地震さなかでなにやってん?って思われるでしょうが弟の誕生日なので母親と一緒にケーキを作りました。
どうしてかっていうと、自分たちがいつ被災者になるか分らないからやりたいことはしておこうという考え方からです。
昨日の地震のさなかに感じたことですが、ほんとに地震って怖いですね。
けど、自分はまだ生きているし、仕事もしなくてはいけない。
正直、自分の家が地震で倒れたんだろうなって思ってました。
んで、家族がもしかしたら下敷きになっているかもって想像したりしてました。
でも仕事はしなくてはいけない
一回目の地震のときはホント動転しましたが、その後はそうでもなかったです。
だってどっちみち地震が収まったら仕事しなくてはいけないのだから・・・
社会人ってこういうことなんですよねー。
自分の身や家族、友達の心配をしていながらも、仕事をしなくてはって思ってグラグラ余震のさなか、
僕は平静を装いつつ仕事をこなしていました。
そうしないと仕事が回らなかったからです。
会社の被害は相当なもので、大変です。
でも被災地域と比べると自分たちの地域なんてなんともないんですよね。
もう津波で本当に大変なことになっていてどうにもならないのが分ります。
そこで自分が思ってしまったこと、
自分や自分の家族や友達があそこにいなくてよかった・・・
はっきりいって自分自身に嫌悪感を感じます。
自分と自分の知り合いが助かればそれでいいのか?
違うのは分ってるけど自分はそこまで人を思いやれない。
どっかで人が殺されている、それが世界の出来事ででもそれまで気にして生きて行けるんだろうか?
どこまで人は人のことを考えたらいいんだろうか?
最初地震があった後心配したのは真っ先に家族のこと、そして、被災地域の友達のこと、
そのあと徐々に自分の近い友達の心配をして、中には思い出しもしない友達もいた。
仕事が終わってから安否確認のメールを心配してる人達に送った。
でもやっぱり一番は家族の無事を確認することだった。
僕にとってやはり一番大切なのは家族なんだなって改めて感じた。
自己嫌悪は他にもある、その思い出しもしない友達から、心配してますというメールが来たり、来るかなって思ってた人から来なかったり、自分が勝手に思い描いていた人間関係とは結構ズレがあってなんともいえない気持ちになった。
一番地震が起きて考えたことは、
「いつ死ぬか分らないんだから精一杯生きていかないと」
って思いが強くなった。
正直自分が住んでるところで大きな地震が起きるかもしれない今、やれることはやっておきたい。
。
自分にとってそれが弟のケーキを作ること、そして友人の心配をすること、そして仕事を一生懸命やることなんだ。
死んで後悔してももう遅い、言って置けばよかった、やっておけばよかった
そういう気持ちになるくらいならやっておこう
そのやっておこうってことは自分にとって普段の生活をしっかり送ることだった。
自分が被災者になったらって考えないのか!!物資送ったり、募金したりしないのか!
そういう考え方が正道なんだろうな・・・
じゃあどこまで人は人に優しくしたらいいんだろう?
僕はそうやって考えた結果、自分の知ってる人が助かっていればとりあえず平気みたいだ。
こんな考え方じゃ自分が被害者になったら助けてもらえなくても文句言えないなって思う
でも、自分自身には自分の仕事をする義務があるし、ぶっちゃけ会社がどうなるんだろう?って心配もある。
どこまで人はやさしくできるんだろう・・・・どこまで優しくしたらいいのだろう・・
そんなことを考えながら余震が続く中でこのブログを書いています。
津波の恐怖はどんなだったんだろう?
そんなことを考えることと自分の生活を守ることと友達の心配をすることくらいしか出来ない自分の矮小さに反吐がでそうです。
そしてこんなことをブログにしてる自分にまた嫌悪感を感じます。
だけど、これを書くことが自分のやっておかないといけないことのような気がして、
考えの赴くままに書いてしまっています。
ホントなにが正しいんだろう??
ともかく自分の知り合いがみんな無事でよかった。
それが自分の小さい器で思う素直な気持ちだ。
津波に巻き込まれて死んでしまったひと、まだ見つかってない人その人があまり苦しんでいなかったことを願います、それくらいは許してください。
どうしてかっていうと、自分たちがいつ被災者になるか分らないからやりたいことはしておこうという考え方からです。
昨日の地震のさなかに感じたことですが、ほんとに地震って怖いですね。
けど、自分はまだ生きているし、仕事もしなくてはいけない。
正直、自分の家が地震で倒れたんだろうなって思ってました。
んで、家族がもしかしたら下敷きになっているかもって想像したりしてました。
でも仕事はしなくてはいけない
一回目の地震のときはホント動転しましたが、その後はそうでもなかったです。
だってどっちみち地震が収まったら仕事しなくてはいけないのだから・・・
社会人ってこういうことなんですよねー。
自分の身や家族、友達の心配をしていながらも、仕事をしなくてはって思ってグラグラ余震のさなか、
僕は平静を装いつつ仕事をこなしていました。
そうしないと仕事が回らなかったからです。
会社の被害は相当なもので、大変です。
でも被災地域と比べると自分たちの地域なんてなんともないんですよね。
もう津波で本当に大変なことになっていてどうにもならないのが分ります。
そこで自分が思ってしまったこと、
自分や自分の家族や友達があそこにいなくてよかった・・・
はっきりいって自分自身に嫌悪感を感じます。
自分と自分の知り合いが助かればそれでいいのか?
違うのは分ってるけど自分はそこまで人を思いやれない。
どっかで人が殺されている、それが世界の出来事ででもそれまで気にして生きて行けるんだろうか?
どこまで人は人のことを考えたらいいんだろうか?
最初地震があった後心配したのは真っ先に家族のこと、そして、被災地域の友達のこと、
そのあと徐々に自分の近い友達の心配をして、中には思い出しもしない友達もいた。
仕事が終わってから安否確認のメールを心配してる人達に送った。
でもやっぱり一番は家族の無事を確認することだった。
僕にとってやはり一番大切なのは家族なんだなって改めて感じた。
自己嫌悪は他にもある、その思い出しもしない友達から、心配してますというメールが来たり、来るかなって思ってた人から来なかったり、自分が勝手に思い描いていた人間関係とは結構ズレがあってなんともいえない気持ちになった。
一番地震が起きて考えたことは、
「いつ死ぬか分らないんだから精一杯生きていかないと」
って思いが強くなった。
正直自分が住んでるところで大きな地震が起きるかもしれない今、やれることはやっておきたい。
。
自分にとってそれが弟のケーキを作ること、そして友人の心配をすること、そして仕事を一生懸命やることなんだ。
死んで後悔してももう遅い、言って置けばよかった、やっておけばよかった
そういう気持ちになるくらいならやっておこう
そのやっておこうってことは自分にとって普段の生活をしっかり送ることだった。
自分が被災者になったらって考えないのか!!物資送ったり、募金したりしないのか!
そういう考え方が正道なんだろうな・・・
じゃあどこまで人は人に優しくしたらいいんだろう?
僕はそうやって考えた結果、自分の知ってる人が助かっていればとりあえず平気みたいだ。
こんな考え方じゃ自分が被害者になったら助けてもらえなくても文句言えないなって思う
でも、自分自身には自分の仕事をする義務があるし、ぶっちゃけ会社がどうなるんだろう?って心配もある。
どこまで人はやさしくできるんだろう・・・・どこまで優しくしたらいいのだろう・・
そんなことを考えながら余震が続く中でこのブログを書いています。
津波の恐怖はどんなだったんだろう?
そんなことを考えることと自分の生活を守ることと友達の心配をすることくらいしか出来ない自分の矮小さに反吐がでそうです。
そしてこんなことをブログにしてる自分にまた嫌悪感を感じます。
だけど、これを書くことが自分のやっておかないといけないことのような気がして、
考えの赴くままに書いてしまっています。
ホントなにが正しいんだろう??
ともかく自分の知り合いがみんな無事でよかった。
それが自分の小さい器で思う素直な気持ちだ。
津波に巻き込まれて死んでしまったひと、まだ見つかってない人その人があまり苦しんでいなかったことを願います、それくらいは許してください。