的なものか恒久的なものか今の時点では、
明確には判明できない。 或は、その一部は逆行するかも知れない。 第四に、少な
くとも、大規模な政治腐敗は、小泉内閣下では、首相の身の回りからは殆ど除去され
て仕舞った様だ。 此の点は、田中角栄氏時代とは、大いに、異なる。 小泉内閣が
始まって以来の此の 約五年間に、現役の財務大臣とか産業経済大臣等の要人で、腐
敗で、正式に追求されたり、起訴された人は一人も居ない様だ。 小泉氏自身の集め
る政治献金の年間総額は、大抵、自民党の上から数えての十傑とか二十傑に入らな
い。 歴代の首相としては、希な現象だ。 自民党の元首相で、最後に、追及された
人物は、橋本竜太郎氏だ。 彼は、田中角栄氏に近かった人で、その政治手法は田中
式であり、小泉氏とは正反対の立場にある人だ。 2001年の総裁選で、小泉氏は、橋
本氏を破った。 投票直前迄、橋本氏が勝つものと一般に予想されて居た。 橋本氏
は、小泉首相の下で、余り目立った役職に就かなかった。 そして、2005年の総選挙
の頃には政界を去って行った。

第五に、様々な分野で、改革の仕事が進んだ。 郵政民営化については、その立法作
業は完了し、実務的な引渡しとか変革の実質が今後数年に亘って、実践に移される。
 元首相の場合であっても、選挙運動を全然しなくても当選する様な特権的な比例代
表制高位の公認はもはや授与されなくなった。 自民党内でも、長老を尊敬する儒教
的慣習の一角が崩された。 政府金融機関は、その大部分が統合され、簡素化される
事が決まった。 議員の年金と一般国民の年金の差が、縮まった。 政府予算全体が
削減され、景気刺激の為の補助金的な政府支出が減らされて居る。 第六に、道路
税、地方自治、教育等の分野の改革は、未だ遅れている。

最後に、第七番目に、一国家の指導者としての小泉純一郎氏の幾つかの主な特徴に付
いて語り、此の小文を完了したい。 小泉氏の人柄自体は、恐らく、日米政治比較と
言う知的作業には、必ずしも、不可欠な項目としては登場しないであろうが、それで
も、此の項目は、日本の小泉内閣時代の政治改革を充分に説明する為には、ほぼ、見
落とす事が出来ない題目の様だ。 多くの面に付いて、小泉氏は、日本の近代の政治
家として、かなり特異であって、決して、平均的とか典型的な人物ではなかった。 
第二次世界大戦終了1945年以降現在まで、延べ、29名の人々が日本の首相の地位に就
き、吉田茂氏の二期在職を考慮に入れると、実質28名となり、様々な色彩豊かな一連
の人物が登場し、活躍して来たが、その多種多少の人物列の中で、小泉氏の様な人柄
を他の首相に見出す事は難しい。 そして、政治改革と言う「突出した」企画にかな
り無理に突進して来たと言う政治史的な事実と、小泉氏のその「突出した」人柄と
は、大いに相互関係がある様だ。 

一つには、小泉氏は、「突出した」人物であると言うか、「変人」なのだ。 小泉氏
は、かなり若い時代から、社会一般から、「変人」と頻繁に呼ばれて来た数少ない日
本の大政治家の一人なのだ。 勿論、「変人」と呼ばれるからには、一連の「変わっ
た」行動に訴える必要があったのであり、その一つが郵政民営化の単独宣伝行為で
あった。 たった一人の議員の促進する運動であった頃もあり、郵政大臣室に、一人
で残され、周りの高級官僚から、殆ど完全に、無視されながら、大変頑強にその主張
を押し続けて来た。 一般に、「調和」を重んじる日本の文化では、極めて、珍しい
現象であった。 改革を押すと言う事は、どうしても、尋常ではない事を押すと云う
事になり、従って、必然的に、多くの場合に、「変な事」を勇ましく遂行して行く人
柄が、必要であった訳だ。 長い間の陽とか逆境に耐えながら、辛抱強く、自分の信
念にしがみつき、その様な努力をさびしく何十年も続行して推し進めて行く様な特性
が必要な様だった。

それから、或るいは、小泉氏が希に持って居り、どうやら、余り多くの日本第一線の
政治家が持って居ない特質の一つは、大衆を動かす力なのだ。 大衆心理を適格に見
抜き、瞬間的に、大衆に対して、最も効果的な対応を打ち出し適応して来て居る事
だ。 万一、若し、小泉氏自身がその様な能力を持ち合わせて居ないとすれば、小泉
氏は、少なくとも、その様な側近とか助言者を見付け出し、その様な部下を最も効果
的に駆使する特別な才能を持って居る人物なのである。 その具体的な実例は、郵政
民営化「劇場」総選挙の場合である。 2005年9月に行われた此の選挙は、一面で
は、拙著の「検証・小泉政治改革」を一覧すれば、自明の如く、此の「解散・総選
挙」での基本戦略は、五年、十年、二十年前から少なくとも漠然とした形で、意識さ
れ、研究され続けて来たものであるが、一面では、最後のせっぱ詰まった時点で瞬間
的に、逐次、採決され、迅速に、実行突入されて行ったものである。 その当時の新
聞等を再点険してみれば、明白な如く、その当時は、小泉氏の企画に強く反対する日
本の一流の政治家は相当数居たのである。 にもかかわらず、小泉氏は、「無理な」
そして「変人的な」選択肢を勇敢に選んだのである。 そして、その小泉氏に反対し
た日本の一流な政治家の多くが、小泉氏に関して、見落とした最大の項目は、多分、
小泉氏の持っているやや異常な大衆の心理を見ぬく政治的な知的能力なのである。

又、別の言い方をして見ると、小泉氏は、どうやら、優れた大衆操作能力を持って
居る人物の様なのである。 そして、その様な異常な能力は、歴史的には、ナチの例
等で自明の如く、或る意味では、危険なのである。 小泉氏が、その政権の始めの頃
に、日本の知識人等から、ポピュリズム等でひどく批判されたし、その数年後の郵政
民営化選挙では、再び、一部の日本のインテリとかメデアの指導層から、批判され、
そして、“小泉劇場政治”現象は本能に訴える様なファッシズム的傾向の日本に於け
る再台頭の危険性をもたらしたと攻撃されて居るのである。 紙面の関係上、現代の
日本に於けるファッシズムの再興の可能性に付いての検討は、此処では省略させても
らうが、この様な反小泉的評論家が多分見落として居る重要な点は、「改革と言うも
のは、一般に、大衆の力強い支持がないと成功しない」と言う点である。 数十年前
に戻るが、三木武夫氏とか竹下登氏が試みた自民党内の対派閥制策は、大体、作文的
活動に留まり、実際の改革行動としては、全然、成功しなかった。 殆ど、全然、実
践に移されなかった。 其の一つの理由は、筆者の意見によると、その様な昔の「改
革」運動には、大衆のエネルギーがその背後に全然活用され動員されなかったからで
ある。

比較的最近に、日本の政治指導性に関する多くの書物を点検する機会があったが、
其処で見出される一つの大きな知的基盤は、儒教である。 驚く事に、第二十一世紀
の現在でも、日本の政治哲学の一つの大きな土台は、依然として、儒教の様だ。 著
名な政治学者の書いた政治指導性に関する本で、”政治家が、深刻な政治状況に面し
て、紙と筆を取り寄せて、其処に、「論語」等の儒書の重要な字句を正しく引用し書
き留め”て、周囲の人々に展示すると言った様な行動の重要性を強調されて居た。 
 筆者の儒学の素養は、極めて貧弱なものにしか過ぎないが、筆者の解する限り、そ
の一つの要点は、「仁」と言う価値体系の中心性であり、“政治と言う事は、どうや
ら、仁を巡る指導者と大衆との道徳的な高質な人的な関係”である。 静かな、厳粛
な、高貴な、知的な、半宗教的な関係らしい。 又、逆に説明して見ると、多くの場
合に、お祭り騒ぎとか、デモとか、ドンチャン騒ぎではないらしい。 貧しい社会の
どん底の労働者とか農民の彼等の本当の生の感情の表明と言った政治行為では無いら
しい。 

しかし、問題は、儒教に対し、民主主義政治の場合には、実社会の政治関係は、後者
に近い。 そして、特に、近代の大衆民主主義の場合にそうである。 ルーズベルト
のニュー・デイールとかケネデイのニュー・フロンテアーは、「仁」的なものと言うよ
り、もっと「草の根」的なものではないか。 小泉氏は、“自民党をぶっ壊せ”と大
胆に公言するが、その際に、小泉氏自身とか、彼の直属の部下が、四書五経を丁寧に
調べ上げて、その様な表現又は其れに似たものを忠実に探す事に努力し、そして、探
し当てる事に成功して居るのであろうか。 一体、その様な古典中心の知的準備研究
は、今日では、もう、的外れなのか。 或は、現代の日本の選挙民の「心の奥底」に
見出される基本的な政治姿勢は、じわじわ儒教の哲学の枠を多少逸脱し始め、北米流
の大衆動員型政治哲学の方向に動き始めて居るのか。 そして、その様な動きに対し
て、現代の日本の知識人とか評論家は、必ずしも、充分に追い付いて行けないのでは
ないか。 

小泉氏は、自分がその生涯を通して所属して来たし、そして、自分が現在事実指導し
て居る政党組織を敢えて「ぶっ壊す」と宣言した極めて希な日本の大政治家だ。 近
頃では余り使われない用語であるが、小泉氏は、「日本人離れ」をして居る人物かも
知れない。 何れにしても、此の政治家が、一生懸命になって、多くの面で、日本を
変え様として居る事にはほぼ間違い無い。 そう言う小泉氏の努力を、日本の選挙民
の多くが、真剣になって取り上げ始めて来た様だ。 そして、その変え様とする際
に、多くの事柄に関して使われて居るモデルが、良く調べて見ると、本当は、どうや
ら、米加とか西欧由来のものの様だ。 少なくとも、米加に長く住んだ人物の目に
は、その様なものとして写る。 痘痕が笑窪かも知れない。 郵政に付いては、米加
共に、かなり前の時点で、既に、或る意味での民営化を行って居る。 或は、もっと
広く、小泉氏は、“日本の組織的なグローバラナイズ化”を狙って居るのかもしれな
い。 尤も、小泉氏のホンネはそうであっても、彼は、その様な事を絶対に口に出さ
ないかも知れない。 いずれにして見ても、改革は、多くの面で、実質的に、日本の
政治をより米国的、よりカナダ的なものして居るみたいだ。 その様な意味で、日米
加の政治の比較は、意義がある仕事の様で、その様な意味での本格的な比較研究はま
すます助成奨励されるべきものかも知れない。


以上



(終わり)
権力構造と政治改革: 日米比較
Three out of three, ending, pages 17-24


権力構造と政治改革: 日米比較
東京福祉大学名誉教授 窪田 明著 
2006・02・27

Ameba ブログ 20060227

権力構造と政治改革: 日米比較
窪田 明著
三部からなる論文
2006・02・27


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Akira Kubota